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4.武田氏と家臣団の足跡

戦国時代の史跡を歩く

武藤三河守屋敷跡

阿弥陀寺は武藤三河守ゆかりの寺院といわれ、以下、武藤家の詳細、武藤家の養子であった真田昌幸についてご紹介します。
真田(武藤)喜兵衛尉昌幸と弥陀寺

大坂冬の陣において、大坂城にいわゆる「真田丸」を築き奮戦したことで知られる真田信繁(通称幸村)の父昌幸は、真田家の三男でしたが信玄の信頼厚く、当主の夭折した武田親類衆の武藤家を継いだのです。

 昌幸は天文十六年(一五四七)出生。永禄四年(一五六一)の第四回川中島戦で初陣を果たしたといいます(十五歳)。武藤の名跡を継いだ時期は不明ですが、史料には元亀三年(一五七二)から武藤喜兵衛尉とみえます(二十六歳)。その後天正三年(一五七五)長篠合戦で真田の長男信綱、次男昌輝が戦死したことを受けて、真田に復姓しました(二十八歳)。慶長十六年(一六一一)没。享年六十五才。
 戦国期の武藤氏は、武田信玄の生母大井夫人の実弟で大井信達の息子、優れた歌人としても知られた三郎左衛門尉信堯が、絶えていた武藤の名跡を許されたことに始まるといいます。武藤氏の本拠は、現在の南アルプス市落合~荊沢周辺と考えられることから、養子時代の昌幸が南アルプス市内に暮らしていた可能性は高く、若き日の昌幸と南アルプス市のゆかりをうかがうことができます。
阿弥陀寺は、武田家の奉行を勤め、昌幸の後に武藤を継いだとされる武藤三河守が、甲斐源氏加賀美遠光の崇敬した阿弥陀堂を整備したものといわれ、武藤氏の菩提寺です。
※なお、一部新聞報道において音声ガイドが聞こえるとありましたが、音声ガイドは現在準備中ですのでまだご利用できません。

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