石積出の中で、最も上流に築かれた石積みの堤防。現存している長さは約70m。3段構造で、2段目に石の大きさ、積み方の違いが見られ、少なくとも2回修復されていることがわかる。
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二段積みの石積み堤防。現存している長さは約100m。先端部の一部が発掘されており、堤防の基礎を守る根固めに井桁状に丸太を組み合わせ、中に石を詰める「木工沈床」が用いられていることがわかっている。
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今から約1400年前の古墳で、墳丘はほぼ削平され、横穴式石室の周囲で東西4.5m、南北8.9m、高さ2.3mのみが遺されています。
円墳とみられ、石室は露出しており、古くから「大西のおかま」と呼ばれていました。(「大西」というのは現在古墳の真正面にある個人宅の屋号です)
現存する石室規模は玄室の長軸が4.5m、幅は奥壁で1.58m、開口部で1.55mを測り、羨道部はほとんど遺されていません。遺物も過去に乱掘を受けており不明です。
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市之瀬台地の最上部、山地との境付近にあり市之瀬台地全体を見渡すことのできる場所に根を張るイトザクラです。
一名シダレザクラともいいます。
根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く優美です。
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市之瀬台地の最上段、中野の個人宅の庭にあつカキの木
根元の周囲5.3メートル、目通り幹囲3.5メートル。幹は空洞となり南西部を欠くが復元すれば、4メートル以上の巨木となる。この地方で「エブク」という在来種で、昔の栽培種を知る好資料です。
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山寺区にある名刹。
境内に入るとまず目を引くのは県指定文化財のマツ。古木ですので現在は支柱などの様々な保護措置を施していますが枝を広げた姿は優美そのものです。
また、奥左手のお堂にある国重要文化財「木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像」は普段は非公開ですが、平安時代終わりごろの作で、甲斐源氏加賀美遠光ゆかりのものと考えられています。
また、毘沙門天立像はその子、当地周辺を本拠としていた武将小笠原長清により作られたものと考えられています。
長清は源頼朝の命により奈良東大寺の毘沙門天(多聞天)を作らせており、本拠である小笠原の地と縁を結んだものが当寺毘沙門天立像だろうと考えられています。制作年代も鎌倉期初頭と合致しています。
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古長禅寺は正和5年(1316年)に夢窓国師が本尊釈迦如来を安置、禅刹を興したことに始まるとされています。
このビャクシン自生地は「お釈迦堂」と呼ばれており、開山当時四天王をかたどり、旧客殿前庭の四隅に約十メートルごとに植樹され、通称「夢窓国師手植えの四つビャクシン」とも呼ばれています。その伝承から、樹齢約700年といわれます。
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先端部の一部で発掘調査が実施されている。調査の結果、石積みの土台として梯子土台が用いられ、根固めには木工沈床が使われ、さらに川表側には鉄線の蛇籠が並べられていた強固な構造であることが明らかとなっている。
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山への入口に立つ栂の巨木で市指定天然記念物。かつては千年栂とも呼ばれました。根元には山の神を祀る4基の石祠が安置されています。戦国時代名取将監がこの山の神に狩りの成功を祈った伝承も残されています。
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高尾集落の北西端、標高870mの地点に穂見神社があります。
穂見神社は平安時代に編さんされた延喜式に掲載されている式内社と伝わる由緒ある神社で、その雰囲気は神々しく、高尾集落の象徴ともいえます。
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中野城は、鎌倉幕府成立期にあって、平重盛の娘を娶り重盛に仕え、平家と深い関係があったことなどから源頼朝に排斥された甲斐源氏の一流、秋山太郎光朝が鎌倉勢に追い詰められ、ついにはここで自害したとの伝承が残る古代の城址です。
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甲西地区の西端にそびえる雨鳴山。この尾根上に今から800年ほど前に活躍した甲斐源氏、秋山光朝ゆかりの山城「雨鳴城」はあります。
秋山光朝は、若草地区加賀美に居を構えた加賀美遠光の長男で、同じく遠光の子、小笠原長清の兄にあたります。光朝自身は現在の甲西地区秋山を拠点とし、現在の秋山熊野神社がその館跡だったといわれています。雨鳴城はその館の西側にせまる雨鳴山の尾根上にあり、さらに奥の城山山頂にある「中野城」とともに、有事の際に立て篭もるための城だったといわれています。
