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地方病と溝渠のコンクリート化

山梨で明治20年頃から「地方病」と呼ばれはじめた病は、日本住血吸虫症というのが正式名で、お腹に水がたまり死に至る恐ろしい病気でした。この地方病との闘いが終息したと山梨県が宣言したのは、平成8年のことです。この病を克服する作戦が本格的にはじまって、100年以上もかかったのです。


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じつは、大正の初めころには、「地方病をやっつけるには、日本住血吸虫をその体内で生育・媒介するミヤイリガイを撲滅することが最も良い方策である」ということが判明していました。しかし、生息地域の広い山梨県では、戦後になってもなかなか駆除が進みませんでした。
 ミヤイリガイを駆除するために、様々な刹貝方法が試みられたのは大正時代初期からです。米粒のように小さなミヤイリガイを拾い集めて焼くことが行われたり、刹貝剤となる石灰を撒いたりしました。
戦後には、火炎焼却機で貝を焼き殺したり、「ピ-シーピー」と呼ばれた薬剤を使って、溝やあぜ、田んぼの中のミヤイリガイを殺す事業が積極的に行われました。「ピーシーピー」というのは、「ペンタクロロフェノールナトリウム」という名の薬剤のことで、昭和20年代終わり頃から石灰に代わり刹貝剤として使用されましたが、魚毒性が問題となり、昭和48年には使用されなくなっています。
その後も、様々な薬剤散布を試行したミヤイリガイの刹貝ですが、他県発生地に比べ有病地の広い山梨県では撲滅には至りません。
結局、ミヤイリガイ対策として最も効果を上げたのは、撲滅できなくとも個体数を減らすために、生息に不向きな環境をつくることでした。有病地にコンクリートで塗り固めた地方病予防溝渠を張り巡らす事業を行ったのです。
昭和24年から南アルプス市(白根地区飯野)で試験的に始まった用水路のコンクリート化は、ミヤイリガイの駆除に有効でした。溝をコンクリート化して直線化すると水の流れが速くなり、流れの穏やかな場所に生息するミヤイリガイを減らすことができました。
しかし、この、水路コンクリート化事業は、多額の財源も必要だったこと等から、政治家たちの力も得なければ実現できませんでした。
なかでも、西郡地域の地方病治療の拠点でもあった若草地区鏡中條の小野洗心堂医院の小野徹氏は、医師として駆虫薬スチブナールによる地方病患者の治療にあたり、県医師会長・山梨地方病撲滅協力会初代会長等を歴任する傍ら、昭和24年から29年までは鏡中條村長の職にも就くなどして、地方病撲滅事業を、市町村・県・政府に重点施策とするよう説き、溝のコンクリート化実現を強力に推し進めました。
「地方病の撲滅は中間宿主のミヤイリガイ対策であること=そのために大規模な溝渠コンクリート化土木事業が必要である」という、この施策を、患者の苦しみを直に知る医師でもある立場からの発言として、政治に訴え、実現させた鏡中條洗心堂医院の小野徹氏は、地方病撲滅に非常に大きな功績を残した西郡の先人といえます。
その結果、昭和31年にはコンクリート化事業が法制化され、国庫補助での事業が本格化し、昭和60年頃迄に累計100億円を突破する莫大な費用がかけられました。
9昭和54年以降には新規患者は発見されなくなっており、平成8年の終息宣言への運びとなり、コンクリート化事業は終了しました。
地方病予防溝渠の県内総延長は、すごいことに、2000㎞にも及びます。 東京から石垣島くらいまでの距離らしいです。

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