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9.風土が育む物語

山方・根方・原方・田方
沢登 六角堂

(原方)
 聖徳太子信仰を伝える六角堂建築として貴重であり、堂内には聖徳太子像と太子が信仰した如意輪観音が祀られているとされてきました。
 天正18年(1590年)七ツ内地内の龍沢寺東方にあった堂は、寛文4年(1664年)にこの地に移されましたが、文化4年(1807年)の大火により焼失しました。「西郡沢登六角堂造営奉化帳」によりますと、翌年より再建が計画され、多くの方々の寄進により、文化7年(1810年)大工棟梁田嶋村九兵衛の手により再建されました。

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六角堂の切子

 「切子」は切り紙細工の一種で寛文4年(1664)頃から六角堂の護符として地域に伝えられ(当時に代官に献上していたとする伝承が伝わります)、現在でも10月13日の例祭には六角堂に奉納してできばえを競ったあと、区内全戸にお守りとして配布されます。
 この「切子」は、美濃和紙を5枚~10枚程重ねて、手作りの切り出しや「つきのみ」と言う刃物を使い、図柄や模様などを「切り透かし」ていくまことに繊細な美しいもので、光に透くことから別に「おすかし」とも言われています。

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飯野専売支局の碑・倉庫町

(原方)
明治政府はたばこを嗜好品として課税対象とし、明治30年には「飯野葉たばこ専売所」が山梨県全体を管轄として飯野周辺に設置されました。山梨県内での一大生産地がこの西郡(にしごおり)の原方地域であったためこの地に設けられたとされます。
 県内から葉たばこが集められるために倉庫が立ち並び、人が集まりました。そこから「倉庫町」という商店街が発達してい9ったのです。、
 明治32年5月には「飯野専売支局」と昇格され、その敷地境を示す石碑が今もひっそりと佇んでいます。
 倉庫町を物語る小さな証人なのです。

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西吉田の「おあみださん」(阿弥陀尊祭典)

天井の中央から「檀紙」を細く切り延ばした切り紙(紙垂)を放射状に広げ天蓋のようにに吊るします。この様子からこの天井飾りや、切り紙そのものを「くもの巣」と呼んでいるようで、別名「くもの巣まつり」とも呼ばれています。

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古長禅寺

臨済宗寺院。信玄の母、大井夫人の菩提寺であり、夫人の墓がある。もともと長禅寺と称するが、後に甲府に長禅寺が造られたため古長禅寺と称するようになった。母とともに信玄も、時の住職、岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)に深く帰依し、「信玄」の法号も岐秀が授けたものと言われる。県指定史跡。

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六科の発祥

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さいの神

野牛島集落の西はずれの小高い塚上に、「西の神地蔵」と呼ばれる板碑が南面して建てられている。高さ65センチメートル、幅27センチメートル、厚さ14センチメートルの安山岩製である。
頂部は三角形に造られ、その中央に阿弥陀如来を意味する梵字「キリーク」の文字が陰刻されている。頭部と下部を区画した3本の条線の下には、造立主旨が刻まれている。それによるとこの板碑は天文13年(1544)に、多くの信者が円明に入る(悟りに至る)ことを阿弥陀如来に祈願してたてられたものであるという。すなわち、「西の神地蔵」と呼ばれているこの板碑の本尊は、実は地蔵菩薩ではなく阿弥陀如来なのである。銘文下の方形の龕部(がんぶ)に陽刻された像は、顔の形や衣などがいかにも地蔵風であるが、それは阿弥陀如来に地蔵菩薩が集合したためである。
さらに、この板碑には「西の神」も習合されている。「西の神」とは、村へ入ろうとする悪霊を防ぐ「塞の神」のことであり、道辻に立つ道祖神がそれである。この板碑には庶民の生活に浸透していたさまざまな信仰が幾重にも重なり合っているのである。
なお、造立主旨には八田村の語源となった「八田庄」の文字が見える。「八田庄」は中世に八田から白根、櫛形まで広がっていた荘園といわれるが、それに関する史料は少なく不明な点が多い。その中で「西の神地蔵」は、「八田庄」を記す最も古い史料であり、歴史史料としての価値も高い。

所在地/南アルプス市野牛島2616
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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すむじ街道

詳細作成中

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紙本墨書大般若経561巻

大般若経は唐の太宗の命によって玄奘三蔵(602年~664年)が梵本から訳したものです。
「般若」とは、さとりに至るための知恵という意味で、古くから霊験あらたかな経として、しばしば書写・版刻の上、寺社に奉納され、いろいろの祈願のために読誦されてきました。この経典は建長6(1254)年、武田信義の孫信長が願主となって武田八幡社に奉納したものですが、明治初年の神仏分離令により同社の管理寺であった法善寺に移され現在に至ります。
良質の楮紙の折本で各巻頭には「願主源信長」等の署名があります。
奥書によればその頃の甲斐の大寺平塩寺(市川大門)、大善寺(勝沼)等の学僧によって写され校合されたものです。
質実剛健な源氏納経の代表的なものとして全国的にみても誠に貴重な文化財です。

指定年月日/明治38年4月4日
所有者、管理者/加賀美・法善寺蔵

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らいちょう

本州中部のアルプスなど標高およそ2,500メートル以上の高山帯に生息している。ライチョウははじめ北方に広く棲んでいたが、氷河期とともに南下し、再び地球が暖かくなったときには大陸から独立してしまったので高山に残されたものである。昭和30年に「国の特別天然記念物」に指定されている。
生活史は、まず4月につがい形成がおこなわれ、5月から繁殖期に入ります。やがて交尾が行われ、雄が見張りをする間に雌は巣作りと産卵を行い、7月上旬にふ化し、雛はすぐに歩いて餌をついばむようになる。雄は家族と離れて雄同士で群れをつくる。したがって雌のみが雛を育てることとなる。やがて、10月には雛は一人前に成長し、ここで家族は離散する。
南アルプス北部では北岳、間の岳、農鳥岳などいわゆる白根三山をはじめ、仙丈ヶ岳、駒ヶ岳、鳳凰三山などに分布している。

学名/ライチョウ(Lagopus mutus・ライチョウ科・Tetraonidae)
指定年月日/大正12年3月7日
写真撮影/森本聖治氏

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登録有形文化財「松寿軒長崎」

荊沢に所在する松寿軒長崎は明治24年に創業された和菓子の老舗である。
店舗の老朽化に伴い一部改築はされているが、大阪などで見られる土蔵を模した外観は寄せ棟、漆喰仕上げで創業当時の外観をほぼ現在に伝えている。
松寿軒長崎が所在する荊沢はかつて駿信往還の宿場町であり、鰍沢舟運が隆盛の頃、この荊沢宿も多くの物資の流通や交通でにぎわいを見せた。


名称/登録有形文化財「松寿軒長崎」
所在地/南アルプス市荊沢319
所有者、管理者/個人
登録年月日/平成10年2月12日
備考/建築1926年

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ニホンカモシカ (にほんかもしか)

国の特別天然記念物に指定されている。また、山梨県の動物でもある。
寒い冬岩の上でじっと長い間寒立ちをする雄々しい動物ということから指定された。体長約1メートル、体高約70センチメートルで、体は灰褐色、2本の短い角を持っている。主に昼間活動し、草食性でモミ、ツガの実を食べたり、スギやヒノキの葉を食べたりする。
山域に広く生息するが、南アルプスの仙丈ヶ岳や北岳の山麓などにかなり生息している。


学名/ニホンカモシカ(Capricornis crispus・ウシ科・Bobidae)
指定年月日/昭和9年5月1日
写真撮影/広瀬和弘氏

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甲斐犬(かいけん)

甲斐犬は大正の末期頃、虎毛の日本犬として発見された。甲斐犬の特徴として体高は32センチメートルから51センチメートル、体重は12キログラムから24キログラム、耳はやや長く、四肢は強健で飛節が発達し、尾は差尾又は巻尾、毛は虎模様で粗剛。血統が山野にクマ、イノシシ、シカなどを追う山犬だけに、猟にかけては特に優れており、また警察犬や番犬としても物覚えのよさ、主人への服従の点からも優れていると云われている。
甲斐犬の原産地は山梨県南アルプス市、早川町、上九一色村、牧丘町、甲府市宮元などの山間僻地にのみ限られているが、中でも南アルプス市のものが最も勝れていると云われている。
昭和9年1月22日、甲斐犬の優れている性質を認めて、「生きた天然記念物」に指定され、その繁殖と保護に力をいれている。


名称/ 甲斐犬
指定年月日/昭和9年1月22日
備考/「生きた天然記念物」
写真撮影/三井孝司氏

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三恵の大ケヤキ

樹高25メートル、樹齢千年とも言われる。落雷を受けながらも天高く枝を張り、風土を守ってきた。「三恵の大ケヤキのように」と語り伝えられ、人生の手本にも、励ましにもなってきた。


所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和2年11月30日

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芦澤家住宅

芦澤家住宅は江戸時代に名主や郡中惣代を務めていた旧家。主屋は1933(昭和8)年に建築された木造二階建ての建物で、屋根は切妻造桟瓦葺で、二階の床を支えるために建物の周りに使う部材である銅差が太く重厚な構造。
座敷蔵は明治時代中期の建築。木造2階建てで、外壁の上部が漆喰塗りで下部はモルタル塗り。
接客用の蔵座敷として使われていたが、主屋を再建した時に居室に変えた。