実際に、鎌倉幕府ができる過程で、初代将軍となる源頼朝は甲斐源氏の強大な勢力を警戒し、自らの基盤を固めるため、甲斐源氏の有力武将を次々と失脚させますが、光朝もまた平家との関係が深かったことなどを理由に、鎌倉方に攻められ、雨鳴城もしくはその後背に構えた中野城に追い詰められて自害したと伝えられます。
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加賀美遠光や小笠原長清などの南アルプス市の甲斐源氏が活躍していた時代に、曽我兄弟の仇討ち事件が富士山麓で起こります。この仇討ちをまとめた「曽我物語」の中には、南アルプス市と深いかかわりのある人物が重要な脇役として登場します。芦安地区の「虎御前」と野牛島地区の「御所五郎丸」。地元に伝えられる歴史上の人物は、歌舞伎の演目でも有名な『曾我物語』の主要キャストです。
『曾我物語』とは曾我兄弟が父親の仇を討つ物語です。皆さんご存知の赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つに挙げられます。仇討ちは『吾妻鏡』にも記録されていますが、物語の成立時期ははっきりしていません。鎌倉時代の終わり頃に物語としてまとめられ、時代とともに様々なエピソードが加えられながら、江戸時代に現在の形に落ち着いていったようです。(写真は、祐経を討ち取る曽我兄弟 歌川広重「曽我物語図絵」)
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本州中部のアルプスなど標高およそ2,500メートル以上の高山帯に生息している。ライチョウははじめ北方に広く棲んでいたが、氷河期とともに南下し、再び地球が暖かくなったときには大陸から独立してしまったので高山に残されたものである。昭和30年に「国の特別天然記念物」に指定されている。
生活史は、まず4月につがい形成がおこなわれ、5月から繁殖期に入ります。やがて交尾が行われ、雄が見張りをする間に雌は巣作りと産卵を行い、7月上旬にふ化し、雛はすぐに歩いて餌をついばむようになる。雄は家族と離れて雄同士で群れをつくる。したがって雌のみが雛を育てることとなる。やがて、10月には雛は一人前に成長し、ここで家族は離散する。
南アルプス北部では北岳、間の岳、農鳥岳などいわゆる白根三山をはじめ、仙丈ヶ岳、駒ヶ岳、鳳凰三山などに分布している。
学名/ライチョウ(Lagopus mutus・ライチョウ科・Tetraonidae)
指定年月日/大正12年3月7日
写真撮影/森本聖治氏
甲斐犬は大正の末期頃、虎毛の日本犬として発見された。甲斐犬の特徴として体高は32センチメートルから51センチメートル、体重は12キログラムから24キログラム、耳はやや長く、四肢は強健で飛節が発達し、尾は差尾又は巻尾、毛は虎模様で粗剛。血統が山野にクマ、イノシシ、シカなどを追う山犬だけに、猟にかけては特に優れており、また警察犬や番犬としても物覚えのよさ、主人への服従の点からも優れていると云われている。
甲斐犬の原産地は山梨県南アルプス市、早川町、上九一色村、牧丘町、甲府市宮元などの山間僻地にのみ限られているが、中でも南アルプス市のものが最も勝れていると云われている。
昭和9年1月22日、甲斐犬の優れている性質を認めて、「生きた天然記念物」に指定され、その繁殖と保護に力をいれている。
名称/ 甲斐犬
指定年月日/昭和9年1月22日
備考/「生きた天然記念物」
写真撮影/三井孝司氏
樹高25メートル、樹齢千年とも言われる。落雷を受けながらも天高く枝を張り、風土を守ってきた。「三恵の大ケヤキのように」と語り伝えられ、人生の手本にも、励ましにもなってきた。
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和2年11月30日
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古長禅寺は正和5年(1316年)に夢窓国師が本尊釈迦如来を安置、禅刹を興したことに始まる。このビャクシン植生地は「お釈迦堂」と呼ばれており、開山当時四天王をかたどり、旧客殿前庭の四隅に約十メートルごとに植樹され、通称「夢窓国師手植えの四つビャクシン」とも呼ばれている。樹齢約700年。
名称/古長禅寺のビャクシン
所在地/南アルプス市鮎沢505
所有者、管理者/古長禅寺
指定年月日/昭和28年11月14日
備考/4つのビャクシン、樹齢…700年
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本樹は能蔵池の北西隅にある。江戸彼岸桜という名称は、「東国(関東)の彼岸桜」という意味で、ゆえに「東(あづま)彼岸桜」ともいう。
根回り4.5メートル、目通り1m、樹高8メートルの大樹である。樹勢は旺盛で、毎年4月上旬に薄紅色の美しい花を咲かせる。
所在地/南アルプス市野牛島2704
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/
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西野北村小路の小野氏宅の前庭に育つ五葉松。松の種類のうち、五枚の葉を持つ種類を五葉松と称し、これはその中のヒメコマツと言う種類の樹木である。
