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種別・テーマで選ぶ - 県指定

ふるさと文化伝承館(市文化財センター)

「ふるさと文化伝承館」が新しく生まれ変わって平成21年6月にリニューアルオープンしました。
愛称は「みなでん」
これからも皆さんとともに作り上げたい!という願いもこめて
「み・ん・な・で、み・な・で・ん」
って覚えてください!

世界的に知られる国重要文化財の「鋳物師屋遺跡出土品」をはじめ、市内の遺跡から出土した土器や石器、昔懐かしい民具などを展示しています。

当館では展示パネルを少なくし、スタッフによる展示案内などお客様とのコミュニケーションを大切にしています。不必要な場合にはお申し付けいただき、また、ご質問などはお気軽にお問い合わせいただければと思います。


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物見塚古墳

 甲府盆地を一望する市之瀬台地の先端部、標高375mの地点に造られた全長48mほどの前方後円墳で、前方部がやや短く、葺石が施されていました。このちいきで現存する前方後円墳は唯一です。
 周溝・埴輪は確認されず、内部主体は粘土槨とみられます。調査では鉄剣3口、直刀1振、玉類、土師器片などが出土しました。過去に捩文鏡1面、玉類の出土が伝えられています。

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宝珠寺

山寺区にある名刹。
境内に入るとまず目を引くのは県指定文化財のマツ。古木ですので現在は支柱などの様々な保護措置を施していますが枝を広げた姿は優美そのものです。
また、奥左手のお堂にある国重要文化財「木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像」は普段は非公開ですが、平安時代終わりごろの作で、甲斐源氏加賀美遠光ゆかりのものと考えられています。
また、毘沙門天立像はその子、当地周辺を本拠としていた武将小笠原長清により作られたものと考えられています。
 長清は源頼朝の命により奈良東大寺の毘沙門天(多聞天)を作らせており、本拠である小笠原の地と縁を結んだものが当寺毘沙門天立像だろうと考えられています。制作年代も鎌倉期初頭と合致しています。


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法善寺

真言宗の寺院。武田氏の氏神武田八幡神社の別当を務め、武田氏の戦勝祈願寺でもあった。信玄が自筆し法善寺へ奉納した和歌百首は文化8年(1811)の火災で焼失したが、焼失前に筆写された木版本が残る。


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古長禅寺

臨済宗寺院。信玄の母、大井夫人の菩提寺であり、夫人の墓がある。もともと長禅寺と称するが、後に甲府に長禅寺が造られたため古長禅寺と称するようになった。母とともに信玄も、時の住職、岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)に深く帰依し、「信玄」の法号も岐秀が授けたものと言われる。県指定史跡。


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深向院

天長年間、弘法大師創建と伝えられる寺院。武田五郎信光が再興し、天文年間に武田家の重臣であった跡部大炊介が真言宗寺院を改宗して現在の曹洞宗寺院を建立した。


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常楽寺

飯野小学校が接収されたため、子どもたちは、机にするミカンバコを持ち寄って、お寺で勉強したこともあったという。本尊の阿弥陀如来立像は県指定文化財。


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穂見神社本殿 附棟札二枚

県指定文化財(建造物)
昭和40年8月19日指定
桁行5.10メートル、梁間3.20メートル、棟高9.30メートル、建坪25,91平方メートルの三間社流造の建物です。
銅板葺で乱石積の基壇上に建ち、寛文五年(1665年)信州系大工によって建てられた豪壮なものといえます。

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六角堂の切子

 「切子」は切り紙細工の一種で寛文4年(1664)頃から六角堂の護符として地域に伝えられ(当時に代官に献上していたとする伝承が伝わります)、現在でも10月13日の例祭には六角堂に奉納してできばえを競ったあと、区内全戸にお守りとして配布されます。
 この「切子」は、美濃和紙を5枚~10枚程重ねて、手作りの切り出しや「つきのみ」と言う刃物を使い、図柄や模様などを「切り透かし」ていくまことに繊細な美しいもので、光に透くことから別に「おすかし」とも言われています。


