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時代で選ぶ - 平安

ふるさと文化伝承館(市文化財センター)

「ふるさと文化伝承館」が新しく生まれ変わって平成21年6月にリニューアルオープンしました。
愛称は「みなでん」
これからも皆さんとともに作り上げたい!という願いもこめて
「み・ん・な・で、み・な・で・ん」
って覚えてください!

世界的に知られる国重要文化財の「鋳物師屋遺跡出土品」をはじめ、市内の遺跡から出土した土器や石器、昔懐かしい民具などを展示しています。

当館では展示パネルを少なくし、スタッフによる展示案内などお客様とのコミュニケーションを大切にしています。不必要な場合にはお申し付けいただき、また、ご質問などはお気軽にお問い合わせいただければと思います。

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水宮神社

御勅使川扇状地の扇頂部に位置し、扇状地全体の治水の要とも言える有野地区には、水害防護の水宮神社が祀られている。寺記では天長11年(834)に起こった大水害の際、天皇より勅使が遣わされ、水の神である水波能女命(うずはのめのみこと)をこの地に祀ったのが始まりと伝えられている。大正15年水宮神社拝殿を改修する際にも、下流の村々から寄付がよせられた。

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野牛島・西ノ久保遺跡

西に大塚遺跡、南に野牛島・大塚遺跡、東に石橋北屋敷遺跡に囲まれた遺跡。古墳時代前期や奈良・平安時代、中世の集落跡。遺跡内の小さな谷底から破片どうしが融着し形が歪んだ須恵器の大甕片が出土し、遺跡周辺に須恵器窯が存在する可能性が指摘されている。また注目される遺構として、炭焼の平窯や和鏡が副葬された土坑墓、中世の道路跡なども発見されている。

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大塚遺跡

(写真は山梨県立考古博物館所蔵)

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石橋北遺跡

野牛島・大塚遺跡、野牛島・西ノ久保遺跡と隣接した遺跡で、奈良・平安時代から中世までの集落跡が発見されている。とくに注目されるのは、中世の遺構である。13世紀の竪穴建物2軒、14世紀代の幅約4mで東西に走る両側に側溝をもつ道路跡やそれに並んで区画溝が発見されており、この時期に計画的な土地開発が行われた可能性が指摘されている。また16世紀後半の土坑墓も発見されており、この地域が墓域へ移り変わった変遷も明らかとなっている。
(写真は山梨県立考古博物館所蔵)

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立石下遺跡

平安時代の集落跡。13軒の住居跡や炭焼窯が発見された。
(写真は山梨県立考古博物館所蔵)

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百々・上八田遺跡

平安時代から中世の集落跡 調査では80個体を超えるウマ・ウシの骨が出土し、「八田牧」の存在を彷彿させ、ウマの存在が甲斐源氏活躍のを裏付ける。
写真は 炉から出土したタイの堆骨(縄文時代後期)

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榎原・天神遺跡

前御勅使川右岸に立地する。平安時代~中世の集落跡。10世紀代の竪穴式住居跡が2軒発見された。またウマの歯が出土した中性の区画溝跡も見つかっている。

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坂ノ上姥神遺跡

御勅使川扇状地上に3遺跡が隣接している。縄文時代後期や古墳時代後期、奈良・平安時代から中世まで複数の時代に渡る遺跡である。特に縄文時代後期の敷石住居跡の炉から鯛の堆骨が発見され、海産魚を食料とした県内最古級の資料として注目された。奈良・平安時代では多数の住居跡や溝跡も発見されており、溝からは馬の歯も出土した。

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野牛島・大塚遺跡

奈良・平安時代から中世までの集落跡。奈良・平安時代の住居跡は現在の甲西バイパスより西側に広がるのに対し、中世の溝跡や土坑墓はより能蔵池に近いバイパスの東側を中心に発見されている。野牛島集落の発祥は能蔵池北側であるとの伝承があるが、遺跡の調査結果からその伝承は中世以降能蔵池周辺に集落が移動した後の状況を伝えていると考えられる。写真は平安時代の住居跡。