所在地/南アルプス市西野97-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/平成20年3月31日
備考/主屋、座敷蔵の2棟が登録

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村松家住宅

村松家住宅は、駿信往還に沿った桃園集落の中心に位置する。幕末以前は、名主を務めた名家で、明治維新以降は、医業と商家及び村惣代長百姓として生計をたてた。
主屋は嘉永2(1849)年より以前に存在していたことが判っており、現在までに数回改築、曳家をしている。商家蔵は貸付業開業時の店蔵とされたもの。文庫蔵は主屋背面裏庭空間の構成要素として欠くことのできない存在で、厠は屋敷地の西方に所在した酒造場の蔵人用、また店の客用の外便所で、当家の業務事情の一端を物語る遺構のひとつである。


所在地/南アルプス市桃園615-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/平成15年2月26日
備考/主屋、商家蔵、文庫蔵、厠4棟が登録

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木造十一面観音及毘沙門天、不動明王立像

もともと円通院にあり現在は隆円寺で管理している本像は江戸時代の地誌『甲斐国志』に「日不見観音(ひみずかんのん)」と記載されるように、三十三年に一度の開帳の秘仏として祀られてきた。史料がなく造立の次第などは不明だが、元禄4年には近隣の人々が施主となり大規模な修復が施されるなど、古くから人々の信仰を集めてきた尊像である。
中尊十一面観音像と毘沙門天像は、両肘より前及び天衣まで含んで一本の材から彫出し、内刳を施さない古式の構造で、平安時代前半11世紀頃の所産と考えられる。不動明王像は肩で矧ぐ構造がこれら二像と異なり衣文の表現などより簡略化され、二像よりやや遅れた12世紀前半頃の造立かと思われる。
観音像を中尊とし、不動明王像と毘沙門天像を脇侍とする形式は、10世紀末頃に比叡山延暦寺で成立し、以後天台宗の寺院で多く造立されるが、本像はこうした天台形式の三尊像として全国的に見ても早い時期の造立であり、この形式の地方への広がりを考える上で貴重な作例といえる。また、これまで甲斐国への天台宗の伝播を示す資料はすくなかったが、本像は平安時代中期における同宗の存在を確実に伝えており、天台宗伝播の最も古い遺例として甲斐の仏教史の上でも非常に重要な作例である。


所在地/南アルプス市下今井841
所有者、管理者/隆円寺
指定年月日/平成20年4月17日
備考/

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古長禅寺のビャクシン

古長禅寺は正和5年(1316年)に夢窓国師が本尊釈迦如来を安置、禅刹を興したことに始まる。このビャクシン植生地は「お釈迦堂」と呼ばれており、開山当時四天王をかたどり、旧客殿前庭の四隅に約十メートルごとに植樹され、通称「夢窓国師手植えの四つビャクシン」とも呼ばれている。樹齢約700年。


名称/古長禅寺のビャクシン
所在地/南アルプス市鮎沢505
所有者、管理者/古長禅寺
指定年月日/昭和28年11月14日
備考/4つのビャクシン、樹齢…700年

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木造阿弥陀如来坐像

隆円寺所蔵本像は、全体のバランスが良くとれ、しかも引き締まった造形をみせる。像の表面が造立当時のまま伝えられていることも貴重で特に衣の全面には多種類の截金(きりかね)文様が残る。制作年代は鎌倉時代半ば頃と考えられ、端正で洗練された作風から作者は京の仏師と考えられる。また、本像頭部には、文書が2通納入され、うち1通が取り出されている。二紙からなるこの文書には仮名文字で浄土往生を願う願文が記され、本像が当時の浄土信仰のなかでの造立であることがわかる。像内に願文や納入品を奉納した阿弥陀如来像は県内では本像が初めての例であり、阿弥陀如来に寄せる当時の人々の篤い信仰を具体的に伝える貴重な作例といえる。


所在地/南アルプス市下今井841
所有者、管理者/隆円寺
指定年月日/平成20年4月17日
備考/

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厨子入り地蔵菩薩坐像 1躯 附厨子

法憧院所蔵の本像は、戦国時代の様式をよく伝えるまとまりのいい作例といえる。
厨子は仏堂を模した宮殿の形で小型ながらどっしりとした趣があり、中世に遡る単独の厨子は県内ではめずらしい。
厨子内面の三つの壁面全体に記される墨書は、天文3年(1534年)に檀家の人々が毎月費用を出しあい、大工加賀美五郎右衛門に依頼して厨子を造立した次第を記したもので、当時の人々の厨子建立に寄せる思いを伝えるとともに、戦国時代前半の歴史を知る上でも重要な史料といえる。
中世に遡る作例で尊像、厨子、銘文が揃って伝わる作例は県内では非常に稀であり、厨子銘文中に十日市場の村名がみえ、甲府盆地に春を呼ぶ祭りとして有名な「十日市(南アルプス市指定史跡)」の起源を考える上でも興味深い作例である。

所在地/南アルプス市
所有者、管理者/法幢院
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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石丸地蔵

ふれあい情報館を右手に見ながら南へ進み、指定文化財の標柱の角を曲がって細い農道を西に進むと果樹畑の中にひっそりと石丸地蔵が立っている。
高さ120センチメートル、幅37センチメートル、奥行27センチメートル、安山岩製の石仏である。頭部は剃髪を表す円頭で、耳朶が大きい。衲衣を着ており、背面には刻線で衲衣が表現されている。
左手に宝珠、右手には失われているが錫杖を持っていたと思われ、一般的な地蔵苔薩立像の姿を表している。
長年の風雨によって像全体が摩滅しているが、それがかえって柔和な表情を作り出し、親しみやすい雰囲気をかもし出している。
銘文は見られないが、形状から室町時代末期のものと推測される。
伝承によると、榎原に住む石丸一族の守護仏として信仰され、大正年間まで提灯を吊した祭りが行われていたとされる。

所在地/南アルプス市榎原521
所有者、管理者/榎原区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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長谷寺

長谷寺は新義真言宗智山派の古寺である。大和国(現在の奈良県)長谷寺に倣って豊山長谷寺と名付けられたが、その後この土地が八田の庄であることから「八田山長谷寺」と改称し現在に至っている。
本尊には十一面観音菩薩が祀られ、「原七郷の守り観音」として古くから篤く信仰されてきた。
原七郷(上八田・西野・在家塚・上今井・吉田・小笠原・桃園)は御勅使川扇状地の中央に位置するため、旱魃に悩まされてきた一帯で、長谷寺では古くから雨ごいの祈祷が行われてきた。
開創は、寺記によれば天平年間で、僧行基が甲斐国の治水事業のため留錫した際、当地で十一面観音を彫刻したのがはじまりと伝えられている。現在の本堂は昭和24年の解体修理の際に発見された旧材によって、大永4年(1524)に再興されたことが明らかとなっている。


所在地/南アルプス市榎原442
所有者、管理者/長谷寺
指定年月日/昭和25年8月29日

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木造寄木地蔵菩薩立像一軀 附厨子

木造地蔵立像として、このような大形のものは県下に稀有のものである。伝承は空也上人作というが、藤原末期から鎌倉初期へかけての作風のようである。桧材、基盤は二段框座。安阿弥陀様式。尊像は全高123センチメートル。光背は後補のものである。現在塗金泥は一部をのぞいて消えうせ、右足部その他破損などみられるが、写実的で、民衆が商売繁昌、家内安全などの祈願をこめて、十日市の市神として、永い間、この仏の像をたのみにした息吹が強く感じられる。厨子は、後補のもので江戸時代作。大型、黒塗り、高さ234センチメートル。


所在地/南アルプス市十日市場1841
所有者、管理者/安養寺
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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木造釈迦如来坐像一軀

この仏像は、客殿に安置してあって、寺記によると、24代日侑造立のもので享保年間(1716年から1735年)の作である。全体に江戸時代によくみられる卑俗性がなく、古い時代形式を求めんとした仏師の心境がうかがえる。西郡地方稀有の大金色坐像といえよう。像高 107センチメートル。八陵型須弥山形裳懸座からは171センチメートルある。面長22、面深23、肩張り56、膝高15。

所在地/南アルプス市鏡中条700
所有者、管理者/長遠寺
指定年月日/昭和58年1月1日
備考/

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安藤家住宅(重要文化財)

安藤家住宅は、甲府盆地西南部、釜無川と滝沢川に挟まれた水田地帯に位置する。主屋から宝永5年(1708年)の棟札が発見され、江戸後期から続く豪農の生活を知るうえで非常に貴重である。主屋は茅葺き入母屋造り、表門、土蔵、茶室、中門、板塀全てが国重要文化財に指定された。


