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11.原方

暮らし・産業・文化

豊村の乾繭場と第二乾繭倉庫

豊村の蚕糸業が盛んになるな中で、大正時代には組合が設立され、農業倉庫が建てられるようになります。写真は昭和4年に建築された豊村第二農業倉庫で、現存します。
この倉庫には生繭6万貫を収容できるものでした。
またこの頃組合では、乾繭施設の建設が事業計画に盛り込まれます。


乾繭場(かんけんじょう)とは、養蚕農家から集めた生繭を熱風で乾燥させ、中のさなぎが羽化して出てくる前に刹蛹(さつよう)し、さらに水分を除去することでカビが生えたりするのを防ぎ、長期間の保存に耐えるように処理をする工場のこと。

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豊乾繭協(豊乾繭場)は、山梨市にあった乾繭施設を、昭和32年5月に198万円で譲りうけて豊農協構内に建設されたものです。
乾繭場は製糸工場内に設けられる場合もありますが、こちらの豊乾繭場は、特定の製糸場の施設というものではなく、豊乾繭組合(農協)が、この乾繭場で周辺農家から集めた繭を乾燥させて倉庫に貯蔵し、近隣に多数あった製糸工場に供給していたようです。
山梨蚕糸業概史に載っている昭和33年調べ製糸場一覧をみると、現在の南アルプス市域に当時存在した製糸工場は19ヵ所もありました。
加えて、周辺は昭和40年代まで大養蚕地帯でもあったので、それら製糸場と養蚕農家をつなぐための組合組織の乾繭場が存在したことは、櫛形地区豊地区が山梨県西郡地区における蚕糸業の中心地であったことを示しています。

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