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時代で選ぶ - 江戸

ふるさと文化伝承館(市文化財センター)

「ふるさと文化伝承館」が新しく生まれ変わって平成21年6月にリニューアルオープンしました。
愛称は「みなでん」
これからも皆さんとともに作り上げたい!という願いもこめて
「み・ん・な・で、み・な・で・ん」
って覚えてください!

世界的に知られる国重要文化財の「鋳物師屋遺跡出土品」をはじめ、市内の遺跡から出土した土器や石器、昔懐かしい民具などを展示しています。

当館では展示パネルを少なくし、スタッフによる展示案内などお客様とのコミュニケーションを大切にしています。不必要な場合にはお申し付けいただき、また、ご質問などはお気軽にお問い合わせいただければと思います。

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石積出

砂礫と石で造られた堤防で、一番堤から五番堤まで残されている。武田信玄の築堤と伝えられるが、史料で裏づけられていない。少なくとも江戸時代には築堤され、有野の田畑や集落、さらに下流の御勅使川扇状地に立地する21ヶ村を守る役割を果たしていた。国指定史跡(一~三番堤)

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水宮神社

御勅使川扇状地の扇頂部に位置し、扇状地全体の治水の要とも言える有野地区には、水害防護の水宮神社が祀られている。寺記では天長11年(834)に起こった大水害の際、天皇より勅使が遣わされ、水の神である水波能女命(うずはのめのみこと)をこの地に祀ったのが始まりと伝えられている。大正15年水宮神社拝殿を改修する際にも、下流の村々から寄付がよせられた。

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矢崎家住宅

江戸時代前期の建物。甲府盆地西部では最も古い民家で、徳島堰を完成させた矢崎又右衛門のゆかりの家でもある。矢崎氏は江戸時代を通じ有力農民として有野村の名主を務めていた。市指定建造物。

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徳島堰

徳島堰は韮崎市上円井(かみつぶらい)で釜無川から取水し、南アルプス市曲輪田新田(くるわだしんでん)まで約17kmを結ぶ灌漑用水路。江戸時代の寛文5年(1665)江戸深川の徳島兵左衛門(とくしまひょうざえもん)によって開削が始められた。2年後には曲輪田まで通水に成功するが、大雨によって二度堰が埋没すると兵左衛門は事業から手を引き、その後甲府藩が事業を引き継ぐ。甲府城代から堰の復旧工事を命じられた有野村の矢崎又衛門(やざきまたえもん)は、私財を投じて工事に取組み、寛文10年に工事が完成し,翌11年に「徳島堰」と命名された。堰の開削によって耕地が広がり、曲輪田新田や飯野新田、六科新田など新たな村々が開かれるなど、水不足に悩む地域に多大な恩恵がもたらされた。現在でも徳島堰の水は、水田だけでなくスプリンクラーに導水され、市内の桃やさくらんぼを潤し、フルーツ王国南アルプス市を支えている。

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不連続堤

途切れることなく一直線に延びる堤防。洪水から人々や町を守る堤防がこうした姿であることは現在では当たり前ですが、少なくとも江戸時代から明治時代の堤防では、途切れ途切れの姿が普通でした。この不連続の堤防は明治時代ごろから「霞堤」と呼ばれるようになります。
御勅使川の堀切橋付近を見てみましょう。前御勅使川に比べると、堤防と堤防の間、つまり遊水地が広く確保されています。増水した時には途切れた部分から水を逆流させ、一時的に水を蓄える機能も果たしていたと考えられます。このように霞堤は、先人の長い経験を踏まえながら「あふれる」ことも考えて造られた堤防でもあるのです。

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能蔵池

湧き出た御勅使川の伏流水をせき止めて造られたため池。池には赤牛の神様が住むといわれ、赤牛が村人に椀や膳を貸してくれる昔話が今に伝えられている。中島には水神でもある弁才天が祀られている。

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石積出 一番堤

石積出の中で、最も上流に築かれた石積みの堤防。現存している長さは約70m。3段構造で、2段目に石の大きさ、積み方の違いが見られ、少なくとも2回修復されていることがわかる。

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野牛島・西ノ久保遺跡

西に大塚遺跡、南に野牛島・大塚遺跡、東に石橋北屋敷遺跡に囲まれた遺跡。古墳時代前期や奈良・平安時代、中世の集落跡。遺跡内の小さな谷底から破片どうしが融着し形が歪んだ須恵器の大甕片が出土し、遺跡周辺に須恵器窯が存在する可能性が指摘されている。また注目される遺構として、炭焼の平窯や和鏡が副葬された土坑墓、中世の道路跡なども発見されている。

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石橋北遺跡

野牛島・大塚遺跡、野牛島・西ノ久保遺跡と隣接した遺跡で、奈良・平安時代から中世までの集落跡が発見されている。とくに注目されるのは、中世の遺構である。13世紀の竪穴建物2軒、14世紀代の幅約4mで東西に走る両側に側溝をもつ道路跡やそれに並んで区画溝が発見されており、この時期に計画的な土地開発が行われた可能性が指摘されている。また16世紀後半の土坑墓も発見されており、この地域が墓域へ移り変わった変遷も明らかとなっている。
(写真は山梨県立考古博物館所蔵)