所在地/南アルプス市西南湖4302
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和51年5月20日

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木造日蓮上人坐像一軀

所在地/南アルプス市鏡中条747
所有者、管理者/妙連寺
指定年月日/平成元年1月19日
備考/

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木造僧形八幡大菩薩像一軀

所在地/南アルプス市鏡中条747
所有者、管理者/妙連寺
指定年月日/平成元年1月19日
備考/

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木造新功皇后坐像一軀

所在地/南アルプス市鏡中条747
所有者、管理者/妙連寺
指定年月日/平成元年1月19日
備考/

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鋳物師屋遺跡出土品

平成4年2月より翌年2月末まで、下市之瀬の工業団地造成事業に伴う発掘調査が実施され非常に多くの遺構や遺物が発見されました。発見された考古資料のうち205点が一括で国の重要文化財に指定されました。
約13,000平方メートルを調査し、縄文時代中期中葉の住居址27軒、平安時代の住居址112軒が発見され、扇状地に存在する縄文時代の集落は調査例が少なく、当時の暮らしぶりを解明する上で非常に重要な遺跡といえます。
遺物の保存状態も非常に良く、特に円錐形土偶や人体文様の描かれた有孔鍔付土器は教科書の副読本など多くの出版物で取り上げられるなど、縄文時代を代表する資料であり考古資料的にも美術的にも世界的に高い評価を得ています。




鋳物師屋遺跡出土品/海外博物館への貸出の履歴
平成4年…発掘調査により4500年の長い眠りから目覚める
平成7年…国重要文化財に指定される
平成7年…イタリアローマ市立展示館
平成9年…マレーシア国立博物館
平成13年…イギリス大英博物館
平成14年…韓国国立中央博物館
平成18年…カナダ国立モントリオール博物館
平成21年…イギリス大英博物館
備考/鋳物師屋遺跡出土品は、ふるさと文化伝承館へと移転しました。

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宝珠寺木造毘沙門天立像

身を甲冑にかため、右手に宝珠を捧げて鬼形上に立つ。内刳りのある寄木造で、肢体服装に強い動きを示す堂々たる作風である。「宝珠寺二尊縁起」にいう元禄年間の修理が巧みでないのが遺憾である。

所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和51年3月2日
備考/

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本重寺板本尊

縦78.3センチメートル、幅41.1センチメートルで用材は桂である。弘安5年(1282年)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式で、正中2年(1325年)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。


所在地/ 南アルプス市上野347
所有者、管理者/ 本重寺
指定年月日/ 昭和52年11月22日
備考/

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木造野中地蔵菩薩坐像

山寺野中一族の仏神。内刳りのある寄木造で、胡粉地彩色、下地に紙を用いた室町時代の手法で造られ、永正十5年(1517年)開眼後再度補修彩色が施される。像高82センチメートル。胎内に梵字による光明真言等の墨書がある。


所在地/南アルプス市山寺92
所有者、管理者/
指定年月日/昭和52年11月22日
備考/

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遠光・光朝の木造

加々美次郎遠光像は玉眼挿入、内ぐりのある寄木造。作者は無名でありながらも鎌倉期における肖像彫刻の逸品である。
坐高…48センチメートル
肩張…36センチメートル
肘張…38センチメートル
膝張…52センチメートル
膝高…9.5センチメートル
秋山太郎光朝公座像は彫眼、寄木造で像に彩色が見られる。
台座には享保19年(1734年)の墨書きがあるので江戸時代中期の作であることがわかる。

所在地/南アルプス市秋山567
所有者、管理者/秋山光朝公奉賛会
指定年月日/昭和42年10月1日
備考/

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伝曽我十郎木像・伝虎御前木像

以前は伊豆神社のご神体であったが、荒廃したので大正十年諏訪神社に遷祀された。これまで、曽我兄弟木造とされてきたが、平成十二年に行った鑑定結果と、合併前の芦安村文化財審議会及び諏訪神社の氏子により、この木造が曽我十郎と虎御前であるとの見解が出され、名称変更されることとなった。
曽我十郎と恋人同士であった芦安出身の虎御前を祀った木像であると思われる。


所在地/南アルプス市芦安芦倉960-11142
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和59年11月26日
備考/

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木造 夢窓国師坐像

本像は椅子上に座禅を組む姿勢をとり、法衣を垂下させている。
坐高82.5センチメートル、材質は桧材を用いた寄木造、挿首、玉眼をはめ込み黒漆塗りが施され、頭頂はとがり、細面の容貌やなで肩など国師の特徴をよくふまえている。穏やかな表情でありながら、禅僧としての気構えや峻厳なまなざしに気迫さえ感じる。天保7年(1836年)に加修の銘札が胎内に納められている。


天保七丙申六月日
此尊像経幾百星故漸々破壊
雖奉恐不忍拝見欽奉加修利者也

慎仙庵謹誌之




名称/木造夢窓国師坐像
所在地/南アルプス市鮎沢505
所有者、管理者/古長禅寺
指定年月日/昭和58年6月6日
備考/1357(延文2年)

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長盛院の絹本著色仏涅槃図

涅槃図は釈迦が入滅する情景を描いたもので、仏教絵画の代表的主題のひとつである。
本図中央には、北を枕にし西を向いて横たわる釈迦が配置され、その周囲には菩薩や諸天、仏弟子、さらに雉や象、獅子などの鳥獣までもが嘆き悲しむ様が描かれている。
右上方には、仏母摩耶夫人(まやぶにん)が悲報を聞いて天上界から飛来した姿が描かれている。上方中央の満月や背後に描かれた跋堤河(ばっでいが)(釈迦が人滅した場所を流れる川)、釈迦を取り囲む8本の沙羅樹は釈迦入滅を表す一連のモチーフである。本図は、豪放さと緻密さを兼ねあわせた優品である。
本図の左下に「維時元禄十三年庚辰七月大吉祥日、山城国愛宕郡平安城万寿寺通高倉西入ル、絵所中西氏家信拝書之」と書かれており、製作年代や作者を知ることができる。


所在地/南アルプス市徳永1683
所有者、管理者/長盛院
指定年月日/昭和59年3月1日
備考/
年代…江戸時代元禄13年(1700年)
作者…中西氏家信

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絹本着色釈迦涅槃図一幅

釈迦涅槃図で最古のものは応徳三年(1086年)作画の高野山金剛峯寺所蔵のものであるが、鎌倉時代になるとこれが普及し数多く描かれるようになり、図柄も時代と共に変化してきている。法善寺蔵のこれは寛文四年(1664年)東福寺の自得という僧の作であるが、おそらくは明兆の系譜をつぐ絵仏師であろう。

所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和51年1月1日
備考/

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絹本着色弘法大師像図

この図は高野山の御影堂に祀ってあるものと同一の図柄で、真如法親王が生前の空海のお姿を自ら写されたものとされている。真如法親王は平城天皇第三皇子であるが、出家して東大寺に学び後空海の弟子となった。求法のために唐から印度へ向かう途中、虎害にあい78歳で葬ぜられたといわれる。この図の裏書によれば寛永7年の作であり、出所等も明白で作画もすぐれているので古美術品としても貴重なものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和51年1月1日

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掛絵六地蔵菩薩像6面付厨子・地蔵菩薩像縁起一巻

桧板に描かれた地蔵、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道衆生救済の地蔵尊像を岩絵具であらわしたものである。それぞれ元和五巳未正月吉日。野呂瀬主税助とある。長さ41.5センチメートル。幅28センチメートル。画像は平均高35センチメートル、縁起は鼻採地蔵縁起と初めに記されてある軸もの、巻子本である。見返りを除いて長さ362センチメートル。幅34センチメートル。末尾に、寛永17癸未霜月甘四日直自とある。地頭野呂瀬主税助直自(徳川家康臣甲府城代平岩親吉家臣)の筆とされる。

所在地/南アルプス市十日市場
所有者、管理者/安養寺
指定年月日/昭和51年1月1日

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隆昌院釈迦涅槃図

江原山隆昌院は寛正3年(1462年)に開基し、本尊は千手観音である。
この涅槃図の伝来は不詳であるが、上方軸芯部に墨書で寛文11年(1671年)との銘記が発見された。四枚の絹を女性の手によって縫い合わせた庶民的な作品であり、仏教の教えが庶民に厚く広がっていた事を示す貴重な作品である。
法量:縦…261センチメートル、横…157.5センチメートル

所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
備考/

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隆昌院の飯縄権現造図

飯縄権現信仰は北信州飯縄山に対する山岳信仰として知られている。室町時代武州高尾山に入山した俊源大徳が修行の結果、一夜の霊夢によって飯縄権現を感得し、その像を刻み一山の守護神として山頂に勧請したことにより、関東一円に広がったと言われている。本図は作者、伝承等は不詳であるが、江戸初期の作品だと考えられる。

所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日
備考/

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大日如来及四波羅蜜菩薩坐像

五智如来(ごちにょらい)とよばれていた宝珠寺の五尊は、平成3年に国の重要文化財に指定されるさいに、大日如来(だいにちにょらい)をとりまく四尊の手の結び方特徴があることにより、大日如来及四波羅蜜菩薩像(だいにちにょらいおよびしはらみつぼさつぞう)と呼ばれるようになりました。

四波羅蜜菩薩(しはらみつぼさつ)

金剛波羅蜜菩薩 宝波羅蜜菩薩 法波羅蜜菩薩 羯磨波羅蜜菩薩
金剛波羅蜜菩薩
(こんごうはらみつぼさつ)
宝波羅蜜菩薩
(ほうはらみつぼさつ)
法波羅蜜菩薩
(ほうはらみつぼさつ)
羯磨波羅蜜菩薩
(かつまはらみつぼさつ)


