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時代で選ぶ - 昭和

西野小学校榊小大正15年の運動会プログラム

大正5年の櫛形地区榊小学校運動会プログラムと大正15年の西野小学校運動会プログラム。昭和50年代くらいまでは10月10日、スポーツの日前後が多かったようです。


○博アーカイブはこちら
表紙からみていくと、運動会は大正5年の榊小学校では10月25日、大正15年の西野小学校では10月25日の開催。
両プログラムとも、近隣の印刷屋さんが寄贈したものだということが判ります。ちなみに西野小学校のプログラムを寄贈した「丹頂堂印刷部」は、現在の市川三郷町にある老舗の印刷屋さんで、現在も市川大門の「中線」とよばれる目抜き通りを歩くと、通りに面した千本格子のひときわ美しい2階建ての蔵屋敷を見ることができます。明治以降の公文書などを整理していると、この「丹頂堂印刷部」の銘入りの特製罫紙(縦書き用の罫線の印刷された用紙)をよく見かけます。
以下に、運動会競技順序の中身から読み取れることを5点記しておきます。
1 西野小学校は徒競走の距離をメートルで表しているが、10年前の大正5年の榊小学校ではまだ、100メートル競走が「一丁競争」と記されている。

2 榊小学校より10年後開催の大正15年西野小学校プログラムでは、「メディシンボール」「メンタルテスト」とか「スケーヂングダンス」などのような外来語の種目が増えている一方で、「軍艦」「軍歌行進」の種目も時代背景が反映されているのかもしれない。

3 両プログラムに共通するのは、一日に行う競技種目が非常に多いこと。かなり時間的にタイトな行事だったと考えられる。現在の小学校運動会では、この半分ほどの競技数だと思う。

4 「珍無類」「狐の角力」「桃太郎」(榊小学校)、「お家忘れた」「山の飴屋」「十三夜」「銀の月夜」「金魚と鶏」(西野小学校)など、日本的情緒のある名の競技はいったいどんなものなのか興味深い。

5 西野小学校運動会では、児童以外であるが、西野青年や今諏訪青年、處女会など地域の人々も参加している。
(特に、西野青年の競技種目名「あゝ樽よ」は、大正15年当時行っていたメロン栽培の、苗を植えたサンマ樽との関連性を彷彿させる)
今日は大正5年と15年の現南アルプス市内の小学校運動会プログラムを2点見比べてみましたが、明治19年頃からはじまり、全国で行われるようになった運動会も、日本ではもうすでに100年以上も行われてきた民俗行事だと言えると思います。
明治以降に教育制度が始まったばかりで運動場も整っていない当時では、地域住民の力を得ないと開催できない場合も多く、自然と、小学校の運動会を地域行事としての位置づけで行う状況があったようです。

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