Mなびコース一覧
  • MなびAR App Store
  • MなびAR Google play
  • Mなびとは
  • 利用案内
  • MなびARとは

ご登録済みの会員様はこちらよりログインすることができます。

ログインID:
パスワード:

※アンケート・クイズへのご参加は会員登録が必要です。

ログインID、パスワードがわからなくなった方は、こちらにメールアドレスを入力して「再発行」ボタンを押すと、ご登録のメールアドレスへIDと再発行されたパスワードをお送りいたします。

メールアドレス:
  1. ホーム
  2. >7.山への信仰と伝説に彩られた山里を歩く

7.山への信仰と伝説に彩られた山里を歩く

ふれあい館前駐車場

駐車場のある御勅使川右岸の地域は、江戸時代安通(あんづい)村と呼ばれていました。御勅使川が氾濫しても、隣接した村との通行ができたことから「安通村」と呼ばれたと考えられています。明治8年1月、隣の芦倉村と合併して、両村の一字をとって、芦安村が誕生しました。

詳細はこちらから

大宝寺 名取将監の墓

寺記によれば、奈良時代に華厳宗の寺院として開山されましたがその後荒廃し、16世紀の初めに悦堂和尚が曹洞宗寺院として再興しました。境内には武田信虎に仕えたと伝えられる武将、名取将監の墓があります。

詳細はこちらから

芦安堰堤

芦安堰堤アーチ式工事写真。大正14年7月23日撮影。

詳細はこちらから

諏訪神社

大曽利にある神社で、祭神は武勇・狩猟の神である建御名方命。

詳細はこちらから

妙定寺

詳細はこちらから

沓沢山の神 大栂

山への入口に立つ栂の巨木で市指定天然記念物。かつては千年栂とも呼ばれました。根元には山の神を祀る4基の石祠が安置されています。戦国時代名取将監がこの山の神に狩りの成功を祈った伝承も残されています。

詳細はこちらから

沓沢道祖神

沓沢集落の入口に祀られています。古くは陸神(どうろくじん)とも呼ばれました。祠の中には丸石がいくつも置かれ、無病息災を祈願するためヌルデの木を削って作ったオホンダレサマも見ることができます。

詳細はこちらから

大曽利道祖神

丸石の道祖神が、大曽利の東地区に祀られています。この場所は大正時代ごろまで大曽利への東の玄関口でもありました。

詳細はこちらから

不動明王石祠

小曽利公会堂裏に不動明王を祀った石祠があります。かつて寺の沢にありましたが、昭和34年の台風で流されてしまったため、昭和36年6月6日、新たに建てられました。

詳細はこちらから

小曽利道祖神

小曽利の道祖神は、集落の道辻に建てられています。

詳細はこちらから

六地蔵

死後人間は生前の行いによって、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人間、天上の合計6つの世界を輪廻転生すると考えられていました。お地蔵様は6つの世界どこでも現れて、救ってくれるとの伝承から、六地蔵の石塔が建てられたのです。

詳細はこちらから

光明寺(komyoji)

曹洞宗の寺院。江戸城の修理木材を野呂川流域から伐り出すことを請け負い、その途中に命を落としたと伝えられる木曽大瀧村の庄屋、中村儀助の墓が境内にある。

詳細はこちらから

伊豆神社跡(The site of Izu shrine)

曽我兄弟と同族であった伊東氏が伊豆権現を勧請し、ほかに曽我十郎、虎御前が祀られたことから、三社神社とも呼ばれていた。大正時代に社殿が倒壊したため、現在ご神体は諏訪神社に合祀されている。

詳細はこちらから

虎御前の鏡立石(Kagami Tate Ishi,the mirror stand of Toragozen)