名称/大日如来
所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/平成3年6月15日
材質/木造(檜)
技法/寄木造・彩色(彩色は江戸時代の補修による)
像高/100.4センチメートル
制作年代/平安時代(1090年から1190年頃)
所蔵/宝珠寺(山梨県南アルプス市山寺)
墨書(像内の体部左側にある)/願主金剛佛子勝阿(勝阿につては不明)

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沢登六角堂

聖徳太子信仰を伝える六角堂建築として貴重であり、堂内には聖徳太子像と太子が信仰した如意輪観音が祀られている。
天正18年(1590年)七ツ内地内の龍沢寺当方にあった堂は、寛文4年(1664年)にこの地にうつされたが、文化4年(1807年)の大火により焼失した。翌年より再建が計画され文化7年(1810年)に再建された。
1辺が約3.06メートルの六角平面形を成し、柱も六角柱で造られている。
建物は戦後に一部修理が施されたが江戸後期の数少ない六角堂形式の建造物として貴重なものである。


所在地/南アルプス市沢登663
所有者、管理者/沢登区
指定年月日/平成9年7月30日
備考/

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矢崎家住宅

有野の故矢崎徹之介氏の居宅で、甲府盆地西部では最も古い民家である。建てられたのは、江戸時代初期、寛文以前の建築である。
矢崎氏はもと青木氏の出で、武田信玄公の時代に有野に所領を得て、信州からここに移った地侍であった。その後、江戸時代を通じ有力農民として名主を勤めている。
広い屋敷内には南に長屋門を構え、母屋の西北に文庫蔵が続き、北側にも大きな土蔵がある。
古さの見どころは、13本残っている柱にハマグリ手刃の跡が見られること、屋根裏の小屋組は当初のままで、小屋東に貫が離れて交わっていることなどである。


所在地/南アルプス市有野1204
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和53年2月16日
備考/

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若宮神社本殿

建立年代は不明だが、元禄2年(1689年)奉上葺の棟札があるので建立年代はこれより前の寛文期(1662年から)、」ごろと思われ、様式も一致する。
本殿は一間社流造(ながれづくり)で、桁行1.56メートル、梁間1.40メートル、向拝梁間0.83メートル、建坪約3.48平方メートル。
昭和31年に屋根の修理が行われ、ヒノキ皮葺から銅板葺に替えられた。保存状態もよく、すぐれた形姿をもち、本市では第一級の価値のある社寺建築である。

所在地/南アルプス市飯野2175
所有者、管理者/若宮神社
指定年月日/昭和57年11月30日
備考/

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宗林寺七面明神社本殿

鋳物師屋(いもじや)村の鎮守と言い伝えられ、一間社流造、桁行0.91センチメートル、梁間0.82センチメートル、棟高2.88センチメートルである。各部に濃厚な桃山風の特色の残る江戸初期の建物である。


所在地/南アルプス市下市之瀬240
所有者、管理者/宗林寺
指定年月日/昭和52年11月22日
備考/

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上宮地伝嗣院の大日如来座像

伝嗣院の旧寺領内にあり、御幸道の脇に富士山に向いて建てられている。高さ1.6メートル、幅1.2メートル程である。髪は螺髪で智挙印を結ぶ。右膝部に「寅山代」、像背に「寶永歳」の刻印がある。


所在地/南アルプス市上宮地1408-1
所有者、管理者/伝嗣院
指定年月日/平成元年5月31日
備考/

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上市之瀬八幡神社本殿 1棟 附棟札及び古材

一間社流造の建物で、江戸初期のものとみられる。宝殿地内(上市之瀬1315地先)から現在地に遷されたものといわれ、平成元年原形に忠実な解体修理が行われた。


所在地/南アルプス市上市之瀬1029
所有者、管理者/上市之瀬区
指定年月日/平成2年2月28日
備考/

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善応寺宝篋印塔(ほうきょういんとう)

総高1.2メートルの安山岩製で、観音堂の西に接して建てられています。年代は、鎌倉末期のものと推定されます。
塔の各部は別々の石からなり、基礎の上部に径15センチメートル、深さ8センチメートルの円筒形の穴を掘って、経典あるいは舎利奉納の場所が作ってあります。
その形状、形態といい実によく時代の特徴を表わし、風格を持った遺構です。


所在地/南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/善応寺
指定年月日/昭和53年3月15日

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江原浅間神社本殿

当社の祭神は木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)で、古来江原地区は湧水が豊富で稲作が盛んに行われていたことから、稲作の神としてその恩恵に浴し、毎年初穂を献じて五穀豊穣を祈願した。本殿は三間社(さんげんしゃ)流れ造り桧皮葺(ひはだぶき)屋根で桃山時代の作風を残す江戸時代前期の建築である。


所在地/南アルプス市江原1302
所有者、管理者/江原浅間神社
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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鋳造の金灯籠

全長123センチメートル、鋳造で造られた鉄製の灯籠を笠には製作年代と思われる「天正15年(1587年)6月」の銘がある。隣に人名らしき文字も見られるが、判読できない。
鋳造の金灯籠は県下でも珍しく、中世のものは他に知られていない。
この灯籠はもともと酒造業を経営する六科区笹本米蔵氏の庭に置かれていた。笹本家は以前刀鍛冶を営んでいたと伝えられており、この金灯籠となんらかの関係があると思われる。


所在地/南アルプス市野牛島2727 ふるさと文化伝承館内
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/平成10年2月2日
備考/

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大日如来像

銅製の厨子の四隅には風鈴がついていて、その鈴の音は登山者の安全を守ってくれる尊い守り神である。かつては北岳山頂に石の祠がありそこに安置されていたという。
明治中頃までの登山者は拝していたようだが、その後、心無い人によって持ち去られ、人の手を渡り歩いていた。しかしこの大日如来を手にした人はよいことが起こらず、病人が絶えなかったので、諏訪神社に奉祀したものである。

所在地/
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/
備考/
高さ…65センチメートル
幅…10センチメートル
座高…9.5センチメートル
材質…銅製

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諏訪神社の石鳥居

石段の中程にあり、宝永五年(1708年)の銘がある。笠木の上面に一対の竜が彫り出されあり、願い事を呑み込んでくれるとお詣りする人が多かったと言われている。


所在地/南アルプス市平岡1611
所有者、管理者/平岡区
指定年月日/昭和61年9月1日
備考/

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宝筐印塔群

恵光山長遠寺歴代墓域内にある五基を対象とする。北端の東塔は基礎から笠上端まで23センチメートル。正面には横に二祖、縦に日永と刻し、向って右に文和4年(1355年)、左に八月七日とある。西塔は、基礎から相輪まで31.5センチメートル。塔身の正面格狭間のなかに、中央に三世日用と縦刻、向かって右に応安二酉(1365年)左に七月五日とある。東塔年号は、県下在銘塔中屈指のもので、両塔とも北朝紀年号が刻されて、南北朝時代を偲ぶ歴史的価値がある。しかし塔全体が完備してなく、時代的にはおくれた感もある。


所在地/南アルプス市鏡中条700
所有者、管理者/長遠寺
指定年月日/昭和58年1月1日
備考/

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蔵珠院六地蔵幢

安山岩製で高さ1.75メートル、基礎の一部が埋没している。幢身に応永28年(1421年)の銘、「延命地蔵経」の句節、施主名などが陰刻されている。県内でも数少ない室町中期の遺品である。


所在地/南アルプス市桃園740
所有者、管理者/蔵珠院
指定年月日/昭和52年3月31日

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隆昌院本堂の桟唐戸

桟唐戸は鎌倉時代に禅宗が渡来した折りにその建築様式とともに伝えられたもので、禅宗様扉とも呼ばれ、その後他宗の寺院や神社等でも広く用いられるようになった。隆昌院の桟唐戸は様式からして桃山時代(1574年から1614年)の頃に製作されたものと考えられる。高さ2.53メートル、幅0.45メートル両折両開で黒漆仕上げ、上部の花狭間や八双金物に打ち抜かれた猪目形など美しく優れた作品である。


所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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東南湖八幡宮の御輿と神鈴

東南湖の御輿は尺五御輿と言われて小型のものであるが、正格な江戸木割によって施工されている。文政八年(1825年)に修復が記されており、製作はそれ以前に遡り江戸中期頃と推定され、美術的にも大変すぐれた作品である。
神鈴は銅製で文禄三甲午年(1594年)の銘文を持つ桃山期の作品である。


所在地/南アルプス市東南湖3282
所有者、管理者/東南湖八幡社
指定年月日/昭和60年3月30日
備考/

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西川家土蔵の戸前口

この土蔵は昭和63年に大改修がされているが、戸前口は江戸末期に造られたまま残されている。扉は通称観音開きと呼ばれる塗込扉であるが、これはそれ以前の軸摺形式である。耐火建築として土蔵造りは江戸時代に隆盛を極め、土蔵の戸前口は左官職人の腕の見せどころであった。


所在地/南アルプス市大師65
所有者、管理者/
指定年月日/平成4年10月19日
備考/

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神部神社の算額

わが国古来の数学である算額は江戸時代に関孝和らを中心に発達した。和算家が自分で発見した問題や解法を絵馬に書き寺社に奉納したものを「算額」と言った。
神部神社の算額は文化三年(1806年)に上州の和算家清水直次郎央七が奉納したものである。


