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14.行き交うヒトとモノ

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大正期の園芸講習会修了証

大正時代に白根地区西野村の若者が、愛知県に温室栽培を学びに行き、手にした園芸講習会の終了証です。
[「大正14年第十七回園芸講習会修了書」(西野功刀幹浩家資料・南アルプス市文化財課所蔵)]


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この終了証を受けた功刀七内氏は、南アルプス市にはじめてガラス温室栽培を導入した人物の一人。
彼が自ら執筆した白根町誌(昭和44年刊)には、「大正13年初秋に愛知県の清州試験場に温室栽培を学びに出かけ、その1か月余りの研修中に、温室葡萄栽培に着目し、清州試験場に新築されたガラス温室を設計図に作成して帰宅した。翌大正14年3月には西野村字池尻の桑畑にに30坪のガラス温室をはじめて建てた。」とあります。しかし、終了証に記載されている年月日は、大正14年8月と15年7月となっていますので、すでに西野村において初めての硝子温室が功刀家によって建設された後の授与です。そのため、第16回は愛知県で行われたとしても、第17回と第18回の日本園芸会による講習会が、どこで行われたものであるかは残念ながら記載がないので不明です。
[「大正15年第十八回園芸講習会修了書」(西野功刀幹浩家資料・南アルプス市文化財課所蔵)]
ここで注目して欲しいのは第18回の講習会で行われた科目名です。
 『硝子室ブドウ栽培・蔬菜促成栽培・蔬菜軟化栽培・硝子室メロン栽培・マッシュルーム茸栽培・硝子室切花栽培』の6科目を受講したことがわかりますね。
いずれも、露地栽培から脱却し、特殊な設備を必要とする、近代的な栽培技術の習得を目指してものであったことがわかります。外気を遮断し日光を取り入れて温度管理できる硝子室や、「アスパラ」や「うど」などを育てる軟化栽培技術に必要な日光を遮断する施設、マッシュルームの人工栽培など、未知の新しい農業の導入に意欲的に学んだ、西野村の七内青年の姿が浮かび上がります。
[「昭和初期の西野功刀家のガラス温室群」(西野功刀幹浩家資料・南アルプス市文化財課所蔵)]
彼の当初の最大の目的は、「硝子室による葡萄栽培の技術取得」だったそうです。しかし、この講習会で同時に受講した「メロン栽培の技術」が、その後の昭和初期のにしごおり果樹産業において大きな恩恵をもたらしたのでした。
[「昭和初期ガラス温室内の葡萄苗木(外には積雪がみえる)」(西野功刀幹浩家資料・南アルプス市文化財課所蔵)]
第17回園芸講習会の終了証が授与された大正14年には、すでに実家のある西野村では、前年の3月に建設したガラス温室でブドウの苗木を植えており、その樹間にさんまの樽を置いてメロンの栽培もすぐに開始することができたというわけです。
[「大正14年葡萄苗の間に置かれたさんま樽で試作した初期メロン栽培」(白根町誌より)]
当初のメロン栽培導入は、温室ぶどう栽培を目指す過程で結実するまでに2~3年かかる間の収入を補うための臨時導入でしたが、その利益率の高いことがすぐに判明して、西野村での硝子室栽培が葡萄ではなくメロンが主体になっていく発端となりました。
七内氏が園芸講習でぶどうと同時に学んだメロン栽培技術を即時に生かせたことが、商機を呼んだのでしょう。
[「葡萄苗の間に置かれたさんま樽で育成した初期メロン栽培」(西野芦澤家資料)]

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