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宝珠寺

山寺区にある名刹。
境内に入るとまず目を引くのは県指定文化財のマツ。古木ですので現在は支柱などの様々な保護措置を施していますが枝を広げた姿は優美そのものです。
また、奥左手のお堂にある国重要文化財「木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像」は普段は非公開ですが、平安時代終わりごろの作で、甲斐源氏加賀美遠光ゆかりのものと考えられています。
また、毘沙門天立像はその子、当地周辺を本拠としていた武将小笠原長清により作られたものと考えられています。
 長清は源頼朝の命により奈良東大寺の毘沙門天(多聞天)を作らせており、本拠である小笠原の地と縁を結んだものが当寺毘沙門天立像だろうと考えられています。制作年代も鎌倉期初頭と合致しています。

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高尾 穂見神社

高尾集落の北西端、標高870mの地点に穂見神社があります。
穂見神社は平安時代に編さんされた延喜式に掲載されている式内社と伝わる由緒ある神社で、その雰囲気は神々しく、高尾集落の象徴ともいえます。

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木造十一面観音及毘沙門天、不動明王立像

もともと円通院にあり現在は隆円寺で管理している本像は江戸時代の地誌『甲斐国志』に「日不見観音(ひみずかんのん)」と記載されるように、三十三年に一度の開帳の秘仏として祀られてきた。史料がなく造立の次第などは不明だが、元禄4年には近隣の人々が施主となり大規模な修復が施されるなど、古くから人々の信仰を集めてきた尊像である。
中尊十一面観音像と毘沙門天像は、両肘より前及び天衣まで含んで一本の材から彫出し、内刳を施さない古式の構造で、平安時代前半11世紀頃の所産と考えられる。不動明王像は肩で矧ぐ構造がこれら二像と異なり衣文の表現などより簡略化され、二像よりやや遅れた12世紀前半頃の造立かと思われる。
観音像を中尊とし、不動明王像と毘沙門天像を脇侍とする形式は、10世紀末頃に比叡山延暦寺で成立し、以後天台宗の寺院で多く造立されるが、本像はこうした天台形式の三尊像として全国的に見ても早い時期の造立であり、この形式の地方への広がりを考える上で貴重な作例といえる。また、これまで甲斐国への天台宗の伝播を示す資料はすくなかったが、本像は平安時代中期における同宗の存在を確実に伝えており、天台宗伝播の最も古い遺例として甲斐の仏教史の上でも非常に重要な作例である。


所在地/南アルプス市下今井841
所有者、管理者/隆円寺
指定年月日/平成20年4月17日
備考/

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長谷寺

長谷寺は新義真言宗智山派の古寺である。大和国(現在の奈良県)長谷寺に倣って豊山長谷寺と名付けられたが、その後この土地が八田の庄であることから「八田山長谷寺」と改称し現在に至っている。
本尊には十一面観音菩薩が祀られ、「原七郷の守り観音」として古くから篤く信仰されてきた。
原七郷(上八田・西野・在家塚・上今井・吉田・小笠原・桃園)は御勅使川扇状地の中央に位置するため、旱魃に悩まされてきた一帯で、長谷寺では古くから雨ごいの祈祷が行われてきた。
開創は、寺記によれば天平年間で、僧行基が甲斐国の治水事業のため留錫した際、当地で十一面観音を彫刻したのがはじまりと伝えられている。現在の本堂は昭和24年の解体修理の際に発見された旧材によって、大永4年(1524)に再興されたことが明らかとなっている。


所在地/南アルプス市榎原442
所有者、管理者/長谷寺
指定年月日/昭和25年8月29日

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大日如来及四波羅蜜菩薩坐像

五智如来(ごちにょらい)とよばれていた宝珠寺の五尊は、平成3年に国の重要文化財に指定されるさいに、大日如来(だいにちにょらい)をとりまく四尊の手の結び方特徴があることにより、大日如来及四波羅蜜菩薩像(だいにちにょらいおよびしはらみつぼさつぞう)と呼ばれるようになりました。

四波羅蜜菩薩(しはらみつぼさつ)

金剛波羅蜜菩薩 宝波羅蜜菩薩 法波羅蜜菩薩 羯磨波羅蜜菩薩
金剛波羅蜜菩薩
(こんごうはらみつぼさつ)
宝波羅蜜菩薩
(ほうはらみつぼさつ)
法波羅蜜菩薩
(ほうはらみつぼさつ)
羯磨波羅蜜菩薩
(かつまはらみつぼさつ)


名称/大日如来
所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/平成3年6月15日
材質/木造(檜)
技法/寄木造・彩色(彩色は江戸時代の補修による)
像高/100.4センチメートル
制作年代/平安時代(1090年から1190年頃)
所蔵/宝珠寺(山梨県南アルプス市山寺)
墨書(像内の体部左側にある)/願主金剛佛子勝阿(勝阿につては不明)

