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種別・テーマで選ぶ - 有形文化財 (建造物以外)

石積出

砂礫と石で造られた堤防で、一番堤から五番堤まで残されている。武田信玄の築堤と伝えられるが、史料で裏づけられていない。少なくとも江戸時代には築堤され、有野の田畑や集落、さらに下流の御勅使川扇状地に立地する21ヶ村を守る役割を果たしていた。国指定史跡(一~三番堤)

[県立博物館蔵]

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将棋頭(六科水田)

将棋頭は、その名のとおり将棋の駒に見立てられた石積みの堤防で、国の史跡に指定されている。武田信玄が築堤し、御勅使川の流れを分流したと伝えられてきたが、史料的裏付けがなく初現は不明である。

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石積出 二番堤

地表に露出している部分だけでは、1段積みの構造。水流があたる川表側に補強の石積みが行われている。

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石積出 三番堤

二段積みの石積み堤防。現存している長さは約100m。先端部の一部が発掘されており、堤防の基礎を守る根固めに井桁状に丸太を組み合わせ、中に石を詰める「木工沈床」が用いられていることがわかっている。

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桝形堤防

徳島堰の工事にとって最大の難所は、川幅の広い御勅使川の横断であった。完成当初は溝を掘り板で堰きとめる「板関」と呼ばれる開渠で通水していたが、少なくとも18世紀初頭には木製の埋樋(暗渠)に変更される。幕末頃には暗渠の壁が石積みとなり、明治から大正時代に入ると粗石をアーチ状に積む「眼鏡」と呼ばれる工法に改修される。
六科村や野牛島村は、その立地から御勅使川の河原の中で暗渠となっている徳島堰を一度開口して取水しなければならず、増水時にその取水口を守る将棋の駒の形をした堤防が枡形堤防である。取水された水は後田堰を通して六科将棋頭の中に導水され、水田に利用されてきた。
平成26年10月6日に国指定史跡に追加指定されました。

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椿城跡(上野城跡)

上野の地に小笠原長清の孫盛長によって築かれた城で上野城といい、周りに椿の花が多かったことから別名椿城とも呼ばれています。
 鎌倉時代のもので、細長い台地の上に堀や土塁で各スペースが区切られていたもので、石垣や天守閣があるようなものとは違います。堀や土塁の位置はレーダー探査によっておおよその位置が把握されています(写真)。
 周辺には地下式坑といって地下室が転々と造られており、時々陥没することから椿城には秘密の抜け穴があると伝えられてきました。市指定史跡。

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鋳物師屋遺跡

 市之瀬台地の縁に近い扇状地にある縄文時代中期中葉(約5000年前)のムラの跡で、直径130メートルの範囲に32軒の竪穴建物跡(隣接する〆木遺跡を含む)が発見されました。
 住居は真中に広場をもってドーナツ状に分布して建てられていきました。
 膨大な量の土器が発見され、日用品から祈り事用とみられるものまであり、205点の出土品が国の重要文化財に指定されています。
なかでも、「円錐形土偶」、「人体文様付有孔鍔付土器」は、当時の精神文化を知る貴重な資料であり、世界中の博物館で紹介されました。

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市之瀬川の石堤

市之瀬川に沿って、県道伊奈ケ湖公園線を伊奈ケ湖に向かって上っていくと、上市之瀬の集落を抜けた左手に「県営砂防事業発祥之地」という石碑が現れ、川の対岸には歴史の厚みを感じさせる苔むした石積みを見ることができます。

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宝珠寺

山寺区にある名刹。
境内に入るとまず目を引くのは県指定文化財のマツ。古木ですので現在は支柱などの様々な保護措置を施していますが枝を広げた姿は優美そのものです。
また、奥左手のお堂にある国重要文化財「木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像」は普段は非公開ですが、平安時代終わりごろの作で、甲斐源氏加賀美遠光ゆかりのものと考えられています。
また、毘沙門天立像はその子、当地周辺を本拠としていた武将小笠原長清により作られたものと考えられています。
 長清は源頼朝の命により奈良東大寺の毘沙門天(多聞天)を作らせており、本拠である小笠原の地と縁を結んだものが当寺毘沙門天立像だろうと考えられています。制作年代も鎌倉期初頭と合致しています。

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河村下野守屋敷跡(常泉寺)

東落合の常泉寺は、武田勝頼に従い天目山で自害した河村下野守道雅の屋敷跡と伝わっている。寺は、道雅の妻が亡き夫の菩提を弔うために建立したと言われ、河村家ゆかりの阿弥陀如来なども伝えられている。

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滑走路跡

冬に吹き下ろす「八ヶ岳颪(やつがたけおろし)を考え、八ヶ岳にむかって設計された幅100m、長さ1500mの滑走路。中央に設けられた誘導路は、今でも農道として利用されている。

現在でも、所々に60数年前動員され人々が造成した滑走路の盛土がそのまま残っている。平成17年度に実施した発掘調査の結果、当時の人々が滑走路両側の土を掘って滑走路に積み上げたたことがわかったほか、土が沈まないように締め固めたような跡も見つかり、当時の人々が行った作業工程を垣間見ることができた。
また、平成23年度には、滑走路北端付近で調査が行われ、滑走路西側を削り、その土を東側に盛って、傾斜をならす工事が行われた痕跡が確認された。
冬季の季節風(八ヶ岳おろし)に対応するため、滑走路はまっすぐ八ヶ岳の方向に向けて造られています。

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誘導路1

ロタコ工事の際に作られた飛行機の誘導路のひとつ。その後、多くの施設が畑や田んぼに戻されるなか、戦後も「便利なので」そのままの農道として使われている。

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築山の横穴壕跡1

ロタコの呼応時に伴って掘られた横穴壕は燃料などを隠して備蓄することや航空部品などの地下工場にすることを目的につくられました。ループ橋から、ここ築山付近まで55基以上が掘られたようです。
横穴壕の工事は、大手ゼネコンが陸軍から受注し、ロタコの工事の中では最も早く、昭和19年あきころ(証言によっては、昭和18年中)から建設が始まったといわれています。

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築山の横穴壕跡2

陥没跡の反対側には横穴壕を掘る際に、掘り出された土の形がそのまま残っています。横穴壕は、戦後すべての壕が崩落などによって閉口し、現状では山肌にその痕跡を辛うじて確認できるといった状況にあります。
横穴壕の痕跡は、円形やU字形の陥没地形です。

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福王寺と横穴壕跡

横穴壕の近くにある福王寺の過去帳には、ロタコ工事で亡くなった朝鮮半島出身者の名前ものこっているといいます。横穴壕が掘られた山の斜面は非常に崩れやすい地盤で、横穴の掘削工事は困難を極めました。

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1・2号掩体壕

掩体壕(えんたいごう)とは、飛行機を格納し、隠し、爆風から守る施設です。屋根の無いものや、屋根をコンクリートで造るものなど様々な形が知られています。
畑の中に残る掩体壕の跡。

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誘導路2

南半分は地域の人々が常楽寺にむかう「オテラミチ」を拡幅。北半分は、ロタコ工事に際して新設された。新設部分は戦後畑にもどされた。

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西光寺跡

かつては七堂伽藍を備えたといわれる真言宗の大寺院。現在は廃寺となっており、わずかな石造物のみが寺院の面影を今に伝えている。

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石積出 四番堤

先端部の一部で発掘調査が実施されている。調査の結果、石積みの土台として梯子土台が用いられ、根固めには木工沈床が使われ、さらに川表側には鉄線の蛇籠が並べられていた強固な構造であることが明らかとなっている。