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百々・上八田遺跡

平安時代から中世の集落跡 調査では80個体を超えるウマ・ウシの骨が出土し、「八田牧」の存在を彷彿させ、ウマの存在が甲斐源氏活躍のを裏付ける。
写真は 炉から出土したタイの堆骨(縄文時代後期)

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榎原・天神遺跡

前御勅使川右岸に立地する。平安時代~中世の集落跡。10世紀代の竪穴式住居跡が2軒発見された。またウマの歯が出土した中性の区画溝跡も見つかっている。

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野牛島・大塚遺跡

奈良・平安時代から中世までの集落跡。奈良・平安時代の住居跡は現在の甲西バイパスより西側に広がるのに対し、中世の溝跡や土坑墓はより能蔵池に近いバイパスの東側を中心に発見されている。野牛島集落の発祥は能蔵池北側であるとの伝承があるが、遺跡の調査結果からその伝承は中世以降能蔵池周辺に集落が移動した後の状況を伝えていると考えられる。写真は平安時代の住居跡。

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棚田の景観(ほたるみ橋公園)

漆川によって解析された谷地形を利用し、棚田が作られています。市之瀬台地上ではここ上市之瀬や平岡の棚田以外にも中野の棚田も良くその姿を伝えています。
上市之瀬、平岡の棚田は石積みが特徴で人気がありますが、これにも理由があり、かつて市之瀬川の土石流によって何度も砂礫が堆積した地だったことをあらわしているのです。困難を乗り越えた姿が石積みに現れていると思うとまた印象が変わりますよね。
また、新居田B遺跡のページもご参照いただきたいのですが、棚田のすぐ崖上に当たる遺跡からは、弥生時代のはじめの土器に籾の痕跡が残っている例があり、2000年を通して米作りに挑んできた歴史の厚みを感じることも出来ます。

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伝嗣院大日如来坐像

「おでいにっちゃん」との愛称で親しまれている石造仏で宝永年間を示す銘が刻まれている。また、この石造仏が鎮座する高まりは古墳とみられています。

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上市之瀬のイトザクラ

市之瀬台地の最上部、山地との境付近にあり市之瀬台地全体を見渡すことのできる場所に根を張るイトザクラです。
一名シダレザクラともいいます。
根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く優美です。

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高尾集落

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「高尾集落」ページはこちらから↓

ここをクリックしてください

 櫛形山中腹の標高約800m~900mに立地する集落です。

かつては「鷹尾」と表記されており、これは、昔、日本武尊が酒折の宮から櫛形山を眺め、鷹が巣に座している姿に見えたことから「鷹座巣山」と呼ばれたという伝承によるもので、尾の北側にある集落を「北鷹尾」、つまり現在の「高尾」地区と呼ぶようになったと言い伝えられています。ちなみに南高尾は平林地区(現富士川町)です。



 集落の西端には式内社に推定される穂見神社が佇み、東南方向に傾斜し眺望が開ける位置に広がります。
 江戸時代を通しておおよそ20戸前後があったとされ、林業が盛んとなった昭和の戦後まもなくにかけては最も戸数が多く、30戸を超えていました。
 写真は昭和33年頃の様子です。静けさの中にも子供たちの声が聞こえてきそうな昔懐かしい「高尾」の風景です。

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高尾道

甲府や竜王方面から、上今諏訪、西野などを経て高尾を結ぶ道。
現在でも高尾街道と呼ばれます。
写真の道標は高尾集落から遠く離れた上今諏訪の地にあり、高尾道の旧道沿いに今もひっそりと佇みます。
右あしくら 左たかお と記されています。

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上宮地道・平岡道

小笠原方面や、秋山・中野方面と高尾集落を結ぶ道で、上宮地区の田頭地区から山道が続いている。
この道沿いにもかつては家々が並んでおり、今ではその名残ともいえる石積みの跡や、庭先と見られる空間が残されている(写真)。

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平岡の柚子

山梨で柚子というと、現在は富士川町の柚子が有名ですが、
かつては、南アルプス市(旧櫛形町)の平岡の柚子が有名だったのです。
甲州盆唄にはこんな歌詞があります

「なんたる江戸の絵描きでも 平岡のゆずのきゃ 絵には描けめぇ」

「ゆずのきゃ」については「木や」もしくは「香」と解釈されていて、柚子の香りに包まれた様子が伺えますね。

今では柚子畑はほとんど見られなくなりましたが、それでも平岡のむらなかを歩くの多くの柚子の木に出会うことができますよ。

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六角堂の切子

 「切子」は切り紙細工の一種で寛文4年(1664)頃から六角堂の護符として地域に伝えられ(当時に代官に献上していたとする伝承が伝わります)、現在でも10月13日の例祭には六角堂に奉納してできばえを競ったあと、区内全戸にお守りとして配布されます。
 この「切子」は、美濃和紙を5枚~10枚程重ねて、手作りの切り出しや「つきのみ」と言う刃物を使い、図柄や模様などを「切り透かし」ていくまことに繊細な美しいもので、光に透くことから別に「おすかし」とも言われています。