虎御前が化粧をするのに鏡を立てていたと伝えられる石。

詳細はこちらから

夜叉神のたたり

御勅使川の上流に住む夜叉神という神さまは、体が大きく身軽で、日照りを続けたり、大雨を降らせて村人を困らせていました。ある夏、夜叉神さまは荒れ狂ったように大雨を降らせて、御勅使川の大洪水を引き起こし、甲府盆地全体を湖のようにしてしまいました。たいへん困った村人たちは峠に夜叉神の祠を建ててお祀りすると、その後は山の守り神になったということです。

詳細はこちらから

昔の山のくらし

古から現代まで、芦安のくらしは山とともにあった。芦安の主要な生業は昭和30年代頃まで林業で、男性は野呂川などの奥地に入り、泊まり込みで木材の伐採から搬出を行い、冬期には炭焼きなどを行ってきた。女性は日用品を男性に届け、帰りには約40kgもある炭俵などの生産物を里まで運搬した。里近くの山の斜面では明治期まで焼畑が行われていたが、現在では集落名「曽利」にのみその面影を留めている。村田銃を使った熊や鹿、カモシカなどの狩猟も盛んで、カモシカ猟のパートナーとして甲斐犬が活躍した。

詳細はこちらから

一つ目小僧

木こりの太郎助は、村の衆と山小屋に泊まり込んで山仕事をしていました。12月のお松節句の頃(13日)になると、仲間はいつものように正月準備のため村へ帰ることにします。しかし働き者の太郎助は、もっと稼ごうと1人残ることにしました。村の衆がいなくなった山の中はうって変わって静かになり、夕闇が深くなるにつれ、太郎助は心細くなりました。仕事もそこそこに山小屋に引き上げてきたところに「オーイ」と呼ぶ声。誰かと思い外に出てみると、そこに立っていたのは満月のような目が一つ、口は耳元まで裂けた一つ目小僧でした。恐ろしくて震え出した太郎助は、勇気を振り絞り、燃えさしを怪物の目玉めがけて投げつけます。すぐに鍵をかけ、布団にもぐり込んで、怖さに震えながら一夜を明かすと、朝、一目散に村へ逃げ帰りました。その後、あまりの怖さから太郎助は亡くなってしまいました。村の人々は欲張りの太郎助を一つ目小僧が懲らしめたのだと言ったそうです。

 太郎助を「欲張り」と決めつけるのはなんだかあわれな感じもします。「働き者」であった太郎助は、なぜ一つ目小僧のために死んでしまうことになったのでしょうか。それを解く鍵は誰もが知っている「一つ目小僧」にあります。
 関東周辺で一つ目小僧が現れる日は実は決まっていて、12月8日と2月8日前後に集中します。沓沢でも師走の他に2月3日節分の日にも一つ目小僧が現れると信じられ、今でもバリバリの木の枝に鰯の頭を刺したものを魔よけとして玄関に飾っています。この信仰は「コト八日」と呼ばれる民間信仰で、古くから日本各地で行われていました。各地でさまざまな言い伝えがあるため、ひとくくりにはできませんが、この日は神様が移動する日とも考えられ、それゆえ人は神の姿を見ないよう家にこもり、物忌みする地域も多いのです。
 12月13日に山仕事をせず、正月支度をする沓沢の風習は「コト八日」の慣習の一つであったのでしょう。太郎助が一つ目小僧と出会ってしまったのは、12月13日には山仕事をしないという古い約束事を破ったからなのです。一つ目小僧の昔話は山とともに生き、山の神を信仰してきた沓沢の人々の伝統を今に伝えています。
 ちなみに、この一つ目小僧、小正月に行われるどんど焼きにも関係しています。沓沢の言い伝えによれば、12月末に悪神がやってきて、病気になる人を帳面に付けます。その帳面を悪神は正月の間、道祖神に預けますが、村人を守る道祖神はそれをどんど焼きで燃やしてしまい、村人の1年間の健康を保証するのです。別の地域では一つ目小僧を悪神とする例が多く、沓沢でも「一つ目小僧=悪神」であったとも考えられます。

詳細はこちらから