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不動明王石祠

小曽利公会堂裏に不動明王を祀った石祠があります。かつて寺の沢にありましたが、昭和34年の台風で流されてしまったため、昭和36年6月6日、新たに建てられました。



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高尾 穂見神社

高尾集落の北西端、標高870mの地点に穂見神社があります。
穂見神社は平安時代に編さんされた延喜式に掲載されている式内社と伝わる由緒ある神社で、その雰囲気は神々しく、高尾集落の象徴ともいえます。

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牛捕淵(うしとりぶち)

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「牛捕淵」ページはこちらから↓

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高尾山林道の中腹、青野集落の下に位置します。
深澤川が高さ15mほどの滝のようになっており、滝つぼも深いことから、村人たちは山から鹿を追いやってこの滝つぼに落として捕獲したという伝説があります。
「うし」とあるのに「鹿」を捕ったということは「カモシカ」をとったいたのではないかという説もあります。
写真はその上部付近で、
淵付近は近年の大規模な崖崩れにより、埋まっており、往時よりも浅い雰囲気となっています。

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鋳物師屋遺跡のサル形土製品

鋳物師屋遺跡出土の縄文時代中期(およそ今から5000年ほど前)のサルの顔をした土製品で、国の重要文化財に指定されています。
全国の遺跡(主に本州)から縄文時代のサルの骨などは出土しており、その存在は証明されていますが、サルを模した土製品はそれほど多くはありません。
 また、サルの土製品とされているものでも、サル似の人?のようなものが多く、ここまでリアルにサルを表現しているものは全国でも大変珍しいです。
ほほの下の鳴き袋まで表現されているのです。
右耳は欠損しており、後で復元修復しています。

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虎御前の鏡立石(Kagami Tate Ishi,the mirror stand of Toragozen)

虎御前が化粧をするのに鏡を立てていたと伝えられる石。

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さいの神

野牛島集落の西はずれの小高い塚上に、「西の神地蔵」と呼ばれる板碑が南面して建てられている。高さ65センチメートル、幅27センチメートル、厚さ14センチメートルの安山岩製である。

頂部は三角形に造られ、その中央に阿弥陀如来を意味する梵字「キリーク」の文字が陰刻されている。頭部と下部を区画した3本の条線の下には、造立主旨が刻まれている。それによるとこの板碑は天文13年(1544)に、多くの信者が円明に入る(悟りに至る)ことを阿弥陀如来に祈願してたてられたものであるという。

すなわち、「西の神地蔵」と呼ばれているこの板碑の本尊は、実は地蔵菩薩ではなく阿弥陀如来なのである。銘文下の方形の龕部(がんぶ)に陽刻された像は、顔の形や衣などがいかにも地蔵風であるが、それは阿弥陀如来に地蔵菩薩が集合したためである。
さらに、この板碑には「西の神」も習合されている。「西の神」とは、村へ入ろうとする悪霊を防ぐ「塞の神」のことであり、道辻に立つ道祖神がそれである。この板碑には庶民の生活に浸透していたさまざまな信仰が幾重にも重なり合っているのである。

なお、造立主旨には八田村の語源となった「八田庄」の文字が見える。「八田庄」は中世に八田から白根、櫛形まで広がっていた荘園といわれるが、それに関する史料は少なく不明な点が多い。その中で「西の神地蔵」は、「八田庄」を記す最も古い史料であり、歴史史料としての価値も高い。

所在地/南アルプス市野牛島2616
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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すむじ街道

八田地区にある高砂の渡しから韮崎方面へとまっすぐ北西に伸びる道をすむじ街道といいます。
甲府市街から武川、信州方面へ通じる甲州街道とは別に南側のルートをとる裏街道でした。

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紙本墨書大般若経561巻

大般若経は唐の太宗の命によって玄奘三蔵(602年~664年)が梵本から訳したものです。
「般若」とは、さとりに至るための知恵という意味で、古くから霊験あらたかな経として、しばしば書写・版刻の上、寺社に奉納され、いろいろの祈願のために読誦されてきました。この経典は建長6(1254)年、武田信義の孫信長が願主となって武田八幡社に奉納したものですが、明治初年の神仏分離令により同社の管理寺であった法善寺に移され現在に至ります。
良質の楮紙の折本で各巻頭には「願主源信長」等の署名があります。
奥書によればその頃の甲斐の大寺平塩寺(市川大門)、大善寺(勝沼)等の学僧によって写され校合されたものです。
質実剛健な源氏納経の代表的なものとして全国的にみても誠に貴重な文化財です。

指定年月日/明治38年4月4日
所有者、管理者/加賀美・法善寺蔵

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木造十一面観音及毘沙門天、不動明王立像

もともと円通院にあり現在は隆円寺で管理している本像は江戸時代の地誌『甲斐国志』に「日不見観音(ひみずかんのん)」と記載されるように、三十三年に一度の開帳の秘仏として祀られてきた。史料がなく造立の次第などは不明だが、元禄4年には近隣の人々が施主となり大規模な修復が施されるなど、古くから人々の信仰を集めてきた尊像である。
中尊十一面観音像と毘沙門天像は、両肘より前及び天衣まで含んで一本の材から彫出し、内刳を施さない古式の構造で、平安時代前半11世紀頃の所産と考えられる。不動明王像は肩で矧ぐ構造がこれら二像と異なり衣文の表現などより簡略化され、二像よりやや遅れた12世紀前半頃の造立かと思われる。
観音像を中尊とし、不動明王像と毘沙門天像を脇侍とする形式は、10世紀末頃に比叡山延暦寺で成立し、以後天台宗の寺院で多く造立されるが、本像はこうした天台形式の三尊像として全国的に見ても早い時期の造立であり、この形式の地方への広がりを考える上で貴重な作例といえる。また、これまで甲斐国への天台宗の伝播を示す資料はすくなかったが、本像は平安時代中期における同宗の存在を確実に伝えており、天台宗伝播の最も古い遺例として甲斐の仏教史の上でも非常に重要な作例である。


所在地/南アルプス市下今井841
所有者、管理者/隆円寺
指定年月日/平成20年4月17日
備考/

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木造阿弥陀如来坐像

隆円寺所蔵本像は、全体のバランスが良くとれ、しかも引き締まった造形をみせる。像の表面が造立当時のまま伝えられていることも貴重で特に衣の全面には多種類の截金(きりかね)文様が残る。制作年代は鎌倉時代半ば頃と考えられ、端正で洗練された作風から作者は京の仏師と考えられる。また、本像頭部には、文書が2通納入され、うち1通が取り出されている。二紙からなるこの文書には仮名文字で浄土往生を願う願文が記され、本像が当時の浄土信仰のなかでの造立であることがわかる。像内に願文や納入品を奉納した阿弥陀如来像は県内では本像が初めての例であり、阿弥陀如来に寄せる当時の人々の篤い信仰を具体的に伝える貴重な作例といえる。


