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11.原方

暮らし・産業・文化

ボロ電

通称「ボロ電」とは、昭和5年から昭和37年までの32年間、西郡を甲府方面・峡南方面へと結んでいた路面電車のことです。
運行会社は、山梨電気鉄道→峡西電気鉄道→山梨交通へと変遷しました。

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では、まず、「巨摩高校前駅」のあった場所について紹介します。
巨摩高校前駅は、現在コミュニティバスの富士見町バス停のある場所に存在しました。
巨摩高校前駅跡では、ホームの痕跡も見つけることができます。ホームの部分と思われる場所の東側にまわってみると、下部に石積みのようなものが見えます
次に、「倉庫町駅」のあった場所について紹介します。
倉庫町駅は、現在の桃園交差点の北西部に存在したといわれています。
この倉庫町周辺には、泰平館・石原・甲西社・天行館・グンゼ飯野工場・齊藤・巨摩社などの大製糸場がボロ電操業期間に存在したので、そこで働いていた多くの工女さんたちもこの倉庫町駅を利用したと考えられます。
最後に、「甲斐飯野駅」のあった場所について紹介します。
この駅は、ボロ電の開業からずっと飯野驛とよばれていましたが、昭和25年9月から、国鉄との連携運輸開始に伴い、駅名が「甲斐飯野駅」に改名されました。
実は、昭和23年に製造されたボロ電の車両が、現在走っているコミュニティバスの塗装でよみがえっています。
このコミュニティバスに乗って市内を走ると、50年以上前に走ったボロ電に本当に乗っている気分になれます。

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