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長谷寺木造十一面観音像

長谷寺十一面観音立像は、長谷寺の本尊として大永4年(1524年)再建の本堂厨子の中に秘仏として祀られている。この十一面観音像は、古くから原七郷の守り観音として多くの人々の信仰を集めており、江戸時代には、甲斐国札所第4番の観音であったという。
本像は、頭頂に仏面、その下に1列に化仏(けぶつ)十面を表す十一面観音である。現在、左右の手は失われているが、造られた当初は、左手には蓮花を挿した水瓶を持っていたと思われる。右手の形ははっきりしない。また、本像の台座が通常の蓮華座ではなく、岩の形を模した岩座であることからは、本像が木の霊性を尊ぶ立木仏として造られたと考えられる。

本像は、像高169.3センチメートル。長身ですんなりとした姿に表される。お顔は優しい中にも厳しさがあり、威厳を感じさせる。天衣(てんね)や下半身に身につける衣の表現は控えめながら柔らかい布の質感を伝えている。
本像の材質はカツラで、左右の手以外のすべてを1本の木から彫り出す一木造という技法で造られている。この一木造のうち、臂を曲げる左手までも同じ木から彫り出すのは、平安時代前期頃に多くみられ、本像もこうした平安前期から中期にかけての造立と考えられる。地域の古い歴史を今に伝える貴重な尊像である。


所在地/南アルプス市榎原442
所有者、管理者/長谷寺
指定年月日/平成16年11月29日

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木造薬師如来像(もくぞうやくしにょらいぞう)

上今諏訪の慈眼寺には、県の文化財に指定された仏像が多くあります。このうち薬師如来坐像は、坐高85センチメートル、材質はヒノキで、頭部と胴体が一つの木で造られている一木造りで、年代は藤原前期のものと推測されている。
慈眼寺は、平安期にさかのぼる真言宗のお寺だったと推定されているが、一時衰退し天文年間(1532年から1554年)に曹洞宗のお寺として再興されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1783
所有者、管理者/慈眼寺
指定年月日/昭和44年11月20日

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神部神社曳舟神事

神部神社は大物主命を祭神とし、「延喜式神名帳」に記載された巨摩郡五座のなかのひとつである。
毎年3月第1日曜日に(往古は2月2日)に行われる曳舟祭は、大和国からご神体を奉遷した古事にならってその様子を再現している。神主が数本の矢を放ち悪魔を祓い、諸々の贖罪、五穀豊穣、天下奉平を祈願する。神事において、木舟を神主、氏子らが引くというのは、恐らく当時の運搬手段のひとつとして、木舟を用いて内陸まで出入りしていた様子を演出しているものと考えられ、当時の交通運搬や文化流入を知るうえで貴重である。古代における神の遷座の状況を神事として残す祭祀は類例を見ない。

所在地/南アルプス市下宮地563
所有者、管理者/神部神社
指定年月日/平成6年6月28日

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木造菩薩形立像

上今諏訪の諏訪神社本殿に菩薩形と思われる立像一軀(いっく)が所蔵されている。
作風からも藤原仏で、隣接する慈眼寺の仏像群の一体ではないかといわれている。天冠台などに一部残る漆塗の跡に往昔の秀麗優美さがしのばれる。背部に鎌倉期に加修した跡が残る。
材質は樟(くすのき)材の一木造で頭・胴ともに内刳りが施されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1778
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和44年11月20日

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古代寺院 善応寺と雨乞い伝承の地、大笹池(ふるさとメール2007年9月30日号)

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高尾穂見神社の夜祭り (ふるさとメール2009年11月13日号)

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水を求めた扇状地の人々 ~雨乞いのパワースポット長谷寺~ (ふるさとメール2010年10月15日号)

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平安時代の信仰(1) ―御勅使川扇状地の観音信仰―(ふるさとメール2014年4月14日号)

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平安時代の信仰(2)―富士山信仰を表す日本最古の像―(ふるさとメール2014年5月15日号)

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根方の魅力⑨~高尾穂見神社と村々の祈り(上)(ふるさとメール2011年11月15日号)

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古市場若宮八幡神社と神楽 ~弥生時代から続く土地の力~ (ふるさとメール2017年10月14日号)

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