所在地/南アルプス市下今井841
所有者、管理者/隆円寺
指定年月日/平成20年4月17日
備考/

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厨子入り地蔵菩薩坐像 1躯 附厨子

法憧院所蔵の本像は、戦国時代の様式をよく伝えるまとまりのいい作例といえる。
厨子は仏堂を模した宮殿の形で小型ながらどっしりとした趣があり、中世に遡る単独の厨子は県内ではめずらしい。
厨子内面の三つの壁面全体に記される墨書は、天文3年(1534年)に檀家の人々が毎月費用を出しあい、大工加賀美五郎右衛門に依頼して厨子を造立した次第を記したもので、当時の人々の厨子建立に寄せる思いを伝えるとともに、戦国時代前半の歴史を知る上でも重要な史料といえる。
中世に遡る作例で尊像、厨子、銘文が揃って伝わる作例は県内では非常に稀であり、厨子銘文中に十日市場の村名がみえ、甲府盆地に春を呼ぶ祭りとして有名な「十日市(南アルプス市指定史跡)」の起源を考える上でも興味深い作例である。

所在地/南アルプス市
所有者、管理者/法幢院
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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石丸地蔵

ふれあい情報館を右手に見ながら南へ進み、指定文化財の標柱の角を曲がって細い農道を西に進むと果樹畑の中にひっそりと石丸地蔵が立っている。
高さ120センチメートル、幅37センチメートル、奥行27センチメートル、安山岩製の石仏である。頭部は剃髪を表す円頭で、耳朶が大きい。衲衣を着ており、背面には刻線で衲衣が表現されている。
左手に宝珠、右手には失われているが錫杖を持っていたと思われ、一般的な地蔵苔薩立像の姿を表している。
長年の風雨によって像全体が摩滅しているが、それがかえって柔和な表情を作り出し、親しみやすい雰囲気をかもし出している。
銘文は見られないが、形状から室町時代末期のものと推測される。
伝承によると、榎原に住む石丸一族の守護仏として信仰され、大正年間まで提灯を吊した祭りが行われていたとされる。

所在地/南アルプス市榎原521
所有者、管理者/榎原区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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木造釈迦如来坐像一軀

この仏像は、客殿に安置してあって、寺記によると、24代日侑造立のもので享保年間(1716年から1735年)の作である。全体に江戸時代によくみられる卑俗性がなく、古い時代形式を求めんとした仏師の心境がうかがえる。西郡地方稀有の大金色坐像といえよう。像高 107センチメートル。八陵型須弥山形裳懸座からは171センチメートルある。面長22、面深23、肩張り56、膝高15。

所在地/南アルプス市鏡中条700
所有者、管理者/長遠寺
指定年月日/昭和58年1月1日
備考/

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木造日蓮上人坐像一軀

所在地/南アルプス市鏡中条747
所有者、管理者/妙連寺
指定年月日/平成元年1月19日
備考/

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木造僧形八幡大菩薩像一軀

所在地/南アルプス市鏡中条747
所有者、管理者/妙連寺
指定年月日/平成元年1月19日
備考/

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木造新功皇后坐像一軀

所在地/南アルプス市鏡中条747
所有者、管理者/妙連寺
指定年月日/平成元年1月19日
備考/

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宝珠寺木造毘沙門天立像

身を甲冑にかため、右手に宝珠を捧げて鬼形上に立つ。内刳りのある寄木造で、肢体服装に強い動きを示す堂々たる作風である。「宝珠寺二尊縁起」にいう元禄年間の修理が巧みでないのが遺憾である。

所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和51年3月2日
備考/

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本重寺板本尊

縦78.3センチメートル、幅41.1センチメートルで用材は桂である。弘安5年(1282年)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式で、正中2年(1325年)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。


所在地/ 南アルプス市上野347
所有者、管理者/ 本重寺
指定年月日/ 昭和52年11月22日
備考/

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木造野中地蔵菩薩坐像

山寺野中一族の仏神。内刳りのある寄木造で、胡粉地彩色、下地に紙を用いた室町時代の手法で造られ、永正十5年(1517年)開眼後再度補修彩色が施される。像高82センチメートル。胎内に梵字による光明真言等の墨書がある。


所在地/南アルプス市山寺92
所有者、管理者/
指定年月日/昭和52年11月22日
備考/

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遠光・光朝の木造

加々美次郎遠光像は玉眼挿入、内ぐりのある寄木造。作者は無名でありながらも鎌倉期における肖像彫刻の逸品である。
坐高…48センチメートル
肩張…36センチメートル
肘張…38センチメートル
膝張…52センチメートル
膝高…9.5センチメートル
秋山太郎光朝公座像は彫眼、寄木造で像に彩色が見られる。
台座には享保19年(1734年)の墨書きがあるので江戸時代中期の作であることがわかる。

所在地/南アルプス市秋山567
所有者、管理者/秋山光朝公奉賛会
指定年月日/昭和42年10月1日
備考/

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伝曽我十郎木像・伝虎御前木像

以前は伊豆神社のご神体であったが、荒廃したので大正十年諏訪神社に遷祀された。これまで、曽我兄弟木造とされてきたが、平成十二年に行った鑑定結果と、合併前の芦安村文化財審議会及び諏訪神社の氏子により、この木造が曽我十郎と虎御前であるとの見解が出され、名称変更されることとなった。
曽我十郎と恋人同士であった芦安出身の虎御前を祀った木像であると思われる。


所在地/南アルプス市芦安芦倉960-11142
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和59年11月26日
備考/

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木造 夢窓国師坐像

本像は椅子上に座禅を組む姿勢をとり、法衣を垂下させている。
坐高82.5センチメートル、材質は桧材を用いた寄木造、挿首、玉眼をはめ込み黒漆塗りが施され、頭頂はとがり、細面の容貌やなで肩など国師の特徴をよくふまえている。穏やかな表情でありながら、禅僧としての気構えや峻厳なまなざしに気迫さえ感じる。天保7年(1836年)に加修の銘札が胎内に納められている。


天保七丙申六月日
此尊像経幾百星故漸々破壊
雖奉恐不忍拝見欽奉加修利者也

慎仙庵謹誌之




名称/木造夢窓国師坐像
所在地/南アルプス市鮎沢505
所有者、管理者/古長禅寺
指定年月日/昭和58年6月6日
備考/1357(延文2年)

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長盛院の絹本著色仏涅槃図

涅槃図は釈迦が入滅する情景を描いたもので、仏教絵画の代表的主題のひとつである。
本図中央には、北を枕にし西を向いて横たわる釈迦が配置され、その周囲には菩薩や諸天、仏弟子、さらに雉や象、獅子などの鳥獣までもが嘆き悲しむ様が描かれている。
右上方には、仏母摩耶夫人(まやぶにん)が悲報を聞いて天上界から飛来した姿が描かれている。上方中央の満月や背後に描かれた跋堤河(ばっでいが)(釈迦が人滅した場所を流れる川)、釈迦を取り囲む8本の沙羅樹は釈迦入滅を表す一連のモチーフである。本図は、豪放さと緻密さを兼ねあわせた優品である。
本図の左下に「維時元禄十三年庚辰七月大吉祥日、山城国愛宕郡平安城万寿寺通高倉西入ル、絵所中西氏家信拝書之」と書かれており、製作年代や作者を知ることができる。


所在地/南アルプス市徳永1683
所有者、管理者/長盛院
指定年月日/昭和59年3月1日
備考/
年代…江戸時代元禄13年(1700年)
作者…中西氏家信

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絹本着色釈迦涅槃図一幅

釈迦涅槃図で最古のものは応徳三年(1086年)作画の高野山金剛峯寺所蔵のものであるが、鎌倉時代になるとこれが普及し数多く描かれるようになり、図柄も時代と共に変化してきている。法善寺蔵のこれは寛文四年(1664年)東福寺の自得という僧の作であるが、おそらくは明兆の系譜をつぐ絵仏師であろう。

