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10.根方

暮らし・産業・文化

椿城跡

上野の地に小笠原長清の孫盛長によって築かれた城で上野城といい、周りに椿の花が多かったことから別名椿城とも呼ばれています。
 鎌倉時代のもので、細長い台地の上に堀や土塁で各スペースが区切られていたもので、石垣や天守閣があるようなものとは違います。堀や土塁の位置はレーダー探査によっておおよその位置が把握されています(写真)。
 周辺には地下式坑といって地下室が転々と造られており、時々陥没することから椿城には秘密の抜け穴があると伝えられてきました。市指定史跡。


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椿城跡(本重寺)
朱色に光る屋根が特徴の本重寺。もともとは本覚寺といい、鎌倉時代、秋山光朝の子とされる光定によって建てられた日蓮宗のお寺です。
 光定が日興上人から譲り受けた板本尊(いたほんぞん)は市の文化財に指定されています。武田晴信の母大井夫人の父親でもある大井信達(のぶさと)の法名が「本秀院」とあることから、寺院名を変える際に本重寺としたと伝わります。
椿城跡(五輪塔群)
小笠原長清の孫盛長が城を構えたといわれ、上野盛長と称するようになります。上野家は3代で途絶え、その後は養子を取った秋山家へと移ります。道の北側には代々秋山家が守る五輪等群があります。
本重寺墓地北側には大井信達をはじめ大井一族のものと伝わる五輪塔群もあります。
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