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市内に広がる曾我物語の世界

 加賀美遠光や小笠原長清などの南アルプス市の甲斐源氏が活躍していた時代に、曽我兄弟の仇討ち事件が富士山麓で起こります。この仇討ちをまとめた「曽我物語」の中には、南アルプス市と深いかかわりのある人物が重要な脇役として登場します。芦安地区の「虎御前」と野牛島地区の「御所五郎丸」。地元に伝えられる歴史上の人物は、歌舞伎の演目でも有名な『曾我物語』の主要キャストです。
 『曾我物語』とは曾我兄弟が父親の仇を討つ物語です。皆さんご存知の赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つに挙げられます。仇討ちは『吾妻鏡』にも記録されていますが、物語の成立時期ははっきりしていません。鎌倉時代の終わり頃に物語としてまとめられ、時代とともに様々なエピソードが加えられながら、江戸時代に現在の形に落ち着いていったようです。(写真は、祐経を討ち取る曽我兄弟 歌川広重「曽我物語図絵」)


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 現在、野牛島集落に建つ観音堂には五郎丸の肌守りと言われる地蔵菩薩の木像が祀られ、お堂の傍らには五郎丸の墓が建てられています。観音堂前のビャクシンは、五郎丸が突いた杖が成長したとの言い伝えもあります。虎御前と同じように五郎丸も地元の人々から慕われ、毎年7月23日、野牛島地区の人たちによって五郎丸を供養するお祭りが開かれています。
写真は、県指定天然記念物の「野牛島のビャクシン」。
 根廻り   五・〇メートル
 目通り   三・八メートル
 樹 高  一四・〇メートル(平成30年3月計測)
 ビャクシンはヒノキ科の高木であるイブキの一品種(常緑の針葉樹)で、樹形の美しさなどから庭園や寺社境内に植えられることが多い。この樹は、県下でも有数のビャクシンの巨樹であり、傍らには鎌倉時代の武士「御所五郎丸」(ごしょごろうまる)の墓と伝わる石塔と、持仏を祀る観音堂が所在する。
 地域には、かつてこの地に流された御所五郎丸が、持っていた杖をこの場所にさしたところ、それが根付いて、現在の大きなビャクシンになったという伝承が残されている。
 曾我兄弟の兄十郎の恋人として登場する虎御前は、大磯の長者の娘で、後に成長して街道一の美女と言われる遊女となりました。この虎御前、芦安地区の伝承では芦安安通の生まれで、縁あって大磯にある長者の養女となったと語られています。大磯で十郎の訃報を聞いた虎御前は、まだ一九歳でしたがその悲しさのあまり尼となり、兄弟の菩提を弔うため信濃善光寺に向かいます。その旅の途中と参拝後、生まれ故郷の安通村へ立ち寄り、兄弟の追善供養を続けたといわれています。曾我氏や虎御前を祀る安通の伊豆神社跡近くには、虎御前が鏡を立てて化粧をしたという「虎御前の鏡立石」を今でも見ることができます。一方、芦安地区大曽利の諏訪神社には、伊豆神社から移された曾我十郎と虎御前と伝えられる二体の木像が納められています。
(写真は、市指定文化財「伝曾我十郎・伝虎御御前木造」)
 なぜ曾我物語の登場人物に関わる史跡が芦安と野牛島にあるのか。虎御前については、『異本曾我物語』に「大草郷芦倉・奈良田村などは、工藤庄司が知行書なり。」との記述があり、伊藤氏や河津氏と同族である工藤氏が芦安を所領していたことから、兄弟の霊を鎮魂するため、工藤氏が伊豆神社や木像を作らせたのではないかとの説もあります。五郎丸については、『甲斐国志』では五郎丸が甲斐源氏一条忠頼に一時仕えていたため、その領地である地に流されたとの見解をとっています。五郎丸と直接結びつくかは不明ですが、野牛島・西ノ久保遺跡で平安時代末の和鏡と刀子を副葬した土坑墓が並んで発見され、和鏡という極めて貴重な副葬品から、広範囲のネットワークを持つ有力者がいたことが明らかとなっています。この鏡は、今後甲斐源氏と御所五郎丸の新たな歴史を映しだす手がかりになるかもしれません。

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