所在地/南アルプス市下宮地563
所有者、管理者/神部神社
指定年月日/平成5年3月28日
備考/

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法善寺鐘楼付梵鐘

現在の鐘楼は、室町時代初期の建立という。屋根は入母屋形式。胴張りのない真直な方柱、そのうえの裁断部上の円柱で支えた楼造ながら、古代寺院の鐘楼形式をよく示している。殊に下層の方柱(高さ295センチ)根石は自然礎石で、柱はそのうえに直接立ち、それぞれ面取り(隅切)の割合は大きい。ただし上層構成の円柱(高さ184センチ)、虹梁、三斗(みつど)などの木組は改建立時の補強と思える。付・梵鐘:銘文はなく、制作年代不詳、伝鎌倉時代、龍頭(懸金)は高、幅27センチ、鐘は頂部から基部まで120センチ、口径88センチ。音色重厚の名鐘である。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和54年12月28日

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懸腰山

懸腰山は文永11年(1274年)日蓮上人が甲斐国内を巡しゃくされこの地を通りかかった折に松に袈裟を懸け、腰を下ろして休まれた霊場として懸腰山と命名したという。眼下に広がる甲府盆地の眺望が素晴らしい。


所在地/南アルプス市湯沢1345
所有者、管理者/本清寺
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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板絵僧形八幡神像一面

神仏は本来同じものであるという思想にもとづく彫刻絵画等を垂迹美術と称するが、これもその一つである。本地仏である阿弥陀如来が人々を救済するために現われたのが八幡神である故、八幡神が大菩薩として僧形をとっている訳である。本地垂迹説は仏教の日本的変容のもっとも著しいあらわれであり、それを表現した美術は日本独自の仏教芸術であると言える。裏面の墨書銘によれば寛正二年(1461年)法善寺第八世の厳延が武田八幡社へ奉納したものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和52年3月21日

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絹本着色十六善神像一幅

十六善神は般若経の守護神といわれ、大般若経を読誦する折にはこの軸をかけることになっている。墨書銘は「丙申八月十六日対島法眼」とあって制作年代は不明であるが、その画材、画風等からして室町中期の作と推定される。釈迦如来を中心として文殊、普賢、般若等の諸菩薩ならびに大般若経を訳出した玄奨三蔵が侍し、それを囲んで16人の諸神が威風堂々と描かれている。整った像容、おだやかな色彩、写実的で平明な表現の中に荘厳さのただよう一幅である。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/平成3年5月30日

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江戸小紋染師 内田一雄

下高砂地区で染色捺染業(型染)を営み、平成4年3月21日、旧八田村教育委員会より江戸小紋染師として無形文化財保持者に認定指定された。
内田氏は、父であり師でもあった内田秀一氏(山梨県指定無形文化財保持者)の後継者として引杢(ひきもく)等の染めの技術を継承し、日本の伝統工芸である江戸小紋型染に専念従事するようになる。
小紋とは型紙などを用いて染め出したがらの細かな模様、そしてその模様が染め上げられた着物を意味する。江戸時代、武士の礼装である裃(かみしも)に小紋が用いられ、各藩が独自の小紋を競い合うことで、技術的に大きな発展を遂げた。
昭和29年、こうした柄の細かな小紋を他の小紋と区別するため、江戸時代の代表的な染めであることから「江戸小紋」という名称がつけられた。
江戸小紋は、縮緬(ちりめん)を代表する絹地織物に繊細な柄模様を単調な色彩で染め抜く伝統技術である。江戸小紋の特徴はこの柄の細繊さにあり、遠くで見ると無地に見えるが、近くで見ると柄が現れるのが上品あるいは「粋」とされた。
染めに使われる型紙は「伊勢型紙」といわれ、現在の三重県鈴鹿市白子で製作されてきた。型彫りには「引き彫り」、「錐彫り」、「突き彫り」、「道具彫り」等の高度な技術が必要であり、染め師と同様に無形文化財に指定されている彫り師もいる。


所在地/南アルプス市
所有者、管理者/
指定年月日/平成4年3月21日
備考/

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長谷寺木造十一面観音像

長谷寺十一面観音立像は、長谷寺の本尊として大永4年(1524年)再建の本堂厨子の中に秘仏として祀られている。この十一面観音像は、古くから原七郷の守り観音として多くの人々の信仰を集めており、江戸時代には、甲斐国札所第4番の観音であったという。
本像は、頭頂に仏面、その下に1列に化仏(けぶつ)十面を表す十一面観音である。現在、左右の手は失われているが、造られた当初は、左手には蓮花を挿した水瓶を持っていたと思われる。右手の形ははっきりしない。また、本像の台座が通常の蓮華座ではなく、岩の形を模した岩座であることからは、本像が木の霊性を尊ぶ立木仏として造られたと考えられる。

本像は、像高169.3センチメートル。長身ですんなりとした姿に表される。お顔は優しい中にも厳しさがあり、威厳を感じさせる。天衣(てんね)や下半身に身につける衣の表現は控えめながら柔らかい布の質感を伝えている。
本像の材質はカツラで、左右の手以外のすべてを1本の木から彫り出す一木造という技法で造られている。この一木造のうち、臂を曲げる左手までも同じ木から彫り出すのは、平安時代前期頃に多くみられ、本像もこうした平安前期から中期にかけての造立と考えられる。地域の古い歴史を今に伝える貴重な尊像である。


所在地/南アルプス市榎原442
所有者、管理者/長谷寺
指定年月日/平成16年11月29日

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巨摩八幡宮太太神楽

この神楽は里神楽であって笛や太鼓で囃し、仮面を被り無言で演ずる岩戸神楽に属するものである。その起源は詳らかではないが往古よりこの里の伝承され、ある時には高尾山穂見神社の氏子により、また山寺八幡神社の氏子により奉納されてきた。現在は氏子有志(奉楽会)に引き継がれ、毎年大晦日から元旦にかけてと、8月最終日曜日に奉納されている。

所在地/南アルプス市鏡中条469
所有者、管理者/巨摩八幡宮
指定年月日/昭和46年1月28日
備考/

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十五所の甲州囃子

十五所区に伝わり別に長男囃子とも呼ばれ、200年程前に村人が京都の祇園囃子に感じ入って作り出したものである。五つの囃子で構成され、大太鼓・小太鼓・笛などの楽器が用いられ踊りも入る。


所在地/南アルプス市十五所
所有者、管理者/十五所甲州囃子保存会
指定年月日/昭和56年4月1日
備考/

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山寺八幡神社太太神楽

氏子による神楽部によって、例祭4月29日、12月31日(午後11時30分から午前1時30分)頃に奉納される。20数種の舞に応じて面・冠・衣装があり、刀・扇子などの採り物がある。


所在地/南アルプス市山寺
所有者、管理者/山寺八幡神社神楽部
指定年月日/昭和61年9月1日
備考/

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木造獅子頭(もくぞうししがしら)

百々諏訪神社所蔵の獅子頭は鎌倉期の嘉元3年(1305年)藤原吉宋の手によって作られた日本でも5番目に古い獅子頭である。
この獅子頭は木彫で、上顎、下顎、舌の三部分からなっている。
用材はヒノキで、その上に彩色をほどこしてある。
規模は面幅20センチメートル、面高23センチメートル、面深29センチメートルとなっている。


所在地/南アルプス市百々1537
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和43年12月12日

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高尾穂見神社太太神楽

氏子による神楽師によって、例祭(11月22日)夜に奉納され夜神楽として有名である。20数種の舞に応じて面・冠・衣装・採り物などがあり、面は24面が保管されている。横笛・鈴などの楽器を用いる。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社神楽会
指定年月日/昭和61年9月1日
備考/

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曲輪田峰村小路の獅子舞

起源は天明年間といわれ、家庭の和と社会平和の護り神として毎年正月14日、15日の道祖神祭の日に舞が行われる。また、娯楽の一つとして道化万才等の余興も演じられる。


所在地/南アルプス市曲輪田峰村小路
所有者、管理者/曲輪田峰村小路獅子舞保存会
指定年月日/平成3年12月25日

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若宮八幡の神楽

若宮八幡神社は古市場など周辺の七か村の総鎮守とされている。
文久2年(1862年)に水害を防ぐために神楽を奉納したのが始まりと伝えられており、古来「八朔」といって旧暦の8月1日に祭典が行われた。大正元年に古市場敬神会が発足し大祭を継承している。西郡地域の夜祭として境内は夜を徹して参詣者で賑わいを見せる。毎年、10月第1土、日曜日に奉納される。


所在地/南アルプス市古市場238
所有者、管理者/古市場敬神会
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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西南湖の獅子舞

1月14日から16日にかけての小正月には道祖神を奉る多くの民俗行事が行われる。この西南湖の獅子舞は現在でも西南湖獅子舞保存会により区内の新築祝い、結婚などの祝い行事として舞われる。明治20年(1887年)頃、隣の和泉地区の青年が質入れした衣装一式をもらい受け始められたという。
近松門左衛門作「梅川忠兵衛」、紀海作「八百屋お七」などさまざまな浄瑠璃を日本舞踊ふうに舞うことが非常に独特の舞いを見せている。


