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12.田方

暮らし・産業・文化

今諏訪の水車(搗屋)

白根地区今諏訪は、御勅使川扇状地の扇端部が釜無川によって削られてできた浸食崖沿いに、南北に広がる集落です。
この地では浸食崖の上に集落がありましたが、崖直下からは豊富な湧水があり、明治期には、この水力を動力とした水車小屋=搗屋(つきや)が崖下にいくつも並んでいたそうです。すべてが同時期操業であったわけではありませんが、全部数えあげると、昭和30年代までに7カ所もあったようです。

○博アーカイブはこちら
この今諏訪の水車のことについて教えてくださったのは、下今諏訪にお住いの塚原テイイチさんです。テイイチさんのご先祖もかつては下今諏訪で『タツミさん』と呼ばれた搗屋を経営されていました。

 テイイチ氏によると、今諏訪の水車(搗屋)は、
・明治41・42年の大水害で、搗屋がすべて壊滅し、一部再建したが、無くなったものがほとんどだった。
・大正時代ころから「電気搗屋」と呼ぶ、水を使わない動力を持つ搗屋ができはじめたので、下今諏訪では坂の急な場所にあるところから潰れていった。だから、下今諏訪の北搗屋は一番早くやめた。
・しかし、戦争中まで水車小屋だけはいくつか残っていた。
・戦前は、上今諏訪に3つ。下今諏訪に3つあった。 下今井に2軒あった。
・西は沢登や富士川街道沿いの家(桃園の街道沿いに住む人たち)まで今諏訪の坂を下りて搗屋にやってきた。
・昭和5年頃から、下今諏訪北搗屋だった家の人が、竜王でディーゼルで搗屋をはじめた。
・搗いたのは、オオムギ・コムギ・ソバ・コメ
・搗きやでヤギを飼っていた。
以上の証言をいただきました。
さらに、かつて今諏訪にあった水車の場所もわかりました。○博アーカイブの地図上で見ることが可能です。
①~③までが上今諏訪、④~⑦までが下今諏訪になります。
①北搗屋 上今諏訪
②升屋(マスヤ) 上今諏訪
ここには冷たい湧水があり、周辺の田んぼは冷たくて実りがあまり良くなかったため、早めに耕地を手放した人が多かったそうです。
③友常さん(トモツネ) 上今諏訪
④北搗屋 下今諏訪
この搗屋は一番早く操業を辞め、昭和5年頃から竜王でヤンマーディーゼルで搗屋をはじめたそうです。
⑤中搗屋(なかづきや) 下今諏訪
⑥タツミさん 下今諏訪
⑦宿村共同水車 下今諏訪
この水車小屋は昭和22年から30年代まで操業しており、戦後10年間ほど共同の搗き場として利用されていました。
戦後は④~⑥の下今諏訪の搗屋はもうなくなっていたので、操業していたのはここのみでした。

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