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5.むかし 飛行場があった

戦争遺跡「ロタコ」を歩く

三宮神社

滑走路南端にあり、御勅使川扇状地上の数少ないランドマークとして、建設工事に動員された地域住民や学生の集合場所のひとつとなった。

滑走路の南端付近は、浅い谷状の地形を埋め立てて造成されており、現在でも当時の盛土の様子をよく残しています。
造成工事にはスコップや「ジョレン」などの道具を用いて行い、土の運搬は「パイスケ」と呼ばれる天秤棒状の道具や「チョウセングルマ」と呼ばれた二輪の手押車やトロッコが活用されました。
造成後はローラーによる締め固めが行われていた部分もあったようです。


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ロタコは、今から70年余り前、アジア太平洋戦争末期、米軍の空襲などから軍事施設を守るための分散疎開や日本の本土防衛が検討されるなかで、旧日本陸軍によって建設が計画された飛行場や横穴壕をはじめとする施設群の総称です。旧陸軍の記録には秘匿飛行場として、「御勅使河原飛行場(みだいがわらひこうじょう)」の名で記載され、その名称は「第2立川航空廠(こうくうしょう)」を示す暗号名ともいわれていますが、当時はこの工事のことを示す「ロタコ」という呼び方が、地域の人々の間に非常に広く浸透していました。

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