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村松家住宅

村松家住宅は、駿信往還に沿った桃園集落の中心に位置する。幕末以前は、名主を務めた名家で、明治維新以降は、医業と商家及び村惣代長百姓として生計をたてた。
主屋は嘉永2(1849)年より以前に存在していたことが判っており、現在までに数回改築、曳家をしている。商家蔵は貸付業開業時の店蔵とされたもの。文庫蔵は主屋背面裏庭空間の構成要素として欠くことのできない存在で、厠は屋敷地の西方に所在した酒造場の蔵人用、また店の客用の外便所で、当家の業務事情の一端を物語る遺構のひとつである。


所在地/南アルプス市桃園615-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/平成15年2月26日
備考/主屋、商家蔵、文庫蔵、厠4棟が登録

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木造寄木地蔵菩薩立像一軀 附厨子

木造地蔵立像として、このような大形のものは県下に稀有のものである。伝承は空也上人作というが、藤原末期から鎌倉初期へかけての作風のようである。桧材、基盤は二段框座。安阿弥陀様式。尊像は全高123センチメートル。光背は後補のものである。現在塗金泥は一部をのぞいて消えうせ、右足部その他破損などみられるが、写実的で、民衆が商売繁昌、家内安全などの祈願をこめて、十日市の市神として、永い間、この仏の像をたのみにした息吹が強く感じられる。厨子は、後補のもので江戸時代作。大型、黒塗り、高さ234センチメートル。


所在地/南アルプス市十日市場1841
所有者、管理者/安養寺
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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木造釈迦如来坐像一軀

この仏像は、客殿に安置してあって、寺記によると、24代日侑造立のもので享保年間(1716年から1735年)の作である。全体に江戸時代によくみられる卑俗性がなく、古い時代形式を求めんとした仏師の心境がうかがえる。西郡地方稀有の大金色坐像といえよう。像高 107センチメートル。八陵型須弥山形裳懸座からは171センチメートルある。面長22、面深23、肩張り56、膝高15。

所在地/南アルプス市鏡中条700
所有者、管理者/長遠寺
指定年月日/昭和58年1月1日
備考/

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安藤家住宅(重要文化財)

安藤家住宅は、甲府盆地西南部、釜無川と滝沢川に挟まれた水田地帯に位置する。主屋から宝永5年(1708年)の棟札が発見され、江戸後期から続く豪農の生活を知るうえで非常に貴重である。主屋は茅葺き入母屋造り、表門、土蔵、茶室、中門、板塀全てが国重要文化財に指定された。


所在地/南アルプス市西南湖4302
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和51年5月20日

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宝珠寺木造毘沙門天立像

身を甲冑にかため、右手に宝珠を捧げて鬼形上に立つ。内刳りのある寄木造で、肢体服装に強い動きを示す堂々たる作風である。「宝珠寺二尊縁起」にいう元禄年間の修理が巧みでないのが遺憾である。

所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和51年3月2日
備考/

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遠光・光朝の木造

加々美次郎遠光像は玉眼挿入、内ぐりのある寄木造。作者は無名でありながらも鎌倉期における肖像彫刻の逸品である。
坐高…48センチメートル
肩張…36センチメートル
肘張…38センチメートル
膝張…52センチメートル
膝高…9.5センチメートル
秋山太郎光朝公座像は彫眼、寄木造で像に彩色が見られる。
台座には享保19年(1734年)の墨書きがあるので江戸時代中期の作であることがわかる。

所在地/南アルプス市秋山567
所有者、管理者/秋山光朝公奉賛会
指定年月日/昭和42年10月1日
備考/

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木造 夢窓国師坐像

本像は椅子上に座禅を組む姿勢をとり、法衣を垂下させている。
坐高82.5センチメートル、材質は桧材を用いた寄木造、挿首、玉眼をはめ込み黒漆塗りが施され、頭頂はとがり、細面の容貌やなで肩など国師の特徴をよくふまえている。穏やかな表情でありながら、禅僧としての気構えや峻厳なまなざしに気迫さえ感じる。天保7年(1836年)に加修の銘札が胎内に納められている。


天保七丙申六月日
此尊像経幾百星故漸々破壊
雖奉恐不忍拝見欽奉加修利者也

慎仙庵謹誌之




名称/木造夢窓国師坐像
所在地/南アルプス市鮎沢505
所有者、管理者/古長禅寺
指定年月日/昭和58年6月6日
備考/1357(延文2年)