所在地/南アルプス市西南湖4229
所有者、管理者/西南湖獅子舞保存会
指定年月日/昭和49年1月29日

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木造薬師如来像(もくぞうやくしにょらいぞう)

上今諏訪の慈眼寺には、県の文化財に指定された仏像が多くあります。このうち薬師如来坐像は、坐高85センチメートル、材質はヒノキで、頭部と胴体が一つの木で造られている一木造りで、年代は藤原前期のものと推測されている。
慈眼寺は、平安期にさかのぼる真言宗のお寺だったと推定されているが、一時衰退し天文年間(1532年から1554年)に曹洞宗のお寺として再興されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1783
所有者、管理者/慈眼寺
指定年月日/昭和44年11月20日

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神部神社曳舟神事

神部神社は大物主命を祭神とし、「延喜式神名帳」に記載された巨摩郡五座のなかのひとつである。
毎年3月第1日曜日に(往古は2月2日)に行われる曳舟祭は、大和国からご神体を奉遷した古事にならってその様子を再現している。神主が数本の矢を放ち悪魔を祓い、諸々の贖罪、五穀豊穣、天下奉平を祈願する。神事において、木舟を神主、氏子らが引くというのは、恐らく当時の運搬手段のひとつとして、木舟を用いて内陸まで出入りしていた様子を演出しているものと考えられ、当時の交通運搬や文化流入を知るうえで貴重である。古代における神の遷座の状況を神事として残す祭祀は類例を見ない。

所在地/南アルプス市下宮地563
所有者、管理者/神部神社
指定年月日/平成6年6月28日

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木造阿弥陀如来立像

飯野の曹洞宗常楽寺の本堂に安置されている鎌倉期の阿弥陀如来像。
像の総高は132センチメートル、材質はヒノキの寄木造りで玉眼がはめ込まれている。
かつては彩色されていたかと思われるが、現在は色は落ち、像全体に木目が表れていて、ひとしお奥床しさが感じられる。


所在地/南アルプス市飯野1065
所有者、管理者/常楽寺
指定年月日/昭和44年11月20日

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神明神社正徳四年再興棟礼 1枚

棟札とは、建物を新築・再建した際に、施主や大工の名前、工事の日付、経緯などを記録するために作られ、天井の棟木などに打ち付けられる板札である。
神明神社の棟札には、正徳3年(1713年)8月に起こった洪水によって現在の神明神社から5丁(約545メートル)ほど東にあった本殿が流失し、正徳3年12月に現在地へ移転、正徳4年に棟札が奉納され、神社が再興された事績が記されている。
釜無川の河道変遷やそれに伴う上高砂集落の移転を考える上で、貴重な歴史資料である。


所在地/南アルプス市上高砂958-1
所有者、管理者/神明神社
指定年月日/平成14年11月12日

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五百住巨川の墓

上高砂地区、豊光院本堂裏手の墓地に国学者、五百住巨川の墓がある。
五百住巨川は、文政12年(1829年)に江戸藩邸で五百住元卓の次男として生まれた。幼名を栄三郎または丑松といい成長した後巨川と号した。昌平坂学問所で学び、著名な国学者であった平田篤胤に師事して国学を修めた。
巨川は地方の名士と国事を論じるために諸国を巡歴し、安政4年(1857年)に巨麻郡西郡を訪れた。その際、有野村に住む名取理平に引き留められ、上高砂の地に私塾「螺廼舎(しのしゃ)」を開き、算術や漢字、書道などを教えた。塾舎は、明治5年(1872)まで現上高砂バス停留所の隣にあり、最盛期には教師5名、塾生138名を数えた。巨川の影響を強く受けた塾生も多く、彼らは明治維新後の地域名士として、郷土の発展に尽力した。
明治4年、巨川は本県最初の新聞である「峡中新聞」の主筆となる。明治7年には藤村県令の命を受け、県神社局長となり寺社の整理統一に手腕を奮うが、明治8年3月7日47歳で夭逝した。
著書には「なまよみの甲斐」2巻、「私輯大日本史系図」、「大日本史解説」など地方に根差した視点から日本を俯瞰した多数の大著がある。


所在地/南アルプス市上高砂986
所有者、管理者/豊光院
指定年月日/昭和51年3月1日

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木造菩薩形立像

上今諏訪の諏訪神社本殿に菩薩形と思われる立像一軀(いっく)が所蔵されている。
作風からも藤原仏で、隣接する慈眼寺の仏像群の一体ではないかといわれている。天冠台などに一部残る漆塗の跡に往昔の秀麗優美さがしのばれる。背部に鎌倉期に加修した跡が残る。
材質は樟(くすのき)材の一木造で頭・胴ともに内刳りが施されている。


所在地/南アルプス市上今諏訪1778
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和44年11月20日

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松声堂跡

松声堂は、江戸時代に創立された西郡地域の勉学の中心となったところである。天保6年(1835年)西野村長百姓幸蔵ら12名は、“勉学によって人倫の道を教え、農民としての自覚を高めたい”として幕府に手習所の創設を出願した。
翌7年に許可され、初代教師に江戸下谷生れの松井喚斉を迎え、西野北村現在の宝珠院で開校した。
天保9年(1838年)には旧西野小学校の地に移り、明治4年(1871年)西野郷学校となるまでの36年間、この地方の庶民教育に果した功績は非常に大きいものがあった。松声堂跡には松井喚斉の碑、松声堂碑などが建立されている。


所在地/南アルプス市西野2783
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和53年2月16日

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須沢城跡

御勅使川扇状地を見渡せる高台にある山城の跡。城跡らしいものは残っていないが、城の本丸に当たるところに室町初期のものとみられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔が数基建てられている。
城主は、当時西郡地方を支配していたと思われる逸見(へんみ)孫六(まごろく)入道(にゅうどう)と言われている。
正平5年(1350年)12月鎌倉で失脚した高師冬(こうのもろふゆ)がこの城を頼って落ちのび、翌年正月、上杉能憲及び諏訪の祝部(ほうりべ)の連合軍に攻められ落城した。(桜雲記による)


所在地/南アルプス市大嵐
所有者、管理者/西区
指定年月日/昭和55年9月24日

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木造諏訪神社神像

室町時代の特色をよく具えた衣冠束帯姿の簡素な像である。応永十六年(1409年)に本殿建て替えとともに奉納されたもので、「信心大施主藤原吉光与四郎敬白(略)」の墨書がある。


所在地/南アルプス市曲輪田1077
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和40年5月13日

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白山神社

白根町築山に鎮座する神社で、旧社格は村社、祭神は菊理媛神。境内地は150坪と規模は小さいが、一通りの施設が備わっている。
本殿は1間社流造りで、床下に浜床(はまゆか)階段上に母屋床(もやゆか)が張ってある。拝殿は寄棟造り(よせむねづくり)で囲いの壁がなく、吹き抜けになっている。随身門は入母屋造り、鳥居は柱頭に台輪がある稲荷鳥居で、額束(がくづか)に権現社と名記され、元禄11年寅4月1日の年号がある。神燈は鳥居の前にあり、元禄11年寅4月1日の年号がある。境内社として2基の祠があり、1基に寛政5丑巳12月吉日の銘がある。

所在地/南アルプス市築山33
所有者、管理者/白山神社
指定年月日/平成15年2月14日

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十日市跡

所在地/
所有者、管理者/ 加賀美・法善寺
指定年月日/ 昭和46年1月28日

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五味国鼎の墓

所在地/
所有者、管理者/ 藤田・泉能寺
指定年月日/ 昭和46年1月28日

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広瀬中庵の墓

所在地/南アルプス市藤田304
所有者、管理者/明行寺
指定年月日/昭和46年1月28日

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五味可都里の墓跡

五味可都里は江戸時代後期、甲州を代表するの俳人ひとり。
名は宗蔵、号は可都里(葛里)。蕪庵(かぶらあん)と称した。
旧巨摩郡藤田村(現南アルプス市藤田)の豪農で、田園風景を素材にした温雅な作品を多く残した。
編著に『農おとこ』、『ななしどり』などがある。
寛保3年(1743)生まれ、文化14年(1817)没。享年75歳。
可都里の没後、「蕪庵」は甥の蟹守が継ぎ、その後の甲州俳壇の指導的役割を担った。
注)なお、現在墓自体は鏡中条の長遠寺境内に移されている。


所在地/南アルプス市藤田410
所有者、管理者/泉能寺
指定年月日/昭和46年1月28日
【参考文献】
池原錬昌編2004『可都里と蟹守』五味企画
清水茂男1963「五味可都里の研究」『山梨大学学芸学部研究報告』14号山梨日日新聞社出版部編2003『可都里と霞外』若草町文化協会

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辻嵐外の墓

成妙寺の山門をくぐると「笹の葉や今に鶯年よらず」と詠われた句碑がある。
辻嵐外は江戸後期の俳人である。嵐外は明和8年(1771年)敦賀に生まれ、年に甲斐を訪れ若草町藤田の五味可都里を頼り、その後75歳まで落合を中心に甲斐の俳諧文化の向上に努めた。嵐外は俳諧結社安楽林社との交友が深く、弘化2年(1845年)11月26日成妙寺に「嵐外日哉の墓」を建立した。