規模は、目通り幹囲1.30メートル、根回り2.95メートル、東へ伸びる枝の長さ15メートル、樹高8.5メートル。手を尽くされ、極めて美しい庭木となっている。
所在地/南アルプス市西野1498
所有者、管理者/
指定年月日/昭和63年7月20日
備考/
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水宮神社は有野部落の北部、御勅使川近く鎮座し、水波能女命(みずはのめのみこと)を祭神とする水害防護の神社である。御勅使川は大扇状地をつくっただけに、有史以来も大氾濫をくりかえし、特に天長11年(834年)の洪水は大惨事をもたらし、救恤のため勅使が派遣された。時の国司藤原貞雄は治水に努力し、当社に配祀されている。江戸時代、有野ほか21ケ村の鎮守として、御勅使川の共同水防が行われてきた。また、当社の森社叢は、マツが主要樹木だが、その他にアサダ2本、クマシデ3本、モミ10本、ケヤキ1本で構成されたいます。この中のアサダはクマシデ科の落葉高木で、本県では珍しい樹種で貴重な存在です。
所在地/南アルプス市有野1298
所有者、管理者/水宮神社
指定年月日/昭和61年9月12日
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みそはぎ科の落葉高木で原産地は中国南部。樹皮は褐色でつやがあり、なめらか。夏から秋にかけて白色または紅色の小花をひらく。
さるもすべりそうだという意から「サルスベリ」と云われ、花期の長いことから「百日紅」とも云う。
樹高15メートル、根廻り2.8メートル、枝張り東西13.5メートル、南北10メートル。
樹齢は定ではないが、サルスベリとしては県下で数少ない大木である。
所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和62年7月1日
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神社南西部を中心にして、シラカシの群生がみられる。目通り幹囲3.4メートル、樹高23メートルを筆頭に35本が群生している。暖地性植物カシ林は、盆地周辺が北限で植物分類地理学上貴重である。
所在地/南アルプス市下宮地470
所有者、管理者/山寺八幡神社
指定年月日/昭和54年2月15日
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一名シダレザクラともいう。根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く、花色は濃い方で、樹齢約200年。
所在地/南アルプス市上市之瀬1436
所有者、管理者/上市之瀬イトザクラ保存会
指定年月日/昭和51年3月2日
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樹齢300年余。根元の周囲4.9メートル、目通り幹囲2.6メートル、樹高約12メートル。枝張りもよく東西は12メートル以上、秋の紅葉は見事である。
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所在地/南アルプス市下市之瀬240
所有者、管理者/宗林寺
指定年月日/昭和62年12月1日
神社西方の境内樹。地域ではヒガンザクラで通っている。東のモミジと共に農作業の目安として親しまれ、早春の開花は、淡紅色で見事。目通り幹囲2.8メートル、樹高15メートル、枝張りは東西16メートルに及ぶ。
所在地/南アルプス市曲輪田1077-2
所有者、管理者/曲輪田諏訪神社
指定年月日/昭和62年12月1日
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社殿前の東に位置する境内一の巨樹で御神木とされてきた。目通り幹囲5.75メートル、根廻6.80メートル、樹高45メートル、枝張り東西25メートル南北20メートル。樹型は直幹、枝張り方錐形の美形である。
所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/平成5年11月25日
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清水八幡神社境内に東西に自生する老木である。西側が夫で、かつては樹高27メートル、根回り20メートル、目通り7.4メートルを誇ったが、近年、強風により根の部分を残し倒壊してしまった。樹齢は約650年である。
東側が婦で樹高25メートル、根回り12.1メートル、目通り4.4メートル、樹齢が約450年である。境内に仲良く並んで自生しているため「夫婦ケヤキ」と呼ばれ地域に親しまれている。
所在地/南アルプス市清水92
所有者、管理者/清水区
指定年月日/昭和42年10月1日
備考/
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根回り2.6メートル、樹高14メートルで時の光昌寺住職がシャム国(タイ)よりこの地に持ち帰ったと言われている。現在秋山富士夫氏の庭園に自生しており雌樹で赤い実をつける。
所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和42年10月1日