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長盛院の絹本著色仏涅槃図

涅槃図は釈迦が入滅する情景を描いたもので、仏教絵画の代表的主題のひとつである。
本図中央には、北を枕にし西を向いて横たわる釈迦が配置され、その周囲には菩薩や諸天、仏弟子、さらに雉や象、獅子などの鳥獣までもが嘆き悲しむ様が描かれている。
右上方には、仏母摩耶夫人(まやぶにん)が悲報を聞いて天上界から飛来した姿が描かれている。上方中央の満月や背後に描かれた跋堤河(ばっでいが)(釈迦が人滅した場所を流れる川)、釈迦を取り囲む8本の沙羅樹は釈迦入滅を表す一連のモチーフである。本図は、豪放さと緻密さを兼ねあわせた優品である。
本図の左下に「維時元禄十三年庚辰七月大吉祥日、山城国愛宕郡平安城万寿寺通高倉西入ル、絵所中西氏家信拝書之」と書かれており、製作年代や作者を知ることができる。


所在地/南アルプス市徳永1683
所有者、管理者/長盛院
指定年月日/昭和59年3月1日
備考/
年代…江戸時代元禄13年(1700年)
作者…中西氏家信

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絹本着色釈迦涅槃図一幅

釈迦涅槃図で最古のものは応徳三年(1086年)作画の高野山金剛峯寺所蔵のものであるが、鎌倉時代になるとこれが普及し数多く描かれるようになり、図柄も時代と共に変化してきている。法善寺蔵のこれは寛文四年(1664年)東福寺の自得という僧の作であるが、おそらくは明兆の系譜をつぐ絵仏師であろう。

所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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絹本着色弘法大師像図

この図は高野山の御影堂に祀ってあるものと同一の図柄で、真如法親王が生前の空海のお姿を自ら写されたものとされている。真如法親王は平城天皇第三皇子であるが、出家して東大寺に学び後空海の弟子となった。求法のために唐から印度へ向かう途中、虎害にあい78歳で葬ぜられたといわれる。この図の裏書によれば寛永7年の作であり、出所等も明白で作画もすぐれているので古美術品としても貴重なものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和51年1月1日

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掛絵六地蔵菩薩像6面付厨子・地蔵菩薩像縁起一巻

桧板に描かれた地蔵、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道衆生救済の地蔵尊像を岩絵具であらわしたものである。それぞれ元和五巳未正月吉日。野呂瀬主税助とある。長さ41.5センチメートル。幅28センチメートル。画像は平均高35センチメートル、縁起は鼻採地蔵縁起と初めに記されてある軸もの、巻子本である。見返りを除いて長さ362センチメートル。幅34センチメートル。末尾に、寛永17癸未霜月甘四日直自とある。地頭野呂瀬主税助直自(徳川家康臣甲府城代平岩親吉家臣)の筆とされる。

所在地/南アルプス市十日市場
所有者、管理者/安養寺
指定年月日/昭和51年1月1日

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隆昌院釈迦涅槃図

江原山隆昌院は寛正3年(1462年)に開基し、本尊は千手観音である。
この涅槃図の伝来は不詳であるが、上方軸芯部に墨書で寛文11年(1671年)との銘記が発見された。四枚の絹を女性の手によって縫い合わせた庶民的な作品であり、仏教の教えが庶民に厚く広がっていた事を示す貴重な作品である。
法量:縦…261センチメートル、横…157.5センチメートル

所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
備考/

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隆昌院の飯縄権現造図

飯縄権現信仰は北信州飯縄山に対する山岳信仰として知られている。室町時代武州高尾山に入山した俊源大徳が修行の結果、一夜の霊夢によって飯縄権現を感得し、その像を刻み一山の守護神として山頂に勧請したことにより、関東一円に広がったと言われている。本図は作者、伝承等は不詳であるが、江戸初期の作品だと考えられる。

所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
備考/

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沢登六角堂

聖徳太子信仰を伝える六角堂建築として貴重であり、堂内には聖徳太子像と太子が信仰した如意輪観音が祀られている。
天正18年(1590年)七ツ内地内の龍沢寺当方にあった堂は、寛文4年(1664年)にこの地にうつされたが、文化4年(1807年)の大火により焼失した。翌年より再建が計画され文化7年(1810年)に再建された。
1辺が約3.06メートルの六角平面形を成し、柱も六角柱で造られている。
建物は戦後に一部修理が施されたが江戸後期の数少ない六角堂形式の建造物として貴重なものである。


所在地/南アルプス市沢登663
所有者、管理者/沢登区
指定年月日/平成9年7月30日
備考/

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矢崎家住宅

有野の故矢崎徹之介氏の居宅で、甲府盆地西部では最も古い民家である。建てられたのは、江戸時代初期、寛文以前の建築である。
矢崎氏はもと青木氏の出で、武田信玄公の時代に有野に所領を得て、信州からここに移った地侍であった。その後、江戸時代を通じ有力農民として名主を勤めている。
広い屋敷内には南に長屋門を構え、母屋の西北に文庫蔵が続き、北側にも大きな土蔵がある。
古さの見どころは、13本残っている柱にハマグリ手刃の跡が見られること、屋根裏の小屋組は当初のままで、小屋東に貫が離れて交わっていることなどである。