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市内に広がる曾我物語の世界

 加賀美遠光や小笠原長清などの南アルプス市の甲斐源氏が活躍していた時代に、曽我兄弟の仇討ち事件が富士山麓で起こります。この仇討ちをまとめた「曽我物語」の中には、南アルプス市と深いかかわりのある人物が重要な脇役として登場します。芦安地区の「虎御前」と野牛島地区の「御所五郎丸」。地元に伝えられる歴史上の人物は、歌舞伎の演目でも有名な『曾我物語』の主要キャストです。
 『曾我物語』とは曾我兄弟が父親の仇を討つ物語です。皆さんご存知の赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つに挙げられます。仇討ちは『吾妻鏡』にも記録されていますが、物語の成立時期ははっきりしていません。鎌倉時代の終わり頃に物語としてまとめられ、時代とともに様々なエピソードが加えられながら、江戸時代に現在の形に落ち着いていったようです。(写真は、祐経を討ち取る曽我兄弟 歌川広重「曽我物語図絵」)


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善応寺宝篋印塔(ほうきょういんとう)

総高1.2メートルの安山岩製で、観音堂の西に接して建てられています。年代は、鎌倉末期のものと推定されます。
塔の各部は別々の石からなり、基礎の上部に径15センチメートル、深さ8センチメートルの円筒形の穴を掘って、経典あるいは舎利奉納の場所が作ってあります。
その形状、形態といい実によく時代の特徴を表わし、風格を持った遺構です。


所在地/南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/善応寺
指定年月日/昭和53年3月15日

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蔵珠院六地蔵幢

安山岩製で高さ1.75メートル、基礎の一部が埋没している。幢身に応永28年(1421年)の銘、「延命地蔵経」の句節、施主名などが陰刻されている。県内でも数少ない室町中期の遺品である。


所在地/南アルプス市桃園740
所有者、管理者/蔵珠院
指定年月日/昭和52年3月31日


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法善寺鐘楼付梵鐘

現在の鐘楼は、室町時代初期の建立という。屋根は入母屋形式。胴張りのない真直な方柱、そのうえの裁断部上の円柱で支えた楼造ながら、古代寺院の鐘楼形式をよく示している。殊に下層の方柱(高さ295センチ)根石は自然礎石で、柱はそのうえに直接立ち、それぞれ面取り(隅切)の割合は大きい。ただし上層構成の円柱(高さ184センチ)、虹梁、三斗(みつど)などの木組は改建立時の補強と思える。付・梵鐘:銘文はなく、制作年代不詳、伝鎌倉時代、龍頭(懸金)は高、幅27センチ、鐘は頂部から基部まで120センチ、口径88センチ。音色重厚の名鐘である。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和54年12月28日


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板絵僧形八幡神像一面

神仏は本来同じものであるという思想にもとづく彫刻絵画等を垂迹美術と称するが、これもその一つである。本地仏である阿弥陀如来が人々を救済するために現われたのが八幡神である故、八幡神が大菩薩として僧形をとっている訳である。本地垂迹説は仏教の日本的変容のもっとも著しいあらわれであり、それを表現した美術は日本独自の仏教芸術であると言える。裏面の墨書銘によれば寛正二年(1461年)法善寺第八世の厳延が武田八幡社へ奉納したものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和52年3月21日


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絹本着色十六善神像一幅

十六善神は般若経の守護神といわれ、大般若経を読誦する折にはこの軸をかけることになっている。墨書銘は「丙申八月十六日対島法眼」とあって制作年代は不明であるが、その画材、画風等からして室町中期の作と推定される。釈迦如来を中心として文殊、普賢、般若等の諸菩薩ならびに大般若経を訳出した玄奨三蔵が侍し、それを囲んで16人の諸神が威風堂々と描かれている。整った像容、おだやかな色彩、写実的で平明な表現の中に荘厳さのただよう一幅である。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/平成3年5月30日


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長谷寺木造十一面観音像

長谷寺十一面観音立像は、長谷寺の本尊として大永4年(1524年)再建の本堂厨子の中に秘仏として祀られている。この十一面観音像は、古くから原七郷の守り観音として多くの人々の信仰を集めており、江戸時代には、甲斐国札所第4番の観音であったという。
本像は、頭頂に仏面、その下に1列に化仏(けぶつ)十面を表す十一面観音である。現在、左右の手は失われているが、造られた当初は、左手には蓮花を挿した水瓶を持っていたと思われる。右手の形ははっきりしない。また、本像の台座が通常の蓮華座ではなく、岩の形を模した岩座であることからは、本像が木の霊性を尊ぶ立木仏として造られたと考えられる。

