パソコンからはもちろん、実際に歩きながら携帯電話からもアクセスしながら楽しめるサービスです。
1.水とともに生きる
治水・利水の知恵
2.眺望の魅力 市之瀬台地
25000年の暮らしを紡ぐ
3.時代を駆ける武士団
甲斐源氏ゆかりの史跡を歩く
4.武田氏と家臣団の足跡
戦国時代の史跡を歩く
5.むかし 飛行場があった
戦争遺跡「ロタコ」を歩く
6.弘法大師伝説
弘法大師伝説ゆかりの史跡を歩く
7.山への信仰と伝説に彩られた山里を歩く
8.神々が宿る高尾の世界
山奥の不思議な神社を知っていますか?
9.山方
暮らし・産業・文化
10.根方
11.原方
12.田方
13.祭りと祈り
14.行き交うヒトとモノ
交通
ご登録済みの会員様はこちらよりログインすることができます。
※アンケート・クイズへのご参加は会員登録が必要です。
ログインID、パスワードがわからなくなった方は、こちらにメールアドレスを入力して「再発行」ボタンを押すと、ご登録のメールアドレスへIDと再発行されたパスワードをお送りいたします。
秋山光朝は、若草地区加賀美に居を構えた加賀美遠光の長男で、同じく遠光の子、小笠原長清の兄にあたります。光朝自身は現在の甲西地区秋山を拠点とし、現在の秋山熊野神社がその館跡だったといわれています。雨鳴城はその館の西側にせまる雨鳴山の尾根上にあり、さらに奥の城山山頂にある「中野城」とともに、有事の際に立て篭もるための城だったといわれています。
実際に、鎌倉幕府ができる過程で、初代将軍となる源頼朝は甲斐源氏の強大な勢力を警戒し、自らの基盤を固めるため、甲斐源氏の有力武将を次々と失脚させますが、光朝もまた平家との関係が深かったことなどを理由に、鎌倉方に攻められ、雨鳴城もしくはその後背に構えた中野城に追い詰められて自害したと伝えられます。
○博アーカイブはこちら