所在地/南アルプス市有野1204
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和53年2月16日
備考/

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若宮神社本殿

建立年代は不明だが、元禄2年(1689年)奉上葺の棟札があるので建立年代はこれより前の寛文期(1662年から)、」ごろと思われ、様式も一致する。
本殿は一間社流造(ながれづくり)で、桁行1.56メートル、梁間1.40メートル、向拝梁間0.83メートル、建坪約3.48平方メートル。
昭和31年に屋根の修理が行われ、ヒノキ皮葺から銅板葺に替えられた。保存状態もよく、すぐれた形姿をもち、本市では第一級の価値のある社寺建築である。

所在地/南アルプス市飯野2175
所有者、管理者/若宮神社
指定年月日/昭和57年11月30日
備考/

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宗林寺七面明神社本殿

鋳物師屋(いもじや)村の鎮守と言い伝えられ、一間社流造、桁行0.91センチメートル、梁間0.82センチメートル、棟高2.88センチメートルである。各部に濃厚な桃山風の特色の残る江戸初期の建物である。


所在地/南アルプス市下市之瀬240
所有者、管理者/宗林寺
指定年月日/昭和52年11月22日
備考/

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上宮地伝嗣院の大日如来座像

伝嗣院の旧寺領内にあり、御幸道の脇に富士山に向いて建てられている。高さ1.6メートル、幅1.2メートル程である。髪は螺髪で智挙印を結ぶ。右膝部に「寅山代」、像背に「寶永歳」の刻印がある。


所在地/南アルプス市上宮地1408-1
所有者、管理者/伝嗣院
指定年月日/平成元年5月31日
備考/

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上市之瀬八幡神社本殿 1棟 附棟札及び古材

一間社流造の建物で、江戸初期のものとみられる。宝殿地内(上市之瀬1315地先)から現在地に遷されたものといわれ、平成元年原形に忠実な解体修理が行われた。


所在地/南アルプス市上市之瀬1029
所有者、管理者/上市之瀬区
指定年月日/平成2年2月28日
備考/

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江原浅間神社本殿

当社の祭神は木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)で、古来江原地区は湧水が豊富で稲作が盛んに行われていたことから、稲作の神としてその恩恵に浴し、毎年初穂を献じて五穀豊穣を祈願した。本殿は三間社(さんげんしゃ)流れ造り桧皮葺(ひはだぶき)屋根で桃山時代の作風を残す江戸時代前期の建築である。


所在地/南アルプス市江原1302
所有者、管理者/江原浅間神社
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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諏訪神社の石鳥居

石段の中程にあり、宝永五年(1708年)の銘がある。笠木の上面に一対の竜が彫り出されあり、願い事を呑み込んでくれるとお詣りする人が多かったと言われている。


所在地/南アルプス市平岡1611
所有者、管理者/平岡区
指定年月日/昭和61年9月1日
備考/

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東南湖八幡宮の御輿と神鈴

東南湖の御輿は尺五御輿と言われて小型のものであるが、正格な江戸木割によって施工されている。文政八年(1825年)に修復が記されており、製作はそれ以前に遡り江戸中期頃と推定され、美術的にも大変すぐれた作品である。
神鈴は銅製で文禄三甲午年(1594年)の銘文を持つ桃山期の作品である。


所在地/南アルプス市東南湖3282
所有者、管理者/東南湖八幡社
指定年月日/昭和60年3月30日
備考/

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西川家土蔵の戸前口

この土蔵は昭和63年に大改修がされているが、戸前口は江戸末期に造られたまま残されている。扉は通称観音開きと呼ばれる塗込扉であるが、これはそれ以前の軸摺形式である。耐火建築として土蔵造りは江戸時代に隆盛を極め、土蔵の戸前口は左官職人の腕の見せどころであった。


所在地/南アルプス市大師65
所有者、管理者/
指定年月日/平成4年10月19日
備考/

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神部神社の算額

わが国古来の数学である算額は江戸時代に関孝和らを中心に発達した。和算家が自分で発見した問題や解法を絵馬に書き寺社に奉納したものを「算額」と言った。
神部神社の算額は文化三年(1806年)に上州の和算家清水直次郎央七が奉納したものである。


所在地/南アルプス市下宮地563
所有者、管理者/神部神社
指定年月日/平成5年3月28日
備考/

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巨摩八幡宮太太神楽

この神楽は里神楽であって笛や太鼓で囃し、仮面を被り無言で演ずる岩戸神楽に属するものである。その起源は詳らかではないが往古よりこの里の伝承され、ある時には高尾山穂見神社の氏子により、また山寺八幡神社の氏子により奉納されてきた。現在は氏子有志(奉楽会)に引き継がれ、毎年大晦日から元旦にかけてと、8月最終日曜日に奉納されている。