所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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絹本着色弘法大師像図

この図は高野山の御影堂に祀ってあるものと同一の図柄で、真如法親王が生前の空海のお姿を自ら写されたものとされている。真如法親王は平城天皇第三皇子であるが、出家して東大寺に学び後空海の弟子となった。求法のために唐から印度へ向かう途中、虎害にあい78歳で葬ぜられたといわれる。この図の裏書によれば寛永7年の作であり、出所等も明白で作画もすぐれているので古美術品としても貴重なものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和51年1月1日

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掛絵六地蔵菩薩像6面付厨子・地蔵菩薩像縁起一巻

桧板に描かれた地蔵、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道衆生救済の地蔵尊像を岩絵具であらわしたものである。それぞれ元和五巳未正月吉日。野呂瀬主税助とある。長さ41.5センチメートル。幅28センチメートル。画像は平均高35センチメートル、縁起は鼻採地蔵縁起と初めに記されてある軸もの、巻子本である。見返りを除いて長さ362センチメートル。幅34センチメートル。末尾に、寛永17癸未霜月甘四日直自とある。地頭野呂瀬主税助直自(徳川家康臣甲府城代平岩親吉家臣)の筆とされる。

所在地/南アルプス市十日市場
所有者、管理者/安養寺
指定年月日/昭和51年1月1日

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隆昌院釈迦涅槃図

江原山隆昌院は寛正3年(1462年)に開基し、本尊は千手観音である。
この涅槃図の伝来は不詳であるが、上方軸芯部に墨書で寛文11年(1671年)との銘記が発見された。四枚の絹を女性の手によって縫い合わせた庶民的な作品であり、仏教の教えが庶民に厚く広がっていた事を示す貴重な作品である。
法量:縦…261センチメートル、横…157.5センチメートル

所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
備考/

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隆昌院の飯縄権現造図

飯縄権現信仰は北信州飯縄山に対する山岳信仰として知られている。室町時代武州高尾山に入山した俊源大徳が修行の結果、一夜の霊夢によって飯縄権現を感得し、その像を刻み一山の守護神として山頂に勧請したことにより、関東一円に広がったと言われている。本図は作者、伝承等は不詳であるが、江戸初期の作品だと考えられる。

所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
備考/

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木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像

五智如来(ごちにょらい)とよばれていた宝珠寺の五尊は、平成3年に国の重要文化財に指定されるさいに、大日如来(だいにちにょらい)をとりまく四尊の手の結び方特徴があることにより、大日如来及四波羅蜜菩薩像(だいにちにょらいおよびしはらみつぼさつぞう)と呼ばれるようになりました。

四波羅蜜菩薩(しはらみつぼさつ)

金剛波羅蜜菩薩 宝波羅蜜菩薩 法波羅蜜菩薩 羯磨波羅蜜菩薩
金剛波羅蜜菩薩
(こんごうはらみつぼさつ)
宝波羅蜜菩薩
(ほうはらみつぼさつ)
法波羅蜜菩薩
(ほうはらみつぼさつ)
羯磨波羅蜜菩薩
(かつまはらみつぼさつ)


名称/大日如来
所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/平成3年6月15日
材質/木造(檜)
技法/寄木造・彩色(彩色は江戸時代の補修による)
像高/100.4センチメートル
制作年代/平安時代(1090年から1190年頃)
所蔵/宝珠寺(山梨県南アルプス市山寺)
墨書(像内の体部左側にある)/願主金剛佛子勝阿(勝阿につては不明)

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上宮地伝嗣院の大日如来座像

伝嗣院の旧寺領内にあり、御幸道の脇に富士山に向いて建てられている。高さ1.6メートル、幅1.2メートル程である。髪は螺髪で智挙印を結ぶ。右膝部に「寅山代」、像背に「寶永歳」の刻印がある。


所在地/南アルプス市上宮地1408-1
所有者、管理者/伝嗣院
指定年月日/平成元年5月31日
備考/

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鋳造の金灯籠

全長123センチメートル、鋳造で造られた鉄製の灯籠を笠には製作年代と思われる「天正15年(1587年)6月」の銘がある。隣に人名らしき文字も見られるが、判読できない。
鋳造の金灯籠は県下でも珍しく、中世のものは他に知られていない。
この灯籠はもともと酒造業を経営する六科区笹本米蔵氏の庭に置かれていた。笹本家は以前刀鍛冶を営んでいたと伝えられており、この金灯籠となんらかの関係があると思われる。


所在地/南アルプス市野牛島2727 ふるさと文化伝承館内
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/平成10年2月2日
備考/

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大日如来像

銅製の厨子の四隅には風鈴がついていて、その鈴の音は登山者の安全を守ってくれる尊い守り神である。かつては北岳山頂に石の祠がありそこに安置されていたという。
明治中頃までの登山者は拝していたようだが、その後、心無い人によって持ち去られ、人の手を渡り歩いていた。しかしこの大日如来を手にした人はよいことが起こらず、病人が絶えなかったので、諏訪神社に奉祀したものである。

所在地/
所有者、管理者/大曽利諏訪神社
指定年月日/
備考/
高さ…65センチメートル
幅…10センチメートル
座高…9.5センチメートル
材質…銅製

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宝筐印塔群

恵光山長遠寺歴代墓域内にある五基を対象とする。北端の東塔は基礎から笠上端まで23センチメートル。正面には横に二祖、縦に日永と刻し、向って右に文和4年(1355年)、左に八月七日とある。西塔は、基礎から相輪まで31.5センチメートル。塔身の正面格狭間のなかに、中央に三世日用と縦刻、向かって右に応安二酉(1365年)左に七月五日とある。東塔年号は、県下在銘塔中屈指のもので、両塔とも北朝紀年号が刻されて、南北朝時代を偲ぶ歴史的価値がある。しかし塔全体が完備してなく、時代的にはおくれた感もある。


所在地/南アルプス市鏡中条700
所有者、管理者/長遠寺
指定年月日/昭和58年1月1日
備考/

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蔵珠院六地蔵幢

安山岩製で高さ1.75メートル、基礎の一部が埋没している。幢身に応永28年(1421年)の銘、「延命地蔵経」の句節、施主名などが陰刻されている。県内でも数少ない室町中期の遺品である。


所在地/南アルプス市桃園740
所有者、管理者/蔵珠院
指定年月日/昭和52年3月31日

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隆昌院本堂の桟唐戸

桟唐戸は鎌倉時代に禅宗が渡来した折りにその建築様式とともに伝えられたもので、禅宗様扉とも呼ばれ、その後他宗の寺院や神社等でも広く用いられるようになった。隆昌院の桟唐戸は様式からして桃山時代(1574年から1614年)の頃に製作されたものと考えられる。高さ2.53メートル、幅0.45メートル両折両開で黒漆仕上げ、上部の花狭間や八双金物に打ち抜かれた猪目形など美しく優れた作品である。


所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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東南湖八幡宮の御輿と神鈴

東南湖の御輿は尺五御輿と言われて小型のものであるが、正格な江戸木割によって施工されている。文政八年(1825年)に修復が記されており、製作はそれ以前に遡り江戸中期頃と推定され、美術的にも大変すぐれた作品である。
神鈴は銅製で文禄三甲午年(1594年)の銘文を持つ桃山期の作品である。


