パソコンからはもちろん、実際に歩きながら携帯電話からもアクセスしながら楽しめるサービスです。
1.水とともに生きる
治水・利水の知恵
2.眺望の魅力 市之瀬台地
25000年の暮らしを紡ぐ
3.時代を駆ける武士団
甲斐源氏ゆかりの史跡を歩く
4.武田氏と家臣団の足跡
戦国時代の史跡を歩く
5.むかし 飛行場があった
戦争遺跡「ロタコ」を歩く
6.弘法大師伝説
弘法大師伝説ゆかりの史跡を歩く
7.山への信仰と伝説に彩られた山里を歩く
8.神々が宿る高尾の世界
山奥の不思議な神社を知っていますか?
9.山方
暮らし・産業・文化
10.根方
11.原方
12.田方
13.祭りと祈り
14.行き交うヒトとモノ
交通
ご登録済みの会員様はこちらよりログインすることができます。
※アンケート・クイズへのご参加は会員登録が必要です。
ログインID、パスワードがわからなくなった方は、こちらにメールアドレスを入力して「再発行」ボタンを押すと、ご登録のメールアドレスへIDと再発行されたパスワードをお送りいたします。
「吾妻鏡」によれば、治承・寿永の内乱以降は、弟の長清と共に京で平清盛の四男に仕えており後世の資料の「甲斐国志」では清盛の嫡男 重盛の娘を娶ったと伝えられるなど、平氏政権の一翼を担っていたと考えられます。
こうした状況からか、治承四年(一一八〇)の頼朝挙兵時に長清が比較的早く京を離れ頼朝と合流したのに対し、光朝は京に留まり、是が後に頼朝から疎まれる要因となったと言われています。
文治元年(一一八五)に頼朝が弟の範頼に出した手紙には「光朝は、平家につき、又木曽に付きて、心不善につかいたりし人にて候えば、所知など奉るべきには及ばぬ人」と厳しく評されています。
この後の光朝の動向や没年などはわかっていません。
○博アーカイブはこちら