本像は、像高169.3センチメートル。長身ですんなりとした姿に表される。お顔は優しい中にも厳しさがあり、威厳を感じさせる。天衣(てんね)や下半身に身につける衣の表現は控えめながら柔らかい布の質感を伝えている。
本像の材質はカツラで、左右の手以外のすべてを1本の木から彫り出す一木造という技法で造られている。この一木造のうち、臂を曲げる左手までも同じ木から彫り出すのは、平安時代前期頃に多くみられ、本像もこうした平安前期から中期にかけての造立と考えられる。地域の古い歴史を今に伝える貴重な尊像である。


所在地/南アルプス市榎原442
所有者、管理者/長谷寺
指定年月日/平成16年11月29日


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木造獅子頭(もくぞうししがしら)

百々諏訪神社所蔵の獅子頭は鎌倉期の嘉元3年(1305年)藤原吉宋の手によって作られた日本でも5番目に古い獅子頭である。
この獅子頭は木彫で、上顎、下顎、舌の三部分からなっている。
用材はヒノキで、その上に彩色をほどこしてある。
規模は面幅20センチメートル、面高23センチメートル、面深29センチメートルとなっている。


所在地/南アルプス市百々1537
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和43年12月12日


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木造薬師如来像(もくぞうやくしにょらいぞう)

上今諏訪の慈眼寺には、県の文化財に指定された仏像が多くあります。このうち薬師如来坐像は、坐高85センチメートル、材質はヒノキで、頭部と胴体が一つの木で造られている一木造りで、年代は藤原前期のものと推測されている。
慈眼寺は、平安期にさかのぼる真言宗のお寺だったと推定されているが、一時衰退し天文年間(1532年から1554年)に曹洞宗のお寺として再興されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1783
所有者、管理者/慈眼寺
指定年月日/昭和44年11月20日


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木造阿弥陀如来立像

飯野の曹洞宗常楽寺の本堂に安置されている鎌倉期の阿弥陀如来像。
像の総高は132センチメートル、材質はヒノキの寄木造りで玉眼がはめ込まれている。
かつては彩色されていたかと思われるが、現在は色は落ち、像全体に木目が表れていて、ひとしお奥床しさが感じられる。


所在地/南アルプス市飯野1065
所有者、管理者/常楽寺
指定年月日/昭和44年11月20日


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木造菩薩形立像

上今諏訪の諏訪神社本殿に菩薩形と思われる立像一軀(いっく)が所蔵されている。
作風からも藤原仏で、隣接する慈眼寺の仏像群の一体ではないかといわれている。天冠台などに一部残る漆塗の跡に往昔の秀麗優美さがしのばれる。背部に鎌倉期に加修した跡が残る。
材質は樟(くすのき)材の一木造で頭・胴ともに内刳りが施されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1778
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和44年11月20日


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木造諏訪神社神像

室町時代の特色をよく具えた衣冠束帯姿の簡素な像である。応永十六年(1409年)に本殿建て替えとともに奉納されたもので、「信心大施主藤原吉光与四郎敬白(略)」の墨書がある。


所在地/南アルプス市曲輪田1077
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和40年5月13日


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深向院の釈迦如来像

本尊は至徳2年(1385年)大仏師越後阿闍梨増光の作である。
深向院は天長年間(824年から832年)弘法大師の草創と伝えられている。真言宗に属し、武田五郎信光が再興し信光寺と名付けた。
桧材の寄木造りで、坐高23.5センチメートル、肩張14センチメートル、肘張19センチメートル、膝張24.5センチメートル、膝高5.2センチメートル。
像背面内部に造顕年代が記されている。
至徳二年十一月日
「大仏師越後阿闍梨増光造」


所在地/南アルプス市大師1172
所有者、管理者/深向院
指定年月日/昭和46年2月26日


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鰐口(わにぐち)