所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日

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深向院の釈迦如来像

本尊は至徳2年(1385年)大仏師越後阿闍梨増光の作である。
深向院は天長年間(824年から832年)弘法大師の草創と伝えられている。真言宗に属し、武田五郎信光が再興し信光寺と名付けた。
桧材の寄木造りで、坐高23.5センチメートル、肩張14センチメートル、肘張19センチメートル、膝張24.5センチメートル、膝高5.2センチメートル。
像背面内部に造顕年代が記されている。
至徳二年十一月日
「大仏師越後阿闍梨増光造」


所在地/南アルプス市大師1172
所有者、管理者/深向院
指定年月日/昭和46年2月26日

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鰐口(わにぐち)

鰐口は、古くは金鼓(こんく)と呼ばれ、社殿や仏堂前の軒下につるされた金属製の具であり、その形から鰐口といわれるようになった。
久本寺の鰐口は、享徳3年(1454年)のもので、面径13センチメートル、口径15.1センチメートル、縁高3.6センチメートルである。
表面に記された文字から、子孫繁栄を願って観音堂に奉納されたことが分かる。


所在地/南アルプス市下今諏訪556
所有者、管理者/久本寺
指定年月日/昭和35年11月7日
備考/

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伝保昌(ほうしょう)の刀

鎌倉後半期の大和刀工、保昌の作とされている刀。
長さ73センチメートル、反り2.1センチメートル、形状は鎬(しのぎ)造りで、造り込み格好、その他全て保昌派の特徴をよく示した優作である。


所在地/
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和40年5月15日

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穂見神社銅製懸仏

径26.4センチメートル、厚0.3センチメートル、耳口間10センチメートルで2.0センチメートルの突起がある。表面に冠をつけ両手に笏を捧げて台上に座した神像の蹴彫りがあり、「甲斐国八田御牧北鷹尾 天福元年(1233年)云々」の銘がある。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/昭和40年5月13日

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桜田家鰐口1口

銅製。直径17.2センチメートル、縁厚5.6センチメートル。外帯に「永正二年(1505年)から願主為清敬白。奉主~信州伊那飯嶋郷田切村」の銘がある。桜田家に伝来の由来は不明である。


所在地/南アルプス市下市之瀬872
所有者、管理者/
指定年月日/昭和42年5月29日

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秋山太郎光朝供養の経筒及び付属品

この経塚の遺品は慶安年間(1648年から1652年)に秋山熊野神社境内より発見されたと伝えられている。光朝は甲斐源氏加々美遠光の長男、経筒銘にある光経は光朝の弟で、遠光の四男である。本経筒は銘文に建久8年(1198年)の年号があり、鎌倉初期の経塚造営の状況を知るのに貴重な資料となっている。
経筒には次の銘文が刻まれている。

信心大施主…源朝臣光経

芳縁源氏…所生愛子等

現在悲母…禅定此丘尼

建久八年十月十一日

出土品には宝珠型のつまみのついた蓋が2点、短刀3口、陶製の壺1点がある。


所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和47年1月27日

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八王子権現の剣

長さ28センチメートル、元幅2.8センチメートル、先幅2.7センチメートル
表面に銘濃州関住兼次、裏面に大永六年(1526年)六月日の銘文が刻まれている。
この刀剣の由緒の中に「武田信虎公大永六丙戌年在銘兼次ノ剣」とある。
地鉄の鍛え、刃文、やすり、銘、年紀、茎の特色から室町時代に活躍した志津兼氏一門の系譜を引く刀工の手によるものと思われ当時の製作手法に基づく作品として貴重である。


所在地/南アルプス市落合1092
所有者、管理者/落合八王子社
指定年月日/平成元年7月19日

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八幡神本地仏鏡像一面

法善寺が管理していた武田八幡宮の本地仏として尊崇されたもので、全体の構造、手法は鎌倉期の特徴をよく表わしている。技法は必ずしも優れているとはいえないが、素朴の中に烈々たる信仰心がうかがわれ、その深遠な宗教性は拝するものの心にせまるものがある。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和54年12月28日

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紙本墨書長盛院の大般若経

時代…享保13年(1728年)4月17日から元文4年(1739年)5月17日
作者…嶽恩和尚・玄嶺和尚
長盛院境内の「経蔵」に嶽恩筆紙本墨書大般若経600巻が収められている。この般若経は亨保年間、長盛院の末寺、正重院の住職であった嶽恩和尚とその意志を継いだ本山玄嶺和尚によって写経されたものである。
嶽恩和尚は本寺の繁栄や天下の泰平、国土の安穏、子孫繁栄、村里の豊饒を祈願し、享保13年(1728年)4月17日、大般若経の筆写をはじめた。長年にわたる写経は心身をさいなむ辛苦を与え、時には天井から吊した縄で筆を持つ腕をささえていたといわれる。
500巻を書き終え、その完成を目前にしながら元文2年(1737年)2月9日、59才で他界した。本山玄嶺和尚はその志を継いで写経を進め、2年後の元文4年(1739年)5月17日、大般若経600巻の写経を完成させた。複数の僧侶によって書かれた大般若経は多数あるが、ほぼ1人の手によって書かれたものは県内でも類例が少ない。


所在地/南アルプス市徳永1678
所有者、管理者/長盛院
指定年月日/昭和51年3月1日

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能蔵のエドヒガンザクラ

本樹は能蔵池の北西隅にある。江戸彼岸桜という名称は、「東国(関東)の彼岸桜」という意味で、ゆえに「東(あづま)彼岸桜」ともいう。
根回り4.5メートル、目通り1m、樹高8メートルの大樹である。樹勢は旺盛で、毎年4月上旬に薄紅色の美しい花を咲かせる。

所在地/南アルプス市野牛島2704
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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伝嗣院紙本墨書大般若経

各帖縦28.8センチメートル、横10.6センチメートルの折本。大檀那今沢重貞によって奉納されたもので明応十年・文亀元年(共に1501年)の書き付けがのこる。経巻600巻に欠失なく多くの奥書があり、戦国時代の史料としても貴重なものである。


所在地/南アルプス市上宮地1424
所有地、管理者/伝嗣院
指定年月日/昭和40年8月19日

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版本大毘盧遮那成仏経疏16巻

大日経は金剛頂経と共に密教の根本経典であり、716年インドから唐に来た名僧善無畏三蔵が翻訳した経典である。三蔵はさらにその経典についての講義を行い、それを弟子の一行禅師が筆録したのが経であり、宗教の理論的説明のさきがけをなすものとして仏教学徒の必読の書とされている。法善寺蔵のこの本は世に高野版といわれる本版本であり、巻末の奥書によれば弘安元年(1278年)頃版刻されたものである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和53年3月30日

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紙本墨書金光明最勝王経十巻

原典は唐の義浄三蔵が訳出したものである。鎮護国家、万民豊楽を祈る経典として古くから特に為政者によって信奉されてきたが、一般に経典は華美なものが多い。法善寺所蔵のこれは天文八年(1539年)武蔵国藤田郷の聖天宮にその地の領主が奉納したものであり、田舎武士にふさわしい誠に質素な本である。これは加賀美家伝来の経本で慶長12年法善寺18世玄覚が点注を加えている。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和61年9月17日

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法善寺伝承本真言宗諸流聖教類769点

聖教類には、仏、菩薩、その他諸等に対する礼拝法、供養法、念踊法など実践的な修行方法が示されている。
得度を終了した出家者が所定の行規にしたがって、修行しながら逐次、伝授や講伝を授けられた、いわゆる師資相承の秘法である。
行者は師から授けられた折紙、冊紙、巻紙を書写し、伝授の権威を保つために伝授日時や師資名、道書名を巻末に誌しているものが多い。
この聖教類は、真言宗学問寺として栄えた法善寺にふさわしく一ヶ寺にこれだけのものが残っていることは県下は勿論、全国的にもきわめてまれである。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和62年2月10日

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白根のゴヨウマツ

西野北村小路の小野氏宅の前庭に育つ五葉松。松の種類のうち、五枚の葉を持つ種類を五葉松と称し、これはその中のヒメコマツと言う種類の樹木である。
規模は、目通り幹囲1.30メートル、根回り2.95メートル、東へ伸びる枝の長さ15メートル、樹高8.5メートル。手を尽くされ、極めて美しい庭木となっている。


所在地/南アルプス市西野1498
所有者、管理者/
指定年月日/昭和63年7月20日
備考/

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水宮神社の社叢

水宮神社は有野部落の北部、御勅使川近く鎮座し、水波能女命(みずはのめのみこと)を祭神とする水害防護の神社である。御勅使川は大扇状地をつくっただけに、有史以来も大氾濫をくりかえし、特に天長11年(834年)の洪水は大惨事をもたらし、救恤のため勅使が派遣された。時の国司藤原貞雄は治水に努力し、当社に配祀されている。江戸時代、有野ほか21ケ村の鎮守として、御勅使川の共同水防が行われてきた。また、当社の森社叢は、マツが主要樹木だが、その他にアサダ2本、クマシデ3本、モミ10本、ケヤキ1本で構成されたいます。この中のアサダはクマシデ科の落葉高木で、本県では珍しい樹種で貴重な存在です。


