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11.原方

暮らし・産業・文化

石丸家と恵那蚕種山梨支所

 榎原二組観音小路蚕神のすぐそばの石丸家は、当家の親戚であった建築家内藤多仲がかつて甲府中学に通う際に下宿していたというお宅です。石丸家には古い井戸があり、深さ6.5mほどのところで水が溜まっています。水の乏しい榎原地区でも枯れることのない貴重な水源だったそうです。
 石丸家では、戦後昭和20年代初期から昭和40年代終わりころまで、岐阜県の恵那蚕種山梨支所として蚕種を買い入れ、ふ化させて2齢眠まで育て(稚蚕飼育)、各家庭に配蚕していたそうです。卵からかえって3ミリの蚕は鳥の羽でやさしく掃いて細かく刻んだ桑葉に移し、1cmほどの大きさになるまで1週間ほど稚蚕専用の飼育場所で育てます。この時期は温度と湿度、明るさの管理など、飼育が難しいため、業者や地域共同で飼育する方式が戦後主流でした。
 また、石丸家では恵那蚕種とのつながりで、農家から集めた繭を岐阜県の製糸会社、恵南絹糸(けいなんけんし)に出荷していたということです。榎原で収穫された繭は、他に山梨県龍王町の模範社・八田村徳永の南岳荘清水製糸にも出荷していたことがわかっています。

 井戸を覆う屋根の柱に掛けられた桑爪、桑葉を刻む器械、飼育篭など多くの養蚕道具、「恵那蚕種」の名入りのベンチなどがいまだに残っており、かつての養蚕風景がうかがえます。

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