鰐口は、古くは金鼓(こんく)と呼ばれ、社殿や仏堂前の軒下につるされた金属製の具であり、その形から鰐口といわれるようになった。
久本寺の鰐口は、享徳3年(1454年)のもので、面径13センチメートル、口径15.1センチメートル、縁高3.6センチメートルである。
表面に記された文字から、子孫繁栄を願って観音堂に奉納されたことが分かる。


所在地/南アルプス市下今諏訪556
所有者、管理者/久本寺
指定年月日/昭和35年11月7日
備考/


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伝保昌(ほうしょう)の刀

鎌倉後半期の大和刀工、保昌の作とされている刀。
長さ73センチメートル、反り2.1センチメートル、形状は鎬(しのぎ)造りで、造り込み格好、その他全て保昌派の特徴をよく示した優作である。


所在地/
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和40年5月15日


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穂見神社銅製懸仏

径26.4センチメートル、厚0.3センチメートル、耳口間10センチメートルで2.0センチメートルの突起がある。表面に冠をつけ両手に笏を捧げて台上に座した神像の蹴彫りがあり、「甲斐国八田御牧北鷹尾 天福元年(1233年)云々」の銘がある。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/昭和40年5月13日

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桜田家鰐口1口

銅製。直径17.2センチメートル、縁厚5.6センチメートル。外帯に「永正二年(1505年)から願主為清敬白。奉主~信州伊那飯嶋郷田切村」の銘がある。桜田家に伝来の由来は不明である。


所在地/南アルプス市下市之瀬872
所有者、管理者/
指定年月日/昭和42年5月29日


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秋山太郎光朝供養の経筒及び付属品

この経塚の遺品は慶安年間(1648年から1652年)に秋山熊野神社境内より発見されたと伝えられている。光朝は甲斐源氏加々美遠光の長男、経筒銘にある光経は光朝の弟で、遠光の四男である。本経筒は銘文に建久8年(1198年)の年号があり、鎌倉初期の経塚造営の状況を知るのに貴重な資料となっている。
経筒には次の銘文が刻まれている。

信心大施主…源朝臣光経

芳縁源氏…所生愛子等

現在悲母…禅定此丘尼

建久八年十月十一日

出土品には宝珠型のつまみのついた蓋が2点、短刀3口、陶製の壺1点がある。


所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和47年1月27日


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八王子権現の剣

長さ28センチメートル、元幅2.8センチメートル、先幅2.7センチメートル
表面に銘濃州関住兼次、裏面に大永六年(1526年)六月日の銘文が刻まれている。
この刀剣の由緒の中に「武田信虎公大永六丙戌年在銘兼次ノ剣」とある。
地鉄の鍛え、刃文、やすり、銘、年紀、茎の特色から室町時代に活躍した志津兼氏一門の系譜を引く刀工の手によるものと思われ当時の製作手法に基づく作品として貴重である。


所在地/南アルプス市落合1092
所有者、管理者/落合八王子社
指定年月日/平成元年7月19日


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八幡神本地仏鏡像一面

法善寺が管理していた武田八幡宮の本地仏として尊崇されたもので、全体の構造、手法は鎌倉期の特徴をよく表わしている。技法は必ずしも優れているとはいえないが、素朴の中に烈々たる信仰心がうかがわれ、その深遠な宗教性は拝するものの心にせまるものがある。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和54年12月28日


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伝嗣院紙本墨書大般若経

各帖縦28.8センチメートル、横10.6センチメートルの折本。大檀那今沢重貞によって奉納されたもので明応十年・文亀元年(共に1501年)の書き付けがのこる。経巻600巻に欠失なく多くの奥書があり、戦国時代の史料としても貴重なものである。


所在地/南アルプス市上宮地1424
所有地、管理者/伝嗣院
指定年月日/昭和40年8月19日


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版本大毘盧遮那成仏経疏16巻

大日経は金剛頂経と共に密教の根本経典であり、716年インドから唐に来た名僧善無畏三蔵が翻訳した経典である。三蔵はさらにその経典についての講義を行い、それを弟子の一行禅師が筆録したのが経であり、宗教の理論的説明のさきがけをなすものとして仏教学徒の必読の書とされている。法善寺蔵のこの本は世に高野版といわれる本版本であり、巻末の奥書によれば弘安元年(1278年)頃版刻されたものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和53年3月30日


