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花卉栽培の歴史

南アルプス市域の北西部で現在10軒ほどの花卉栽培農家があり、鉢植えの花栽培では県内一の生産量を誇っています。

施設を使っての花卉栽培は季節を問わず一年中仕事ができることと、利益率が良いことが魅力です。


○博アーカイブはこちら
旧源村周辺(現在の南アルプス市白根地区北西部)での花卉栽培は、昭和20年代末より、白根地区飯丘で切花(菊)を栽培する農家が現れたのが起源です。

半促成栽培の露地もので、夏・秋の菊の切花栽培がはじまった当時の設備は、室(ムロ)のような屋根付きの簡単な囲い程度の装置で「フレーム栽培(昭和44年発行の白根町誌では「シェード栽培」と記載)」とよばれるものでした。

 根方と呼ばれる山のすそ野であるこの地域では、日照時間が短く夜間の気温が冷えること、さらに冷たい北風の八ヶ岳颪がさえぎられるので、フレーム栽培での半促成栽培に適していました。

近隣では、大正時代にはじまったメロンのガラス温室栽培の設備を転用して花栽培に切り替えていった農家もあり、徐々に本格的に花卉栽培を行う農家が増えはじめます。

[画像:個人所有]
フレーム栽培の菊の生産が順調に伸びる中、年間を通して花卉栽培が行えるようにと、昭和30年代中ごろから40年代初めにかけて簡易型のビニールハウスが作られるようになりました。

この簡易型のビニールハウスは「静岡型ハウス」と(昭和44年発行の白根町誌では「竹ほろ式」と記述)と呼ばれ、骨組みの主要部分は鉄骨や木材ですが細かいところは竹を使用している脆弱な造りでしたので、春先の水分を多く含んだ重い雪でつぶれてしまうことがたびたびあったそうです。
 
昭和40年代以降は、静岡型ハウスよりも強固な、総鉄骨ビニールハウスが多く建てられ、自動潅水施設や冬季暖房施設も取り入れた大規模な施設園芸による本格的な花卉栽培が地区をあげてはじまった時期でした。

[画像:個人所有]
一方で同時期には、田畑をスモモ畑に造成して養蚕と果樹栽培の2本柱にして経営を行う農家も多かったのですが、
切花だけでなくシクラメンなどの鉢物の生産でも実績をあげてきた花卉栽培の方が「土地面積当たりの収益率が果物の10倍」といわれるようになり、昭和50年代に入ると、養蚕だけでなく果樹栽培もやめて、花卉栽培をはじめる家が急増しました。

 平成6年には、有野で「SFC(白根・フラワー・コーポラティブ)」が結成され、5軒が共同で施設園芸栽培を行うグループができました。
2億3000万かけて2000坪の花卉栽培用の施設を造って共同で作業し、勉強したことの意義は大きかったといいます。グループ内皆の技術が向上し、安定的に生産できるようになったそうです。

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