所在地/南アルプス市東南湖3282
所有者、管理者/東南湖八幡社
指定年月日/昭和60年3月30日
備考/

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神部神社の算額

わが国古来の数学である算額は江戸時代に関孝和らを中心に発達した。和算家が自分で発見した問題や解法を絵馬に書き寺社に奉納したものを「算額」と言った。
神部神社の算額は文化三年(1806年)に上州の和算家清水直次郎央七が奉納したものである。


所在地/南アルプス市下宮地563
所有者、管理者/神部神社
指定年月日/平成5年3月28日
備考/

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板絵僧形八幡神像一面

神仏は本来同じものであるという思想にもとづく彫刻絵画等を垂迹美術と称するが、これもその一つである。本地仏である阿弥陀如来が人々を救済するために現われたのが八幡神である故、八幡神が大菩薩として僧形をとっている訳である。本地垂迹説は仏教の日本的変容のもっとも著しいあらわれであり、それを表現した美術は日本独自の仏教芸術であると言える。裏面の墨書銘によれば寛正二年(1461年)法善寺第八世の厳延が武田八幡社へ奉納したものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和52年3月21日

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絹本着色十六善神像一幅

十六善神は般若経の守護神といわれ、大般若経を読誦する折にはこの軸をかけることになっている。墨書銘は「丙申八月十六日対島法眼」とあって制作年代は不明であるが、その画材、画風等からして室町中期の作と推定される。釈迦如来を中心として文殊、普賢、般若等の諸菩薩ならびに大般若経を訳出した玄奨三蔵が侍し、それを囲んで16人の諸神が威風堂々と描かれている。整った像容、おだやかな色彩、写実的で平明な表現の中に荘厳さのただよう一幅である。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/平成3年5月30日

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長谷寺木造十一面観音像

長谷寺十一面観音立像は、長谷寺の本尊として大永4年(1524年)再建の本堂厨子の中に秘仏として祀られている。この十一面観音像は、古くから原七郷の守り観音として多くの人々の信仰を集めており、江戸時代には、甲斐国札所第4番の観音であったという。
本像は、頭頂に仏面、その下に1列に化仏(けぶつ)十面を表す十一面観音である。現在、左右の手は失われているが、造られた当初は、左手には蓮花を挿した水瓶を持っていたと思われる。右手の形ははっきりしない。また、本像の台座が通常の蓮華座ではなく、岩の形を模した岩座であることからは、本像が木の霊性を尊ぶ立木仏として造られたと考えられる。

本像は、像高169.3センチメートル。長身ですんなりとした姿に表される。お顔は優しい中にも厳しさがあり、威厳を感じさせる。天衣(てんね)や下半身に身につける衣の表現は控えめながら柔らかい布の質感を伝えている。
本像の材質はカツラで、左右の手以外のすべてを1本の木から彫り出す一木造という技法で造られている。この一木造のうち、臂を曲げる左手までも同じ木から彫り出すのは、平安時代前期頃に多くみられ、本像もこうした平安前期から中期にかけての造立と考えられる。地域の古い歴史を今に伝える貴重な尊像である。


所在地/南アルプス市榎原442
所有者、管理者/長谷寺
指定年月日/平成16年11月29日

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木造獅子頭(もくぞうししがしら)

百々諏訪神社所蔵の獅子頭は鎌倉期の嘉元3年(1305年)藤原吉宋の手によって作られた日本でも5番目に古い獅子頭である。
この獅子頭は木彫で、上顎、下顎、舌の三部分からなっている。
用材はヒノキで、その上に彩色をほどこしてある。
規模は面幅20センチメートル、面高23センチメートル、面深29センチメートルとなっている。


所在地/南アルプス市百々1537
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和43年12月12日

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木造薬師如来像(もくぞうやくしにょらいぞう)

上今諏訪の慈眼寺には、県の文化財に指定された仏像が多くあります。このうち薬師如来坐像は、坐高85センチメートル、材質はヒノキで、頭部と胴体が一つの木で造られている一木造りで、年代は藤原前期のものと推測されている。
慈眼寺は、平安期にさかのぼる真言宗のお寺だったと推定されているが、一時衰退し天文年間(1532年から1554年)に曹洞宗のお寺として再興されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1783
所有者、管理者/慈眼寺
指定年月日/昭和44年11月20日

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木造阿弥陀如来立像

飯野の曹洞宗常楽寺の本堂に安置されている鎌倉期の阿弥陀如来像。
像の総高は132センチメートル、材質はヒノキの寄木造りで玉眼がはめ込まれている。
かつては彩色されていたかと思われるが、現在は色は落ち、像全体に木目が表れていて、ひとしお奥床しさが感じられる。


所在地/南アルプス市飯野1065
所有者、管理者/常楽寺
指定年月日/昭和44年11月20日

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神明神社正徳四年再興棟礼 1枚

棟札とは、建物を新築・再建した際に、施主や大工の名前、工事の日付、経緯などを記録するために作られ、天井の棟木などに打ち付けられる板札である。
神明神社の棟札には、正徳3年(1713年)8月に起こった洪水によって現在の神明神社から5丁(約545メートル)ほど東にあった本殿が流失し、正徳3年12月に現在地へ移転、正徳4年に棟札が奉納され、神社が再興された事績が記されている。
釜無川の河道変遷やそれに伴う上高砂集落の移転を考える上で、貴重な歴史資料である。


所在地/南アルプス市上高砂958-1
所有者、管理者/神明神社
指定年月日/平成14年11月12日

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木造菩薩形立像

上今諏訪の諏訪神社本殿に菩薩形と思われる立像一軀(いっく)が所蔵されている。
作風からも藤原仏で、隣接する慈眼寺の仏像群の一体ではないかといわれている。天冠台などに一部残る漆塗の跡に往昔の秀麗優美さがしのばれる。背部に鎌倉期に加修した跡が残る。
材質は樟(くすのき)材の一木造で頭・胴ともに内刳りが施されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1778
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和44年11月20日

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須沢城跡

御勅使川扇状地を見渡せる高台にある山城の跡。城跡らしいものは残っていないが、城の本丸に当たるところに室町初期のものとみられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔が数基建てられている。
城主は、当時西郡地方を支配していたと思われる逸見(へんみ)孫六(まごろく)入道(にゅうどう)と言われている。
正平5年(1350年)12月鎌倉で失脚した高師冬(こうのもろふゆ)がこの城を頼って落ちのび、翌年正月、上杉能憲及び諏訪の祝部(ほうりべ)の連合軍に攻められ落城した。(桜雲記による)


所在地/南アルプス市大嵐
所有者、管理者/西区
指定年月日/昭和55年9月24日

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木造諏訪神社神像

室町時代の特色をよく具えた衣冠束帯姿の簡素な像である。応永十六年(1409年)に本殿建て替えとともに奉納されたもので、「信心大施主藤原吉光与四郎敬白(略)」の墨書がある。


所在地/南アルプス市曲輪田1077
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和40年5月13日

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辻嵐外の墓

成妙寺の山門をくぐると「笹の葉や今に鶯年よらず」と詠われた句碑がある。
辻嵐外は江戸後期の俳人である。嵐外は明和8年(1771年)敦賀に生まれ、年に甲斐を訪れ若草町藤田の五味可都里を頼り、その後75歳まで落合を中心に甲斐の俳諧文化の向上に努めた。嵐外は俳諧結社安楽林社との交友が深く、弘化2年(1845年)11月26日成妙寺に「嵐外日哉の墓」を建立した。


