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徳島堰ウォーク#6 釜無川右岸第二調整池~徳島堰流末地点

釜無川右岸第二調整池
南アルプス市飯野新田地区に入った徳島堰は最後の任務に向けて第二調整池へ分水をしていきます!しかしよく見ると調整池といっているのに溜まっている水の姿が見えないどころか、一面綺麗に整地されたグランドになってしまってるのは一体!?・・。実は第二調整地はこのグランドの地下に貯水のタンクが作られており、グランド自体は地域の人たちへ無料で開放しているとのこと。どこまでも地域想いで太っ腹な徳島堰!この調整ここでも貯められた水たちは地下パイプライン網を通ってスプリンクラーへと送られていきます。頭首工からここまで約16kmの旅路の中幾度となく難所を乗り越えながら、髄所で取水の任務を果たしてきた徳島堰。最後の大役を無事勤め上げてそのエンディングへと進んでいきます!


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在家塚村小倉沢戸水門所
徳島堰の在家塚取水口から取水された水たちは東に向かい、県道42号線(韮崎南アルプス富士川線)飯野新田の交差点を過ぎたすぐ東の水門へと差しかかります。その水門から東、果樹園が広がっている地域へと、櫛目のように5本の水路が延びています。徳島堰から東へと向かっていた水が、水門を起点に『テイドウ』『ジョウセギ(上堰)』『チュウセギ(中堰)』『ゲセギ(下堰)』『ヤブセギ(藪席)』とそれぞれに名前のつく5本の堰に枝分かれして、「お月夜でも焼ける」といわれた原七郷の地を潤してきたのです。これらの水路は『タガシラセギ』と呼ばれ、扇状地のど真ん中、在家塚での新田開発を可能にしたほか、明治、大正、昭和の水田用灌漑施設として使われ、その後の時代の移り変わりとともに、桑栽培、果樹栽培用へと使われ続けています。
徳島堰沿いに立つ利水タンク
釜無川右岸第二調整池を過ぎた徳島堰沿いには大きな利水タンクが現れます。徳島堰の水をくみ上げている利水タンクで、SSなど農業用に使用されています。地下に潜ったりくみ上げられて散布されたり、本当に様々な形で徳島堰の水が活用されているのです!
徳島堰流末地点
第二調整地を過ぎた徳島堰の水たちはゆっくりと流末地点へと指しかかっていきます。最終、急激に高度を下げ勢いよく流れ落ちていく徳島堰。下流に向かって右手から流れてくる小河川と合流し、ここで「堰尻川」と名前を改める地点で、徳島堰の長かった旅路はエンディングを迎えます。徳島堰の流末で成る川だから「堰尻川」と言うのでしょう。堰尻川はさらに下流で滝沢川と名前を改め、最終的にまたもとの釜無川へと還っていくことになります。
全長約17㎞というこの徳島堰が開削されたことで、一体どれほどの人々の暮らしが守られ、そして豊かになってきたことでしょう。この南アルプス市がフルーツの一大産地として発展してこられたのも、偏に徳島堰がこの町を潤し続けてきてくれたからといっても良いでしょう。開削から現在まで350年間もの間、逆境に屈することなく安定した水の供給を目指し様々な英知や技術を注いでこられた先人の方たちに感謝と敬意を表します。

そして何より長い長い旅路をともに歩いてきた徳島堰の水たち!
本当にありがとう!そして本当におつかれさま。

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