所在地/南アルプス市鏡中条469
所有者、管理者/巨摩八幡宮
指定年月日/昭和46年1月28日
備考/

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十五所の甲州囃子

十五所区に伝わり別に長男囃子とも呼ばれ、200年程前に村人が京都の祇園囃子に感じ入って作り出したものである。五つの囃子で構成され、大太鼓・小太鼓・笛などの楽器が用いられ踊りも入る。


所在地/南アルプス市十五所
所有者、管理者/十五所甲州囃子保存会
指定年月日/昭和56年4月1日
備考/

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曲輪田峰村小路の獅子舞

起源は天明年間といわれ、家庭の和と社会平和の護り神として毎年正月14日、15日の道祖神祭の日に舞が行われる。また、娯楽の一つとして道化万才等の余興も演じられる。


所在地/南アルプス市曲輪田峰村小路
所有者、管理者/曲輪田峰村小路獅子舞保存会
指定年月日/平成3年12月25日

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若宮八幡の神楽

若宮八幡神社は古市場など周辺の七か村の総鎮守とされている。
文久2年(1862年)に水害を防ぐために神楽を奉納したのが始まりと伝えられており、古来「八朔」といって旧暦の8月1日に祭典が行われた。大正元年に古市場敬神会が発足し大祭を継承している。西郡地域の夜祭として境内は夜を徹して参詣者で賑わいを見せる。毎年、10月第1土、日曜日に奉納される。


所在地/南アルプス市古市場238
所有者、管理者/古市場敬神会
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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神明神社正徳四年再興棟礼 1枚

棟札とは、建物を新築・再建した際に、施主や大工の名前、工事の日付、経緯などを記録するために作られ、天井の棟木などに打ち付けられる板札である。
神明神社の棟札には、正徳3年(1713年)8月に起こった洪水によって現在の神明神社から5丁(約545メートル)ほど東にあった本殿が流失し、正徳3年12月に現在地へ移転、正徳4年に棟札が奉納され、神社が再興された事績が記されている。
釜無川の河道変遷やそれに伴う上高砂集落の移転を考える上で、貴重な歴史資料である。


所在地/南アルプス市上高砂958-1
所有者、管理者/神明神社
指定年月日/平成14年11月12日

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松声堂跡

松声堂は、江戸時代に創立された西郡地域の勉学の中心となったところである。天保6年(1835年)西野村長百姓幸蔵ら12名は、“勉学によって人倫の道を教え、農民としての自覚を高めたい”として幕府に手習所の創設を出願した。
翌7年に許可され、初代教師に江戸下谷生れの松井喚斉を迎え、西野北村現在の宝珠院で開校した。
天保9年(1838年)には旧西野小学校の地に移り、明治4年(1871年)西野郷学校となるまでの36年間、この地方の庶民教育に果した功績は非常に大きいものがあった。松声堂跡には松井喚斉の碑、松声堂碑などが建立されている。


所在地/南アルプス市西野2783
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和53年2月16日

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白山神社

白根町築山に鎮座する神社で、旧社格は村社、祭神は菊理媛神。境内地は150坪と規模は小さいが、一通りの施設が備わっている。
本殿は1間社流造りで、床下に浜床(はまゆか)階段上に母屋床(もやゆか)が張ってある。拝殿は寄棟造り(よせむねづくり)で囲いの壁がなく、吹き抜けになっている。随身門は入母屋造り、鳥居は柱頭に台輪がある稲荷鳥居で、額束(がくづか)に権現社と名記され、元禄11年寅4月1日の年号がある。神燈は鳥居の前にあり、元禄11年寅4月1日の年号がある。境内社として2基の祠があり、1基に寛政5丑巳12月吉日の銘がある。

所在地/南アルプス市築山33
所有者、管理者/白山神社
指定年月日/平成15年2月14日

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五味国鼎の墓

所在地/
所有者、管理者/ 藤田・泉能寺
指定年月日/ 昭和46年1月28日

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広瀬中庵の墓

所在地/南アルプス市藤田304
所有者、管理者/明行寺
指定年月日/昭和46年1月28日

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五味可都里の墓跡

五味可都里は江戸時代後期、甲州を代表するの俳人ひとり。
名は宗蔵、号は可都里(葛里)。蕪庵(かぶらあん)と称した。
旧巨摩郡藤田村(現南アルプス市藤田)の豪農で、田園風景を素材にした温雅な作品を多く残した。
編著に『農おとこ』、『ななしどり』などがある。
寛保3年(1743)生まれ、文化14年(1817)没。享年75歳。
可都里の没後、「蕪庵」は甥の蟹守が継ぎ、その後の甲州俳壇の指導的役割を担った。
注)なお、現在墓自体は鏡中条の長遠寺境内に移されている。