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湯沢の平野山広誓院は文亀元年(1501年)6月に創建されたと伝えられている。
このカヤの木は根回り13メートル、目通り4.5メートル、樹高は12メートル、樹齢約500年の老木である。
所在地/南アルプス市湯沢1826
所有者、管理者/広誓院
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/
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根回り20メートル、目通り3.5メートル、樹高19メートル、樹齢500年
この松は江戸時代前期頃滝沢川左岸の岸辺に自生しており、当時水害の常襲地帯であった滝沢川より村人たちが安藤家に移植したという。
この松には明治末期頃つけられた避雷針が取り付けられており、別名「避雷針の松」と呼ばれクロマツとしては希な巨木である。
所在地/南アルプス市西南湖4302
所有者、管理者/山梨県
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/
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古市場の不動寺は弘仁年間(810年から823年)に創建された真言宗の寺院である。
その山門の西側にひっそりと自生しており、根回り1.5メートル、目通り1.2メートル樹高6メートルである。「菩提樹」は中国原産の植物で福岡県に渡り次第に全国に広がったという。
所在地/南アルプス市古市場180
所有者、管理者/不動寺
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/
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本樹は雄樹で根回り2.6メートル、樹高14メートル、地上2メートルで二幹に分かれている。葉の縁に鋭い鋸歯があることから「鋸柴」とも言う。モチノキ科に属し樹皮からとりもちを作る。
所在地/南アルプス市江原1587
所有者、管理者/法音寺
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/
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宗持山成妙寺に自生する松は垂れクロマツの傾向を持ち、根回り3.6メートル、目通り2.9メートル、樹高17メートル、樹齢約200年で地上約1メートルのところで東西2幹に分岐している。
所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/
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鮎沢の御崎稲荷明神にある当木は根回り2.9メートル、目通り2.3メートル、樹高やく7メートル、樹齢約400年と言われている。この御崎ビャクシンは毎年鮎沢1組で祭典を行っている。
所在地/南アルプス市鮎沢754
所有者、管理者/鮎沢区1組
指定年月日/昭和49年1月29日
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本清寺は正保元年(1644年)9月13日に創建されている。
根回り6メートル・目通り3.9メートル・樹高20メートル
カヤの木は音の反響が優れているので、昔から基盤や将棋盤に用いられている。
また木の実は薬用や菓子などに用いられ「カヤアメ」などはよく知られている。
所在地/南アルプス市湯沢913
所有者、管理者/本清寺
指定年月日/昭和44年1月13日
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多羅葉は葉に傷を付けると浮かび上がるので古代インドでは木針で葉に傷を付け経文を写したことからそれにたとえて多羅葉と称している。また、葉に火をつけると黒い環が現れるので紋付柴ともいわれている。
根回り2.36メートル、目通り1.41メートル、樹高12メートルである。
所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
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臨済宗善応寺の御神木として植栽されたと言われており、樹齢は少なくても500年に達していると思われる。ビャクシンはヒノキ科に入り本県では峡西地方に多く分布している。規模は、根回り幹囲5.8メートル、目通り幹囲3.48メートル、樹高17メートル。翼長は、北へ4.8メートル、南へ5メートル、東へ6メートル、西へ3.5メートル。地上2.5メートルで二つに分岐している。
所在地/ 南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/ 善応寺
指定年月日/ 昭和43年2月8日