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紙本墨書金光明最勝王経十巻

原典は唐の義浄三蔵が訳出したものである。鎮護国家、万民豊楽を祈る経典として古くから特に為政者によって信奉されてきたが、一般に経典は華美なものが多い。法善寺所蔵のこれは天文八年(1539年)武蔵国藤田郷の聖天宮にその地の領主が奉納したものであり、田舎武士にふさわしい誠に質素な本である。これは加賀美家伝来の経本で慶長12年法善寺18世玄覚が点注を加えている。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和61年9月17日


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法善寺伝承本真言宗諸流聖教類769点

聖教類には、仏、菩薩、その他諸等に対する礼拝法、供養法、念踊法など実践的な修行方法が示されている。
得度を終了した出家者が所定の行規にしたがって、修行しながら逐次、伝授や講伝を授けられた、いわゆる師資相承の秘法である。
行者は師から授けられた折紙、冊紙、巻紙を書写し、伝授の権威を保つために伝授日時や師資名、道書名を巻末に誌しているものが多い。
この聖教類は、真言宗学問寺として栄えた法善寺にふさわしく一ヶ寺にこれだけのものが残っていることは県下は勿論、全国的にもきわめてまれである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和62年2月10日


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大薙刀銘備州長船兼光一振

これは信玄が武田八幡宮に奉納したものであるが、明治初年神仏分離の際、法善寺へ移されたものである。「備州長船兼光」と在銘で長さ四尺六寸身幅一寸五分厚さ四分半もある実に堂々とした大薙刀である。兼光は鎌倉時代の長船鍛治を代表する名工で、初代と二代とがあり、二代の頃には武威を誇示するのあまり三、四尺もある豪刀が全国的に流行した。銘の書体から見たのでは初代か二代か決めかねるが、時代相を反映した雄大な姿から見て二代兼光作と思われる。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/平成6年11月7日


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下市之瀬の獅子舞

享保年間、若者の風紀の乱れを防ぐため、敬神と娯楽を兼ね正月14日の道祖神祭の奉納神楽として始まった。火伏・厄除・悪魔払として舞われ、幕の舞・梵天舞等七種類、女性的な優雅な舞である。


所在地/南アルプス市下市之瀬
所有者、管理者/下市之瀬獅子舞保存会
指定年月日/平成19年4月27日


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大嵐のビャクシン

臨済宗善応寺の御神木として植栽されたと言われており、樹齢は少なくても500年に達していると思われる。ビャクシンはヒノキ科に入り本県では峡西地方に多く分布している。規模は、根回り幹囲5.8メートル、目通り幹囲3.48メートル、樹高17メートル。翼長は、北へ4.8メートル、南へ5メートル、東へ6メートル、西へ3.5メートル。地上2.5メートルで二つに分岐している。

所在地/ 南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/ 善応寺
指定年月日/ 昭和43年2月8日


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鏡中条のゴヨウマツ

マツ科に属する常緑喬木で、我が国の特産で北海道から九州まで産し、中部以南に産するものをヒメコマツ、中部以北に産するものをキタゴヨウマツとして区別することもある。その材は建築、器具の料に供する。又園芸的変種が多く、庭園樹、盆栽として栽培される。本県では富士山をはじめ、各地の高山に多い。此のゴヨウマツは、根本周囲85センチ、幹囲84センチ、樹高11メートル50、枝張り東西11メートル50センチ、南北4メートル60センチ、東にのびた9メートル20センチの枝は特に見事である。(推定300年経過)


所在地/南アルプス市鏡中条461
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和45年10月26日


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十日市場の大ケヤキ

この大けやきは、樹齢五百年と推測される。樹高22メートル、根廻り11.30メートル、3本の巨枝が大きく四方に延びて、東西、南北とも24メートルに及んでいる。錯綜した根は60センチメートル以上に盛り上がっている。樹勢は極めて旺盛で、壮年期性を持つ地方の崇敬の対象となっている名木である。


所在地/南アルプス市十日市場1959
所有者、管理者/石動神社
指定年月日/昭和61年3月19日


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中野のカキ

樹齢500年。根元の周囲5.3メートル、目通り幹囲3.5メートル。幹は空洞となり南西部を欠くが復元すれば、4メートル以上の巨木となる。この地方で「エブク」という在来種で、昔の栽培種を知る好資料である。