所在地/南アルプス市藤田410
所有者、管理者/泉能寺
指定年月日/昭和46年1月28日
【参考文献】
池原錬昌編2004『可都里と蟹守』五味企画
清水茂男1963「五味可都里の研究」『山梨大学学芸学部研究報告』14号山梨日日新聞社出版部編2003『可都里と霞外』若草町文化協会

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辻嵐外の墓

成妙寺の山門をくぐると「笹の葉や今に鶯年よらず」と詠われた句碑がある。
辻嵐外は江戸後期の俳人である。嵐外は明和8年(1771年)敦賀に生まれ、年に甲斐を訪れ若草町藤田の五味可都里を頼り、その後75歳まで落合を中心に甲斐の俳諧文化の向上に努めた。嵐外は俳諧結社安楽林社との交友が深く、弘化2年(1845年)11月26日成妙寺に「嵐外日哉の墓」を建立した。


所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日

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紙本墨書長盛院の大般若経

時代…享保13年(1728年)4月17日から元文4年(1739年)5月17日
作者…嶽恩和尚・玄嶺和尚
長盛院境内の「経蔵」に嶽恩筆紙本墨書大般若経600巻が収められている。この般若経は亨保年間、長盛院の末寺、正重院の住職であった嶽恩和尚とその意志を継いだ本山玄嶺和尚によって写経されたものである。
嶽恩和尚は本寺の繁栄や天下の泰平、国土の安穏、子孫繁栄、村里の豊饒を祈願し、享保13年(1728年)4月17日、大般若経の筆写をはじめた。長年にわたる写経は心身をさいなむ辛苦を与え、時には天井から吊した縄で筆を持つ腕をささえていたといわれる。
500巻を書き終え、その完成を目前にしながら元文2年(1737年)2月9日、59才で他界した。本山玄嶺和尚はその志を継いで写経を進め、2年後の元文4年(1739年)5月17日、大般若経600巻の写経を完成させた。複数の僧侶によって書かれた大般若経は多数あるが、ほぼ1人の手によって書かれたものは県内でも類例が少ない。


所在地/南アルプス市徳永1678
所有者、管理者/長盛院
指定年月日/昭和51年3月1日

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法善寺伝承本真言宗諸流聖教類769点

聖教類には、仏、菩薩、その他諸等に対する礼拝法、供養法、念踊法など実践的な修行方法が示されている。
得度を終了した出家者が所定の行規にしたがって、修行しながら逐次、伝授や講伝を授けられた、いわゆる師資相承の秘法である。
行者は師から授けられた折紙、冊紙、巻紙を書写し、伝授の権威を保つために伝授日時や師資名、道書名を巻末に誌しているものが多い。
この聖教類は、真言宗学問寺として栄えた法善寺にふさわしく一ヶ寺にこれだけのものが残っていることは県下は勿論、全国的にもきわめてまれである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和62年2月10日

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上市之瀬のイトザクラ

一名シダレザクラともいう。根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く、花色は濃い方で、樹齢約200年。

所在地/南アルプス市上市之瀬1436
所有者、管理者/上市之瀬イトザクラ保存会
指定年月日/昭和51年3月2日

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下市之瀬の獅子舞

享保年間、若者の風紀の乱れを防ぐため、敬神と娯楽を兼ね正月14日の道祖神祭の奉納神楽として始まった。火伏・厄除・悪魔払として舞われ、幕の舞・梵天舞等七種類、女性的な優雅な舞である。


所在地/南アルプス市下市之瀬
所有者、管理者/下市之瀬獅子舞保存会
指定年月日/平成19年4月27日

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宗林寺のイロハモミジ

樹齢300年余。根元の周囲4.9メートル、目通り幹囲2.6メートル、樹高約12メートル。枝張りもよく東西は12メートル以上、秋の紅葉は見事である。


所在地/南アルプス市下市之瀬240
所有者、管理者/宗林寺
指定年月日/昭和62年12月1日

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安藤家の避雷針の松

根回り20メートル、目通り3.5メートル、樹高19メートル、樹齢500年
この松は江戸時代前期頃滝沢川左岸の岸辺に自生しており、当時水害の常襲地帯であった滝沢川より村人たちが安藤家に移植したという。
この松には明治末期頃つけられた避雷針が取り付けられており、別名「避雷針の松」と呼ばれクロマツとしては希な巨木である。

所在地/南アルプス市西南湖4302
所有者、管理者/山梨県
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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成妙寺の松

宗持山成妙寺に自生する松は垂れクロマツの傾向を持ち、根回り3.6メートル、目通り2.9メートル、樹高17メートル、樹齢約200年で地上約1メートルのところで東西2幹に分岐している。


所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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鏡中条のゴヨウマツ

マツ科に属する常緑喬木で、我が国の特産で北海道から九州まで産し、中部以南に産するものをヒメコマツ、中部以北に産するものをキタゴヨウマツとして区別することもある。その材は建築、器具の料に供する。又園芸的変種が多く、庭園樹、盆栽として栽培される。本県では富士山をはじめ、各地の高山に多い。此のゴヨウマツは、根本周囲85センチ、幹囲84センチ、樹高11メートル50、枝張り東西11メートル50センチ、南北4メートル60センチ、東にのびた9メートル20センチの枝は特に見事である。(推定300年経過)