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マツ科に属する常緑喬木で、我が国の特産で北海道から九州まで産し、中部以南に産するものをヒメコマツ、中部以北に産するものをキタゴヨウマツとして区別することもある。その材は建築、器具の料に供する。又園芸的変種が多く、庭園樹、盆栽として栽培される。本県では富士山をはじめ、各地の高山に多い。此のゴヨウマツは、根本周囲85センチ、幹囲84センチ、樹高11メートル50、枝張り東西11メートル50センチ、南北4メートル60センチ、東にのびた9メートル20センチの枝は特に見事である。(推定300年経過)
所在地/南アルプス市鏡中条461
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和45年10月26日
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この大けやきは、樹齢五百年と推測される。樹高22メートル、根廻り11.30メートル、3本の巨枝が大きく四方に延びて、東西、南北とも24メートルに及んでいる。錯綜した根は60センチメートル以上に盛り上がっている。樹勢は極めて旺盛で、壮年期性を持つ地方の崇敬の対象となっている名木である。
所在地/南アルプス市十日市場1959
所有者、管理者/石動神社
指定年月日/昭和61年3月19日
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樹齢500年。根元の周囲5.3メートル、目通り幹囲3.5メートル。幹は空洞となり南西部を欠くが復元すれば、4メートル以上の巨木となる。この地方で「エブク」という在来種で、昔の栽培種を知る好資料である。
所在地/南アルプス市中野207
所有者、管理者/
指定年月日/昭和35年11月7日
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樹種はクロマツ。根元の周囲4.8メートル、目通り幹囲3.6メートル、地上2メートルの幹囲3.8メートル、枝張りは東へ3メートル、西へ6メートル、北へ7.5メートル、南へ9メートル、樹高15.5メートル。その間、幹枝の屈曲著しく美しい樹形を呈する県下まれな名木。
所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和35年11月7日
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シロチョウ科。白色半透明で、外縁と翅脈にそって黒褐色で裏面は黄色を帯びている。幼虫はメギなどを食べる。本州中部の山岳地帯に分布するが数は少ない。櫛形山の1,000メートルから2,000メートルに生息する。
生息地/櫛形山一帯
指定年月日/昭和52年3月31日
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思い沢の北に面した斜面に自生しており、樹齢500年、根回り10メートル、枝張り、東西20メートル、樹高33メートルという大木で2本のスギが接触し癒着している珍しい現象が見ることができる。この事から縁結びの神様として古くから地域に親しまれている。
所在地/南アルプス市湯沢2248
所有者、管理者/
指定年月日/昭和53年11月7日
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マメ科/サイカチ属
サイカチの巨樹として県下において希に見るものである。
根回り4.2メートル、目通り幹囲3メートル、樹高は約6.4メートルで樹齢は300年を有している老木である。塩沢家は「茨の木大尽」と呼ばれ多くのサイカチが植えられた事で知られている。サイカチの実は薬用になり、以前は石けんの代用にしたこともある。
所在地/南アルプス市湯沢113-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和39年6月25日
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ビャクシンはヒノキ科の高木であるイブキの一品種で、本州、四国、九州の海岸地方に分布する常緑の針葉樹である。
樹形が美しいため庭園や寺社境内に植えられていることが多く、本樹も野牛島地区、御所五郎丸の墓前にある観音堂の庭先に立っている。
幹は地上より10メートルの地点で折れているが、現在も樹勢は極めて旺盛で、枝葉もよく繁り、円錐形の見事な樹形をとっている。
規模は、根廻り4.85メートル、目通り3.25メートル、樹高11.5メートル、樹齢は約400年とも言われる、県下有数の巨木である。
鎌倉時代に野牛島に流罪となったといわれる御所五郎丸が、杖をこの地にさしたところ、それが根づいて現在の大きなビャクシンになったという伝承が残されている。
所在地/南アルプス市野牛島2076
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和35年11月7日
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砂礫と石で造られた堤防で、一番堤から五番堤まで残されている。武田信玄の築堤と伝えられるが、史料で裏づけられていない。少なくとも江戸時代には築堤され、有野の田畑や集落、さらに下流の御勅使川扇状地に立地する21ヶ村を守る役割を果たしていた。国指定史跡(一~三番堤)
[県立博物館蔵]
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