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1.水とともに生きる
治水・利水の知恵
2.眺望の魅力 市之瀬台地
25000年の暮らしを紡ぐ
3.時代を駆ける武士団
甲斐源氏ゆかりの史跡を歩く
4.武田氏と家臣団の足跡
戦国時代の史跡を歩く
5.むかし 飛行場があった
戦争遺跡「ロタコ」を歩く
6.弘法大師伝説
弘法大師伝説ゆかりの史跡を歩く
7.山への信仰と伝説に彩られた山里を歩く
8.神々が宿る高尾の世界
山奥の不思議な神社を知っていますか?
9.山方
暮らし・産業・文化
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11.原方
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「ふるさと文化伝承館」が新しく生まれ変わって平成21年6月にリニューアルオープンしました。 愛称は「みなでん」 これからも皆さんとともに作り上げたい!という願いもこめて 「み・ん・な・で、み・な・で・ん」 って覚えてください! 世界的に知られる国重要文化財の「鋳物師屋遺跡出土品」をはじめ、市内の遺跡から出土した土器や石器、昔懐かしい民具などを展示しています。 当館では展示パネルを少なくし、スタッフによる展示案内などお客様とのコミュニケーションを大切にしています。不必要な場合にはお申し付けいただき、また、ご質問などはお気軽にお問い合わせいただければと思います。
丘を削平して新たに誕生した住宅街で、昭和58年、開発に伴い発掘調査がおこなわれました。今から約1700年前の弥生時代終末~古墳出現期のムラの跡です。二つの河川に挟まれた舌状台地は先端で丘状に高まり、その丘の南西面に竪穴住居が建てられており、同じ舌状台地上でも長田口遺跡と向き合う位置関係となります。約25,000㎡を対象とした発掘調査ではほぼムラの全貌が調査され、33軒の竪穴住居が発見されました。
平安時代から中世の集落跡 調査では80個体を超えるウマ・ウシの骨が出土し、「八田牧」の存在を彷彿させ、ウマの存在が甲斐源氏活躍のを裏付ける。 写真は 炉から出土したタイの堆骨(縄文時代後期)
御勅使川扇状地上に3遺跡が隣接している。縄文時代後期や古墳時代後期、奈良・平安時代から中世まで複数の時代に渡る遺跡である。特に縄文時代後期の敷石住居跡の炉から鯛の堆骨が発見され、海産魚を食料とした県内最古級の資料として注目された。奈良・平安時代では多数の住居跡や溝跡も発見されており、溝からは馬の歯も出土した。
漆川と深沢川とに挟まれた舌状台地上、標高約440mに立地し、平岡集落の南の端にあたります。 これまで、広域農道建設、ほたるみ館建設、多目的広場駐車場建設の3地点(計約12,600㎡)で発掘調査を実施しています。ほたるみ館建設に伴う発掘調査は平成10年に行われました。
漆川と深沢川とに挟まれた舌状台地上、標高約440mに立地しています。 これまで、広域農道建設、ほたるみ館建設、多目的広場駐車場建設の3地点(計約12,600㎡)で発掘調査を実施し、縄文時代中期の竪穴住居跡9軒以上、弥生時代~古墳時代の竪穴住居跡80軒以上が調査されており、この2時期を中心とした複合遺跡といえます。
市之瀬台地の縁に近い扇状地にある縄文時代中期中葉(約5000年前)のムラの跡で、直径130メートルの範囲に32軒の竪穴建物跡(隣接する〆木遺跡を含む)が発見されました。 住居は真中に広場をもってドーナツ状に分布して建てられていきました。 膨大な量の土器が発見され、日用品から祈り事用とみられるものまであり、205点の出土品が国の重要文化財に指定されています。 なかでも、「円錐形土偶」、「人体文様付有孔鍔付土器」は、当時の精神文化を知る貴重な資料であり、世界中の博物館で紹介されました。
