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上八田の葱苗畑

 上八田には、原七郷伝統の葱苗栽培の様子を物語る貴重な現場が一ヶ所遺されており、桃畑の樹間に葱の苗がびっしり植えられているのを見ることができます。


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 信玄の時代から行われたといわれる、米がとれない西郡・原七郷(にしごおり・はらしちごう)の住民による「柿の野売り」は有名ですが、
特に上八田では、『古くから野菜地として知られ、特に葱苗は名高い(「行商人の生活」 昭和45年 塚原美村著 雄山閣より)』と文献にあり、柿とともに「葱苗の野売り」も盛んに行われていました。
柿の野売りは大正時代のはじめに途絶えましたが、上八田の葱苗の野売りは、昭和40年代はじめ位までは行われていたようです。12月に干し柿の出荷が終われば、5月の小梅か6月のサクランボまで何も収入がないので、新年度のはじまりで何かと子供たちに入用の金をまかなうには、春先の葱苗売りをはじめとする行商は必要だったからです。
 西郡(にしごおり)の人の気性を象徴するとされる、「西郡の葱苗根性」という言葉があります。
これは、「西郡の葱売りはどんなにその日の売れ行きが芳しくなくても、最後まで値を下げることをしない。値を下げるくらいなら、売らずに釜無川に捨ててしまう」という逸話からきているそうですが、
これは、葱苗価格の暴落を防ぐための、西郡の人々の間で示し合わされた自衛策(知恵)だったそうです。
 少量を女子供で歩いて売りに行く甲府方面に比べて、寒さの厳しい現在の北杜市方面では葱苗が冬の間育たないので、上八田で栽培されたものが2月の終わりから3月にかけてたいへん需要があり、昭和30年代以降は、大人の男たちがトラックで大量に運んで売ったそうです。

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