所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日

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深向院の釈迦如来像

本尊は至徳2年(1385年)大仏師越後阿闍梨増光の作である。
深向院は天長年間(824年から832年)弘法大師の草創と伝えられている。真言宗に属し、武田五郎信光が再興し信光寺と名付けた。
桧材の寄木造りで、坐高23.5センチメートル、肩張14センチメートル、肘張19センチメートル、膝張24.5センチメートル、膝高5.2センチメートル。
像背面内部に造顕年代が記されている。
至徳二年十一月日
「大仏師越後阿闍梨増光造」


所在地/南アルプス市大師1172
所有者、管理者/深向院
指定年月日/昭和46年2月26日

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鰐口(わにぐち)

鰐口は、古くは金鼓(こんく)と呼ばれ、社殿や仏堂前の軒下につるされた金属製の具であり、その形から鰐口といわれるようになった。
久本寺の鰐口は、享徳3年(1454年)のもので、面径13センチメートル、口径15.1センチメートル、縁高3.6センチメートルである。
表面に記された文字から、子孫繁栄を願って観音堂に奉納されたことが分かる。


所在地/南アルプス市下今諏訪556
所有者、管理者/久本寺
指定年月日/昭和35年11月7日
備考/

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伝保昌(ほうしょう)の刀

鎌倉後半期の大和刀工、保昌の作とされている刀。
長さ73センチメートル、反り2.1センチメートル、形状は鎬(しのぎ)造りで、造り込み格好、その他全て保昌派の特徴をよく示した優作である。


所在地/
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和40年5月15日

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穂見神社銅製懸仏

径26.4センチメートル、厚0.3センチメートル、耳口間10センチメートルで2.0センチメートルの突起がある。表面に冠をつけ両手に笏を捧げて台上に座した神像の蹴彫りがあり、「甲斐国八田御牧北鷹尾 天福元年(1233年)云々」の銘がある。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/昭和40年5月13日

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桜田家鰐口1口

銅製。直径17.2センチメートル、縁厚5.6センチメートル。外帯に「永正二年(1505年)から願主為清敬白。奉主~信州伊那飯嶋郷田切村」の銘がある。桜田家に伝来の由来は不明である。


所在地/南アルプス市下市之瀬872
所有者、管理者/
指定年月日/昭和42年5月29日

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秋山太郎光朝供養の経筒及び付属品

この経塚の遺品は慶安年間(1648年から1652年)に秋山熊野神社境内より発見されたと伝えられている。光朝は甲斐源氏加々美遠光の長男、経筒銘にある光経は光朝の弟で、遠光の四男である。本経筒は銘文に建久8年(1198年)の年号があり、鎌倉初期の経塚造営の状況を知るのに貴重な資料となっている。
経筒には次の銘文が刻まれている。

信心大施主…源朝臣光経

芳縁源氏…所生愛子等

現在悲母…禅定此丘尼

建久八年十月十一日

出土品には宝珠型のつまみのついた蓋が2点、短刀3口、陶製の壺1点がある。


所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和47年1月27日

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八王子権現の剣

長さ28センチメートル、元幅2.8センチメートル、先幅2.7センチメートル
表面に銘濃州関住兼次、裏面に大永六年(1526年)六月日の銘文が刻まれている。
この刀剣の由緒の中に「武田信虎公大永六丙戌年在銘兼次ノ剣」とある。
地鉄の鍛え、刃文、やすり、銘、年紀、茎の特色から室町時代に活躍した志津兼氏一門の系譜を引く刀工の手によるものと思われ当時の製作手法に基づく作品として貴重である。


所在地/南アルプス市落合1092
所有者、管理者/落合八王子社
指定年月日/平成元年7月19日

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八幡神本地仏鏡像一面

法善寺が管理していた武田八幡宮の本地仏として尊崇されたもので、全体の構造、手法は鎌倉期の特徴をよく表わしている。技法は必ずしも優れているとはいえないが、素朴の中に烈々たる信仰心がうかがわれ、その深遠な宗教性は拝するものの心にせまるものがある。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和54年12月28日

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紙本墨書長盛院の大般若経

時代…享保13年(1728年)4月17日から元文4年(1739年)5月17日
作者…嶽恩和尚・玄嶺和尚
長盛院境内の「経蔵」に嶽恩筆紙本墨書大般若経600巻が収められている。この般若経は亨保年間、長盛院の末寺、正重院の住職であった嶽恩和尚とその意志を継いだ本山玄嶺和尚によって写経されたものである。
嶽恩和尚は本寺の繁栄や天下の泰平、国土の安穏、子孫繁栄、村里の豊饒を祈願し、享保13年(1728年)4月17日、大般若経の筆写をはじめた。長年にわたる写経は心身をさいなむ辛苦を与え、時には天井から吊した縄で筆を持つ腕をささえていたといわれる。
500巻を書き終え、その完成を目前にしながら元文2年(1737年)2月9日、59才で他界した。本山玄嶺和尚はその志を継いで写経を進め、2年後の元文4年(1739年)5月17日、大般若経600巻の写経を完成させた。複数の僧侶によって書かれた大般若経は多数あるが、ほぼ1人の手によって書かれたものは県内でも類例が少ない。


所在地/南アルプス市徳永1678
所有者、管理者/長盛院
指定年月日/昭和51年3月1日

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伝嗣院紙本墨書大般若経

各帖縦28.8センチメートル、横10.6センチメートルの折本。大檀那今沢重貞によって奉納されたもので明応十年・文亀元年(共に1501年)の書き付けがのこる。経巻600巻に欠失なく多くの奥書があり、戦国時代の史料としても貴重なものである。


所在地/南アルプス市上宮地1424
所有地、管理者/伝嗣院
指定年月日/昭和40年8月19日

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版本大毘盧遮那成仏経疏16巻

大日経は金剛頂経と共に密教の根本経典であり、716年インドから唐に来た名僧善無畏三蔵が翻訳した経典である。三蔵はさらにその経典についての講義を行い、それを弟子の一行禅師が筆録したのが経であり、宗教の理論的説明のさきがけをなすものとして仏教学徒の必読の書とされている。法善寺蔵のこの本は世に高野版といわれる本版本であり、巻末の奥書によれば弘安元年(1278年)頃版刻されたものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和53年3月30日

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紙本墨書金光明最勝王経十巻

原典は唐の義浄三蔵が訳出したものである。鎮護国家、万民豊楽を祈る経典として古くから特に為政者によって信奉されてきたが、一般に経典は華美なものが多い。法善寺所蔵のこれは天文八年(1539年)武蔵国藤田郷の聖天宮にその地の領主が奉納したものであり、田舎武士にふさわしい誠に質素な本である。これは加賀美家伝来の経本で慶長12年法善寺18世玄覚が点注を加えている。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和61年9月17日

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法善寺伝承本真言宗諸流聖教類769点

聖教類には、仏、菩薩、その他諸等に対する礼拝法、供養法、念踊法など実践的な修行方法が示されている。
得度を終了した出家者が所定の行規にしたがって、修行しながら逐次、伝授や講伝を授けられた、いわゆる師資相承の秘法である。
行者は師から授けられた折紙、冊紙、巻紙を書写し、伝授の権威を保つために伝授日時や師資名、道書名を巻末に誌しているものが多い。
この聖教類は、真言宗学問寺として栄えた法善寺にふさわしく一ヶ寺にこれだけのものが残っていることは県下は勿論、全国的にもきわめてまれである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和62年2月10日