アヤメの里活性化施設「ほたるみ館」は農業の活性化や地産地消の拠点施設として平成11年に誕生しました。 もともと地域の農家の方々が集まり、地産地消やさくらんぼジャムなどの加工品をまちの特産品にしようとあやめの里特産品加工組合を設立したころから継続した活動を続けています。現在は南アルプス特産品企業組合となりほたるみ館の運営を始め、特産品の普及、地域農業活性化の中心として活躍しています。 ほたるみ館の毎週土曜日朝8時にはじまる「朝市」は人気で、県外からも地の野菜やジャム、よもぎ饅頭などを求めに大勢のお客様が集まります。
ほたるみ館(長田口遺跡)とあやめが丘(六科丘遺跡)とを結ぶこの道路周辺は新居田A遺跡と呼ばれ、平成12年の道路拡幅工事の際には発掘調査が実施されています。 道路西端では長田口遺跡の集落と同じ集落とみられる縄文時代中期前半の竪穴建物跡と、弥生時代終わりから古墳時代の竪穴建物跡が発見されました。また、畑の畝とみられる遺構も発見されました。 六科丘遺跡に程近い、調査区中央付近では縄文時代中期の住居跡がポツンと一軒だけ離れて確認されました。 どういった性格の建物なのかは今後の調査で判明できることでしょう。
漆川のすぐ上、崖線にそってある遺跡で、平成13年に農道の建設工事に伴って発掘調査が行われ、縄文時代中期から古墳時代初頭の住居跡が発見されています。 この一帯でも、特に漆川を望む崖線際に縄文時代晩期の営みの跡が発見されます。
櫛形西地区多目的広場の建設に伴って平成14年に発掘調査が行われました。 縄文時代前期前半(約6,000年前)という市内で最も古い住居址群が発見されています。その他、縄文時代中期から後期、晩期、弥生時代中期から古墳時代初頭までの集落など、連綿と人々の暮らしが営まれていたことがわかりました。
市之瀬台地の上、中野にある遺跡で、縄文時代中期後半の集落跡が発見されています。写真は平成5年に建設された広域農道の範囲で住居跡が2軒発見されました。また、近年ではクラインガルテン(滞在型農園)の建設に関しても行われ、クラインガルテンの敷地内に保存されています。
市之瀬台地の裾、傾斜地から扇状地にかけて広がる遺跡で、旧石器から縄文時代の全ての時期、さらに弥生時代、古墳時代にいたるまでの資料が出土する遺跡です。 中心となるのは主に二つの時期で、縄文時代中期後半の環状に広がるとみられる集落と、弥生時代から古墳出現期にかけての集落です。 縄文時代中期の集落には平面形六角形で五本柱の住居跡が特徴的で山梨県内でもまだ数例しか見つかっていない発見例となりました。
市之瀬台地の北側縁辺部の下、扇状地に立地する約4,500年前の縄文時代中期のムラ跡です。 直径100mを越す大規模な環状集落になるとみられ、その一部が道路建設により発掘調査が実施されました。 その結果18軒の竪穴建物跡などが発見されました。
鋳物師屋遺跡出土の縄文時代中期(およそ今から5000年ほど前)のサルの顔をした土製品で、国の重要文化財に指定されています。 全国の遺跡(主に本州)から縄文時代のサルの骨などは出土しており、その存在は証明されていますが、サルを模した土製品はそれほど多くはありません。 また、サルの土製品とされているものでも、サル似の人?のようなものが多く、ここまでリアルにサルを表現しているものは全国でも大変珍しいです。 ほほの下の鳴き袋まで表現されているのです。 右耳は欠損しており、後で復元修復しています。
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「ふるさと文化伝承館」が新しく生まれ変わって平成21年6月にリニューアルオープンしました。
愛称は「みなでん」
これからも皆さんとともに作り上げたい!という願いもこめて
「み・ん・な・で、み・な・で・ん」
って覚えてください!
世界的に知られる国重要文化財の「鋳物師屋遺跡出土品」をはじめ、市内の遺跡から出土した土器や石器、昔懐かしい民具などを展示しています。
当館では展示パネルを少なくし、スタッフによる展示案内などお客様とのコミュニケーションを大切にしています。不必要な場合にはお申し付けいただき、また、ご質問などはお気軽にお問い合わせいただければと思います。