所在地/南アルプス市鏡中条461
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和45年10月26日

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能蔵池の碑

野牛島地区の北西部に能蔵池がある。能蔵池は御勅使川の伏流水が崖下から湧きだした湧水池で、古くから周辺諸村の灌概用水として重宝されていた。この池のほとりに、碑は建てられている。
高さ189センチメートル、底辺幅98センチメートル、安山岩を用いた大きな石碑である。
安政4年(1857年)、ときの市川代官森田行が文章を考案し(撰文)、前任の代官荒井顕道が書をしたため(書)、徽典館(きてんかん)の学頭であった久貝岱(くがいたい)が「能蔵池の碑」という額の文字を書いて(篆額)、完成に至った。その内容を要約すると以下の通りである。

「野牛島に能蔵池という池がある。水は清らかで、どんなに乾燥しても枯れることはない。野牛島をはじめ高砂、榎原、徳永を灌漑してきた。池の中に天女、池の側に蔵王が祀られ、神竜のすむところである。
村人たちもよく農事に励み、この水の如く怠ることがないようにしなさい、そうすれば倉はいつも満ち官も民も乏しいことがなく、不作の年も飢えをまぬがれるであろう。これは村人の幸福である。」


所在地/南アルプス市野牛島2704
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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流転の村 ~釜無川の流れに翻弄された浅原村~①(ふるさとメール2008年9月12日号)

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流転の村 ~釜無川の流れに翻弄された浅原村~②(ふるさとメール2008年10月1日号)

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信玄伝承の治水事業 ~暴れ川御勅使川を治める~(ふるさとメール2007年12月14日号)

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堤の原風景 霞堤(かすみてい)(ふるさとメール2008年11月14日号)

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堤の原風景(2) 現代に残る霞堤(ふるさとメール2008年12月1日号)

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西野にあった江戸時代の手習所 ~松声堂~ (ふるさとメール2010年4月15日号)

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白狐の伝説残る常楽寺(ふるさとメール2008年4月 1日号)

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橋は世につれ世は橋につれ(3)(ふるさとメール2012年9月14日号)

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重要文化財 安藤家住宅の棟札(むなふだ)(ふるさとメール2012年12月14日号)

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樹木を守り伝えるために(ふるさとメール2013年4月15日号)

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御勅使川扇状地を潤す徳島堰 (ふるさとメール2010年9月15日号)

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野呂川話 ~長い長い水を求めた物語 第一幕 江戸時代~(ふるさとメール2013年8月15日号)

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水を求めた扇状地の人々 ~雨乞いのパワースポット長谷寺~ (ふるさとメール2010年10月15日号)

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元禄赤穂事件と南アルプス市 ~忠臣蔵のもう一つの楽しみ方~(ふるさとメール2013年12月16日号)

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季節を感じること ~五節供を知る~(ふるさとメール2014年2月14日号)

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平安時代の信仰(4)―山懐の秘仏2―(ふるさとメール2014年7月15日号)

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新発見レポート ~水と木と石が紡ぐ物語~(ふるさとメール2015年3月16日号)

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アルプスブルーの足跡その5 ~市内を彩った藍染めの歴史~(ふるさとメール2015年8月14日号)

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アルプスブルーの足跡その6 ~市内を彩った藍染めの歴史~(ふるさとメール2015年9月15日号)

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南アルプス市を訪れた人々(1)伊能忠敬 その1(ふるさとメール2016年8月15日号)

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南アルプス市を訪れた人々(2)伊能忠敬 その2(ふるさとメール2016年9月15日号)

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根方の魅力⑧~市之瀬台地の「市之瀬」って? (ふるさとメール2011年10月17日号)

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根方の魅力⑩~高尾穂見神社と村々の祈り(下) (ふるさとメール2011年12月15日号)

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安藤家住宅に歴史あり、雛人形に歴史あり (ふるさとメール2012年2月15日号)

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甲州独自の節句人形「おかぶと」 (ふるさとメール2012年4月13日号)

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古市場若宮八幡神社と神楽 ~弥生時代から続く土地の力~ (ふるさとメール2017年10月14日号)

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何気ない街角に歴史あり(その3) (ふるさとメール2018年7月13日号)

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何気ない街角に歴史あり(その4) (ふるさとメール2018年8月15日号)

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何気ない街角に歴史あり(その5) (ふるさとメール2018年9月15日号)

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何気ない街角に歴史あり(その6) (ふるさとメール2018年10月15日号)

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何気ない街角に歴史あり(その2)樋門(ひもん)の記憶(ふるさとメール2018年6月15日号)

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西河原・安藤家住宅を見守り続ける黒松(ふるさとメール2013年5月15日号)

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