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大薙刀銘備州長船兼光一振

これは信玄が武田八幡宮に奉納したものであるが、明治初年神仏分離の際、法善寺へ移されたものである。「備州長船兼光」と在銘で長さ四尺六寸身幅一寸五分厚さ四分半もある実に堂々とした大薙刀である。兼光は鎌倉時代の長船鍛治を代表する名工で、初代と二代とがあり、二代の頃には武威を誇示するのあまり三、四尺もある豪刀が全国的に流行した。銘の書体から見たのでは初代か二代か決めかねるが、時代相を反映した雄大な姿から見て二代兼光作と思われる。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/平成6年11月7日

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高尾穂見神社の大スギ

社殿前の東に位置する境内一の巨樹で御神木とされてきた。目通り幹囲5.75メートル、根廻6.80メートル、樹高45メートル、枝張り東西25メートル南北20メートル。樹型は直幹、枝張り方錐形の美形である。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/平成5年11月25日

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清水八幡の夫婦ケヤキ

清水八幡神社境内に東西に自生する老木である。西側が夫で、かつては樹高27メートル、根回り20メートル、目通り7.4メートルを誇ったが、近年、強風により根の部分を残し倒壊してしまった。樹齢は約650年である。
東側が婦で樹高25メートル、根回り12.1メートル、目通り4.4メートル、樹齢が約450年である。境内に仲良く並んで自生しているため「夫婦ケヤキ」と呼ばれ地域に親しまれている。


所在地/南アルプス市清水92
所有者、管理者/清水区
指定年月日/昭和42年10月1日
備考/

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秋山の多羅葉樹

根回り2.6メートル、樹高14メートルで時の光昌寺住職がシャム国(タイ)よりこの地に持ち帰ったと言われている。現在秋山富士夫氏の庭園に自生しており雌樹で赤い実をつける。


所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和42年10月1日

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広誓院のカヤの木

湯沢の平野山広誓院は文亀元年(1501年)6月に創建されたと伝えられている。
このカヤの木は根回り13メートル、目通り4.5メートル、樹高は12メートル、樹齢約500年の老木である。


所在地/南アルプス市湯沢1826
所有者、管理者/広誓院
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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安藤家の避雷針の松

根回り20メートル、目通り3.5メートル、樹高19メートル、樹齢500年
この松は江戸時代前期頃滝沢川左岸の岸辺に自生しており、当時水害の常襲地帯であった滝沢川より村人たちが安藤家に移植したという。
この松には明治末期頃つけられた避雷針が取り付けられており、別名「避雷針の松」と呼ばれクロマツとしては希な巨木である。

所在地/南アルプス市西南湖4302
所有者、管理者/山梨県
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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不動寺の菩提樹

古市場の不動寺は弘仁年間(810年から823年)に創建された真言宗の寺院である。
その山門の西側にひっそりと自生しており、根回り1.5メートル、目通り1.2メートル樹高6メートルである。「菩提樹」は中国原産の植物で福岡県に渡り次第に全国に広がったという。


所在地/南アルプス市古市場180
所有者、管理者/不動寺
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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法音寺の多羅葉樹

本樹は雄樹で根回り2.6メートル、樹高14メートル、地上2メートルで二幹に分かれている。葉の縁に鋭い鋸歯があることから「鋸柴」とも言う。モチノキ科に属し樹皮からとりもちを作る。


所在地/南アルプス市江原1587
所有者、管理者/法音寺
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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成妙寺の松

宗持山成妙寺に自生する松は垂れクロマツの傾向を持ち、根回り3.6メートル、目通り2.9メートル、樹高17メートル、樹齢約200年で地上約1メートルのところで東西2幹に分岐している。


所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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鮎沢の御崎ビャクシン

鮎沢の御崎稲荷明神にある当木は根回り2.9メートル、目通り2.3メートル、樹高やく7メートル、樹齢約400年と言われている。この御崎ビャクシンは毎年鮎沢1組で祭典を行っている。


所在地/南アルプス市鮎沢754
所有者、管理者/鮎沢区1組
指定年月日/昭和49年1月29日

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本清寺のカヤの木

本清寺は正保元年(1644年)9月13日に創建されている。
根回り6メートル・目通り3.9メートル・樹高20メートル
カヤの木は音の反響が優れているので、昔から基盤や将棋盤に用いられている。
また木の実は薬用や菓子などに用いられ「カヤアメ」などはよく知られている。


所在地/南アルプス市湯沢913
所有者、管理者/本清寺
指定年月日/昭和44年1月13日

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隆昌院の多羅葉樹

多羅葉は葉に傷を付けると浮かび上がるので古代インドでは木針で葉に傷を付け経文を写したことからそれにたとえて多羅葉と称している。また、葉に火をつけると黒い環が現れるので紋付柴ともいわれている。
根回り2.36メートル、目通り1.41メートル、樹高12メートルである。


所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日

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大嵐のビャクシン

臨済宗善応寺の御神木として植栽されたと言われており、樹齢は少なくても500年に達していると思われる。ビャクシンはヒノキ科に入り本県では峡西地方に多く分布している。規模は、根回り幹囲5.8メートル、目通り幹囲3.48メートル、樹高17メートル。翼長は、北へ4.8メートル、南へ5メートル、東へ6メートル、西へ3.5メートル。地上2.5メートルで二つに分岐している。

所在地/ 南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/ 善応寺
指定年月日/ 昭和43年2月8日

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鏡中条のゴヨウマツ

マツ科に属する常緑喬木で、我が国の特産で北海道から九州まで産し、中部以南に産するものをヒメコマツ、中部以北に産するものをキタゴヨウマツとして区別することもある。その材は建築、器具の料に供する。又園芸的変種が多く、庭園樹、盆栽として栽培される。本県では富士山をはじめ、各地の高山に多い。此のゴヨウマツは、根本周囲85センチ、幹囲84センチ、樹高11メートル50、枝張り東西11メートル50センチ、南北4メートル60センチ、東にのびた9メートル20センチの枝は特に見事である。(推定300年経過)


所在地/南アルプス市鏡中条461
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和45年10月26日

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十日市場の大ケヤキ

この大けやきは、樹齢五百年と推測される。樹高22メートル、根廻り11.30メートル、3本の巨枝が大きく四方に延びて、東西、南北とも24メートルに及んでいる。錯綜した根は60センチメートル以上に盛り上がっている。樹勢は極めて旺盛で、壮年期性を持つ地方の崇敬の対象となっている名木である。


所在地/南アルプス市十日市場1959
所有者、管理者/石動神社
指定年月日/昭和61年3月19日

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中野のカキ

樹齢500年。根元の周囲5.3メートル、目通り幹囲3.5メートル。幹は空洞となり南西部を欠くが復元すれば、4メートル以上の巨木となる。この地方で「エブク」という在来種で、昔の栽培種を知る好資料である。


所在地/南アルプス市中野207
所有者、管理者/
指定年月日/昭和35年11月7日

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宝珠寺のマツ

樹種はクロマツ。根元の周囲4.8メートル、目通り幹囲3.6メートル、地上2メートルの幹囲3.8メートル、枝張りは東へ3メートル、西へ6メートル、北へ7.5メートル、南へ9メートル、樹高15.5メートル。その間、幹枝の屈曲著しく美しい樹形を呈する県下まれな名木。


