奈良・平安時代から中世までの集落跡。奈良・平安時代の住居跡は現在の甲西バイパスより西側に広がるのに対し、中世の溝跡や土坑墓はより能蔵池に近いバイパスの東側を中心に発見されている。野牛島集落の発祥は能蔵池北側であるとの伝承があるが、遺跡の調査結果からその伝承は中世以降能蔵池周辺に集落が移動した後の状況を伝えていると考えられる。写真は平安時代の住居跡。
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平成5・6年発掘調査実施
現甲西バイパス・中部横断道
弥生時代から平安時代のムラの跡
弥生時代中期の地震の痕跡や古墳時代後期の祭祀跡、平安時代の水田跡などが発見され、弥生時代から連綿と生活が営まれていたことがわかります。
(写真は山梨県立考古博物館所蔵)
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水の豊かな湧水地帯を利用して営まれた、弥生時代から江戸時代までの水田跡が発見されています。
水田は、現在と比べ非常に小さく、畦で囲まれた一枚の水田は最大でも6m×5m程度でした。
当時の技術では広大な面積を整地するのが困難だったのです。
わずかな地形の勾配にも苦労しながら、新天地を開墾していった弥生人の姿が垣間見られます。
(写真は山梨県立考古博物館所蔵)
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寺記によれば、奈良時代に華厳宗の寺院として開山されましたがその後荒廃し、16世紀の初めに悦堂和尚が曹洞宗寺院として再興しました。境内には武田信虎に仕えたと伝えられる武将、名取将監の墓があります。
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「ふるさと文化伝承館」が新しく生まれ変わって平成21年6月にリニューアルオープンしました。
愛称は「みなでん」
これからも皆さんとともに作り上げたい!という願いもこめて
「み・ん・な・で、み・な・で・ん」
って覚えてください!
世界的に知られる国重要文化財の「鋳物師屋遺跡出土品」をはじめ、市内の遺跡から出土した土器や石器、昔懐かしい民具などを展示しています。
当館では展示パネルを少なくし、スタッフによる展示案内などお客様とのコミュニケーションを大切にしています。不必要な場合にはお申し付けいただき、また、ご質問などはお気軽にお問い合わせいただければと思います。
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