所在地/南アルプス市中野207
所有者、管理者/
指定年月日/昭和35年11月7日


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宝珠寺のマツ

樹種はクロマツ。根元の周囲4.8メートル、目通り幹囲3.6メートル、地上2メートルの幹囲3.8メートル、枝張りは東へ3メートル、西へ6メートル、北へ7.5メートル、南へ9メートル、樹高15.5メートル。その間、幹枝の屈曲著しく美しい樹形を呈する県下まれな名木。


所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和35年11月7日


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ミヤマシロチョウ

シロチョウ科。白色半透明で、外縁と翅脈にそって黒褐色で裏面は黄色を帯びている。幼虫はメギなどを食べる。本州中部の山岳地帯に分布するが数は少ない。櫛形山の1,000メートルから2,000メートルに生息する。


生息地/櫛形山一帯
指定年月日/昭和52年3月31日


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湯沢の思い杉

思い沢の北に面した斜面に自生しており、樹齢500年、根回り10メートル、枝張り、東西20メートル、樹高33メートルという大木で2本のスギが接触し癒着している珍しい現象が見ることができる。この事から縁結びの神様として古くから地域に親しまれている。

所在地/南アルプス市湯沢2248
所有者、管理者/
指定年月日/昭和53年11月7日


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湯沢のサイカチ

マメ科/サイカチ属
サイカチの巨樹として県下において希に見るものである。
根回り4.2メートル、目通り幹囲3メートル、樹高は約6.4メートルで樹齢は300年を有している老木である。塩沢家は「茨の木大尽」と呼ばれ多くのサイカチが植えられた事で知られている。サイカチの実は薬用になり、以前は石けんの代用にしたこともある。


所在地/南アルプス市湯沢113-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和39年6月25日


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野牛島のビャクシン

ビャクシンはヒノキ科の高木であるイブキの一品種で、本州、四国、九州の海岸地方に分布する常緑の針葉樹である。
樹形が美しいため庭園や寺社境内に植えられていることが多く、本樹も野牛島地区、御所五郎丸の墓前にある観音堂の庭先に立っている。
幹は地上より10メートルの地点で折れているが、現在も樹勢は極めて旺盛で、枝葉もよく繁り、円錐形の見事な樹形をとっている。
規模は、根廻り4.85メートル、目通り3.25メートル、樹高11.5メートル、樹齢は約400年とも言われる、県下有数の巨木である。
鎌倉時代に野牛島に流罪となったといわれる御所五郎丸が、杖をこの地にさしたところ、それが根づいて現在の大きなビャクシンになったという伝承が残されている。


所在地/南アルプス市野牛島2076
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和35年11月7日


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鎌倉時代の古刹 古長禅寺 (ふるさとメール2007年7月17日号)

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高尾穂見神社の夜祭り (ふるさとメール2009年11月13日号)

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樹木を守り伝えるために(ふるさとメール2013年4月15日号)

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水を求めた扇状地の人々 ~雨乞いのパワースポット長谷寺~ (ふるさとメール2010年10月15日号)

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根方の魅力⑦~絶景の地に王は眠る~ (ふるさとメール2011年9月15日号)

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根方の魅力⑨~高尾穂見神社と村々の祈り(上)(ふるさとメール2011年11月15日号)

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根方の魅力⑩~高尾穂見神社と村々の祈り(下) (ふるさとメール2011年12月15日号)

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根方の魅力⑪~語りつくせぬ魅力の数々 (ふるさとメール2012年1月16日号)

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安藤家住宅に歴史あり、雛人形に歴史あり (ふるさとメール2012年2月15日号)

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安藤家住宅の玄関から見る歴史 (ふるさとメール2012年3月15日号)

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もえ立つ神秘の息吹 ~古長禅寺のビャクシン~ (ふるさとメール2012年6月15日号)

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小正月の風物詩 下市之瀬の獅子舞(上)(ふるさとメール2019年1月15日号)

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まちの宝箱~「ふるさと文化伝承館」リニューアルオープン~(ふるさとメール5月15日号)

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歴史探求は続きます(ふるさとメール2023年03月15日(水)号)

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