所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和35年11月7日

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ミヤマシロチョウ

シロチョウ科。白色半透明で、外縁と翅脈にそって黒褐色で裏面は黄色を帯びている。幼虫はメギなどを食べる。本州中部の山岳地帯に分布するが数は少ない。櫛形山の1,000メートルから2,000メートルに生息する。


生息地/櫛形山一帯
指定年月日/昭和52年3月31日

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湯沢の思い杉

思い沢の北に面した斜面に自生しており、樹齢500年、根回り10メートル、枝張り、東西20メートル、樹高33メートルという大木で2本のスギが接触し癒着している珍しい現象が見ることができる。この事から縁結びの神様として古くから地域に親しまれている。

所在地/南アルプス市湯沢2248
所有者、管理者/
指定年月日/昭和53年11月7日

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湯沢のサイカチ

マメ科/サイカチ属
サイカチの巨樹として県下において希に見るものである。
根回り4.2メートル、目通り幹囲3メートル、樹高は約6.4メートルで樹齢は300年を有している老木である。塩沢家は「茨の木大尽」と呼ばれ多くのサイカチが植えられた事で知られている。サイカチの実は薬用になり、以前は石けんの代用にしたこともある。


所在地/南アルプス市湯沢113-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和39年6月25日

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野牛島のビャクシン

ビャクシンはヒノキ科の高木であるイブキの一品種で、本州、四国、九州の海岸地方に分布する常緑の針葉樹である。
樹形が美しいため庭園や寺社境内に植えられていることが多く、本樹も野牛島地区、御所五郎丸の墓前にある観音堂の庭先に立っている。
幹は地上より10メートルの地点で折れているが、現在も樹勢は極めて旺盛で、枝葉もよく繁り、円錐形の見事な樹形をとっている。
規模は、根廻り4.85メートル、目通り3.25メートル、樹高11.5メートル、樹齢は約400年とも言われる、県下有数の巨木である。
鎌倉時代に野牛島に流罪となったといわれる御所五郎丸が、杖をこの地にさしたところ、それが根づいて現在の大きなビャクシンになったという伝承が残されている。


所在地/南アルプス市野牛島2076
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和35年11月7日

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重要文化財 安藤家住宅の棟札(むなふだ)(ふるさとメール2012年12月14日号)

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縄文の話をしましょう その2~土器の穴ぼこが縄文の醸造説を後押し!~(ふるさとメール2015年11月16日号)

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縄文の話をしましょう その3~来年の干支はサルです 日本を代表する縄文時代のサルのお人形~(ふるさとメール2015年12月15日号)

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縄文の話をしましょう その4~全国の土偶ファンに愛される「子宝の女神 ラヴィ」~縄文ブームふたたび(ふるさとメール2016年1月15日号)

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根方の魅力⑨~高尾穂見神社と村々の祈り(上)(ふるさとメール2011年11月15日号)

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榎原の蚕神

道祖神と並んで立つ榎原の蚕神。

現在は果樹の広がる耕地が、昭和40年代初めまではいちめんの桑畑でした。
蚕神の碑は、病気に弱く、当たりはずれの多い蚕の健やかな成長を願って日本各地に建てられました。
大正から昭和にかけて建てられた養蚕繁盛を願う蚕神(蚕大神)の石造物は、他に上高砂と下高砂、徳永にもありますが、榎原二組観音小路に建立の蚕神が一番古く、大正七年戌午二月十日と刻まれています。

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九頭竜神のおこや

南アルプス市八田地区上高砂区には、洪水除けの神様として勧進された九頭龍神の祠が神明川沿いに3箇所あります。
7月の最終日曜日に、これらの場所で夕方からお祭りが行われています。

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国重要文化財 鋳物師屋遺跡の土偶「子宝の女神 ラヴィ」(2)(ふるさとメール2020年12月15日号)

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国重要文化財 鋳物師屋遺跡の土偶「子宝の女神 ラヴィ」(3)(ふるさとメール2020年1月15日号)

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戸田の蚕神さま

甲西地区は戸田神明社の東隣、御崎稲荷社には祀られている「石造りの蚕神さま」。
高さは70センチほどの女人像で、手には「桑の葉」を持ち、頭の上には「巻絹(まきぎぬ)」を乗せています。

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南アルプス市の縄文人は、いつ、どこに?(ふるさとメール2022年4月15日号)

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鎌倉殿と南アルプス市の甲斐源氏 その3(ふるさとメール2022年6月15日号)

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忘れたくない記憶~豊村満州開拓団集団自決

 昭和二十年 (一九四五) 八月十七日、 豊村満州開拓団本部で開拓団幹部ら百四十人あまりが爆死した悲劇がありました。
 かつて原七郷と呼ばれた干ばつ地帯にあって、 養蚕と畑作を主な生業とする零細な農村であった豊村 (現在の南アルプス市上今井、 沢登、 十五所、 吉田) が、 新天地を求め国の政策によって、 旧満州国 (現在の中国東北部) の四道河 (しどうが、 スードーホー)と呼ばれる場所に、 分村入植した歴史があります。
 昭和十五年 (一九四〇) 二月に先遣隊が出発し、昭和十七年 (一九四二)四月に本隊が入植、 記録によれば、 その規模は、 開戦時五十五戸、 百六十五人だったと伝えられています。 その後も入植は続き、 終戦時には、 より多くの人が豊村開拓団に暮らしていたことでしょう。
 事件は、 終戦直後に起こりました。 昭和二十年には戦局は悪化の一途をたどり、 八月十五日、 ついに日本は無条件降伏をすることになります。 このころには、 旧ソ連も満州に侵攻してきており、 開拓団にも終戦の報は届いていましたが、 他との通信連絡は途絶し、 周辺の治安は極度に悪化していたといわれます。
 このような中、 開拓団は度重なる 「土匪」の襲来を受けたといわれ、 応戦しましたが、戦死者もでていました。 弾薬が尽き、 負傷者も増え、 戦力も著しく低下し、 これ以上の交戦は無謀であるし、 重軽傷者を同道しての脱出は不可能であるとして、 追い詰められ孤立した人々は、 自決することに決したのです。 八月十七日、 村人の大部分にあたる百四十名あまりが、 本部建物に集合して防戦用に支給されていたダイナマイトに火をつけ爆死したと伝えられています。 その中には、 一歳に満たない乳児から、 七十歳を超える老人までいたそうです
 集団自決の報は、 大やけどを負いながら生き延びた方が、 同胞のいる収容所にたどり着き、 悲劇を伝えて息絶えたことにより、今日に伝えられることになりました。 また自決からのただひとりの生存者であった女児は、 中国人の養父母に引き取られ、 いわゆる中国残留日本人孤児となって、 戦後長く故郷の土を踏むことができませんでした。
 昭和三十二年 (一九五七) には、 この事件の慰霊碑が吉田の諏訪神社境内に建立され、その悲劇を今に伝えています。 そして現在も、 事件のあった八月十七日には、 毎年ここで慰霊祭が行われています。
 アジア太平洋戦争では、 戦場で亡くなった方以外にも、 このように民間人も数多く亡くなっていることを忘れてはいけません。 この事件は、 民間人も戦争になれば否応なく巻き込まれていくことを我々に教えてくれています。

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桝形堤防史跡整備の歩み その1~水の世紀を生きる道標~(ふるさとメール2022年9月15日号)

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