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銀座千疋屋でも売られた西野の温室葡萄

江戸時代から柿の野売りで知られていた南アルプス市白根地区西野では、明治40年代にはサクランボやモモの栽培も軌道に乗り初め、果実郷といわれるようになっていましたが、大正14年からは全国的にもいち早く温室栽培も導入しました。
南アルプス市の温室栽培史上、昭和16年頃に全盛期であったメロン栽培が最も知られていますが、そもそもメロンを栽培しようとしてガラス温室を大正14年に導入したわけではありません。


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甲府市櫻町九番地にあった中村果実店の出した『葡萄果の白眉 高級果実 温室葡萄』の広告。派手な彩色はないけれど、葡萄のつるを連想させるような独特なフォントに魅せられます。内容は
『一度召上がれば忘れられぬ風味の所有者であります。
果実培養に雨風寒暖を意の如く人為により調和し得るものは温室であります。
此特種装置により意の侭に結果せる温室葡萄のおいしさを是非御一度御試食を仰きます。』
と記されています。特殊装置の硝子室でつくられた葡萄はどんな味がするのでしょう。
昭和8年に温室栽培を南アルプス市で最初にはじめた西野村の功刀家が、『供天覧』の目的で温室葡萄を宮内庁に献上した際の文書を見ると「副申書」が付されています。そこには献上品の来歴として「功刀家が大正14年春に温室栽培に成功し、その有望を一般に喧伝しその誘導に努めたところ、(西野村では)昭和8年現在には温室は五千坪、年収穫高は五万円越えし、益々増加の傾向にあり」と書かれています。
献上者の功刀七朗は大正14年温室葡萄栽培を目指して西野村に硝子室を建設し、3月30日に岡山の種苗木商と興津園芸試験場より葡萄苗(マスカットオブアレキサンドリア・グローコールマン・マスカットハンブルグ・ホスターシイドリング)を取り寄せ植えています(白根町誌より)。
その後、マスカットオブアレキサンドリアとグローコールマンの2種に選定した模様です。功刀家の資料にはこの2種のブドウの結実果の写真も残っており、献上したのと同じ年の昭和8年12月17日には銀座千疋屋とグローコールマン3610匁を50円で取引していたことが当時の伝票から判ります。
そして、功刀家の温室葡萄献上がきっかけとなったのかは不明ですが、翌年の昭和9年には、功刀家の温室栽培を朝鮮王族が視察に訪れるまでになりました。ただし、この昭和9年にはブドウとメロン両方の温室栽培をご覧いただいたのだと思います。

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