所在地/南アルプス市有野1298
所有者、管理者/水宮神社
指定年月日/昭和61年9月12日

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沓沢 山の神 大栂

沓沢の山の神の大栂はいつから生育したのかわからないが、かつては千年栂とも呼ばれていた。この大栂の根本に昔から祀られている山の神が四祀ある。この山の神の大栂は、昭和59年に村の天然記念物に指定された。
岩盤の上ともいえる痩せた尾根に、何百年も生育して今でも樹勢が衰えず繁茂している姿には、崇敬の念が感じられる。


所在地/南アルプス市芦安芦倉1290-1
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和59年11月26日
備考/
樹高…27.68メートル、目通り…3.8メートル、根周り…5メートル、枝張り…東西20メートル、南北24メートル、根の露出部分…東西20メートル、南北24メートル

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法善寺のサルスベリ一樹

みそはぎ科の落葉高木で原産地は中国南部。樹皮は褐色でつやがあり、なめらか。夏から秋にかけて白色または紅色の小花をひらく。
さるもすべりそうだという意から「サルスベリ」と云われ、花期の長いことから「百日紅」とも云う。
樹高15メートル、根廻り2.8メートル、枝張り東西13.5メートル、南北10メートル。
樹齢は定ではないが、サルスベリとしては県下で数少ない大木である。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/昭和62年7月1日

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大薙刀銘備州長船兼光一振

これは信玄が武田八幡宮に奉納したものであるが、明治初年神仏分離の際、法善寺へ移されたものである。「備州長船兼光」と在銘で長さ四尺六寸身幅一寸五分厚さ四分半もある実に堂々とした大薙刀である。兼光は鎌倉時代の長船鍛治を代表する名工で、初代と二代とがあり、二代の頃には武威を誇示するのあまり三、四尺もある豪刀が全国的に流行した。銘の書体から見たのでは初代か二代か決めかねるが、時代相を反映した雄大な姿から見て二代兼光作と思われる。


所在地/南アルプス市加賀美3509
所有者、管理者/法善寺
指定年月日/平成6年11月7日

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山寺八幡神社のシラカシ林

神社南西部を中心にして、シラカシの群生がみられる。目通り幹囲3.4メートル、樹高23メートルを筆頭に35本が群生している。暖地性植物カシ林は、盆地周辺が北限で植物分類地理学上貴重である。


所在地/南アルプス市下宮地470
所有者、管理者/山寺八幡神社
指定年月日/昭和54年2月15日

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上市之瀬のイトザクラ

一名シダレザクラともいう。根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く、花色は濃い方で、樹齢約200年。

所在地/南アルプス市上市之瀬1436
所有者、管理者/上市之瀬イトザクラ保存会
指定年月日/昭和51年3月2日

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下市之瀬の獅子舞

享保年間、若者の風紀の乱れを防ぐため、敬神と娯楽を兼ね正月14日の道祖神祭の奉納神楽として始まった。火伏・厄除・悪魔払として舞われ、幕の舞・梵天舞等七種類、女性的な優雅な舞である。


所在地/南アルプス市下市之瀬
所有者、管理者/下市之瀬獅子舞保存会
指定年月日/平成19年4月27日

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宗林寺のイロハモミジ

樹齢300年余。根元の周囲4.9メートル、目通り幹囲2.6メートル、樹高約12メートル。枝張りもよく東西は12メートル以上、秋の紅葉は見事である。


所在地/南アルプス市下市之瀬240
所有者、管理者/宗林寺
指定年月日/昭和62年12月1日

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平岡のヤシャブシ

標高610メートルの山上に、御神木として保存されている。球果にタンニンを多く含み、この地域では五倍子(フシ)の木と呼ぶ。目通り幹囲3.1メートル、樹高15メートル。枝張りは四方に8メートルあまりの県下まれな巨樹。


所在地/南アルプス市平岡2910
所有者、管理者/平岡区
指定年月日/昭和61年9月1日

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曲輪田諏訪神社のエドヒガン

神社西方の境内樹。地域ではヒガンザクラで通っている。東のモミジと共に農作業の目安として親しまれ、早春の開花は、淡紅色で見事。目通り幹囲2.8メートル、樹高15メートル、枝張りは東西16メートルに及ぶ。

所在地/南アルプス市曲輪田1077-2
所有者、管理者/曲輪田諏訪神社
指定年月日/昭和62年12月1日

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高尾穂見神社の大スギ

社殿前の東に位置する境内一の巨樹で御神木とされてきた。目通り幹囲5.75メートル、根廻6.80メートル、樹高45メートル、枝張り東西25メートル南北20メートル。樹型は直幹、枝張り方錐形の美形である。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/平成5年11月25日

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清水八幡の夫婦ケヤキ

清水八幡神社境内に東西に自生する老木である。西側が夫で、かつては樹高27メートル、根回り20メートル、目通り7.4メートルを誇ったが、近年、強風により根の部分を残し倒壊してしまった。樹齢は約650年である。
東側が婦で樹高25メートル、根回り12.1メートル、目通り4.4メートル、樹齢が約450年である。境内に仲良く並んで自生しているため「夫婦ケヤキ」と呼ばれ地域に親しまれている。


所在地/南アルプス市清水92
所有者、管理者/清水区
指定年月日/昭和42年10月1日
備考/

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秋山の多羅葉樹

根回り2.6メートル、樹高14メートルで時の光昌寺住職がシャム国(タイ)よりこの地に持ち帰ったと言われている。現在秋山富士夫氏の庭園に自生しており雌樹で赤い実をつける。


所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和42年10月1日

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広誓院のカヤの木

湯沢の平野山広誓院は文亀元年(1501年)6月に創建されたと伝えられている。
このカヤの木は根回り13メートル、目通り4.5メートル、樹高は12メートル、樹齢約500年の老木である。


所在地/南アルプス市湯沢1826
所有者、管理者/広誓院
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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安藤家の避雷針の松

根回り20メートル、目通り3.5メートル、樹高19メートル、樹齢500年
この松は江戸時代前期頃滝沢川左岸の岸辺に自生しており、当時水害の常襲地帯であった滝沢川より村人たちが安藤家に移植したという。
この松には明治末期頃つけられた避雷針が取り付けられており、別名「避雷針の松」と呼ばれクロマツとしては希な巨木である。

所在地/南アルプス市西南湖4302
所有者、管理者/山梨県
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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不動寺の菩提樹

古市場の不動寺は弘仁年間(810年から823年)に創建された真言宗の寺院である。
その山門の西側にひっそりと自生しており、根回り1.5メートル、目通り1.2メートル樹高6メートルである。「菩提樹」は中国原産の植物で福岡県に渡り次第に全国に広がったという。


所在地/南アルプス市古市場180
所有者、管理者/不動寺
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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法音寺の多羅葉樹

本樹は雄樹で根回り2.6メートル、樹高14メートル、地上2メートルで二幹に分かれている。葉の縁に鋭い鋸歯があることから「鋸柴」とも言う。モチノキ科に属し樹皮からとりもちを作る。


所在地/南アルプス市江原1587
所有者、管理者/法音寺
指定年月日/昭和44年11月13日
備考/

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成妙寺の松

宗持山成妙寺に自生する松は垂れクロマツの傾向を持ち、根回り3.6メートル、目通り2.9メートル、樹高17メートル、樹齢約200年で地上約1メートルのところで東西2幹に分岐している。


所在地/南アルプス市落合150
所有者、管理者/成妙寺
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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鮎沢の御崎ビャクシン

鮎沢の御崎稲荷明神にある当木は根回り2.9メートル、目通り2.3メートル、樹高やく7メートル、樹齢約400年と言われている。この御崎ビャクシンは毎年鮎沢1組で祭典を行っている。


所在地/南アルプス市鮎沢754
所有者、管理者/鮎沢区1組
指定年月日/昭和49年1月29日

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本清寺のカヤの木

本清寺は正保元年(1644年)9月13日に創建されている。
根回り6メートル・目通り3.9メートル・樹高20メートル
カヤの木は音の反響が優れているので、昔から基盤や将棋盤に用いられている。
また木の実は薬用や菓子などに用いられ「カヤアメ」などはよく知られている。


所在地/南アルプス市湯沢913
所有者、管理者/本清寺
指定年月日/昭和44年1月13日

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隆昌院の多羅葉樹

多羅葉は葉に傷を付けると浮かび上がるので古代インドでは木針で葉に傷を付け経文を写したことからそれにたとえて多羅葉と称している。また、葉に火をつけると黒い環が現れるので紋付柴ともいわれている。
根回り2.36メートル、目通り1.41メートル、樹高12メートルである。


所在地/南アルプス市江原1550
所有者、管理者/隆昌院
指定年月日/平成元年2月27日

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大嵐のビャクシン

臨済宗善応寺の御神木として植栽されたと言われており、樹齢は少なくても500年に達していると思われる。ビャクシンはヒノキ科に入り本県では峡西地方に多く分布している。規模は、根回り幹囲5.8メートル、目通り幹囲3.48メートル、樹高17メートル。翼長は、北へ4.8メートル、南へ5メートル、東へ6メートル、西へ3.5メートル。地上2.5メートルで二つに分岐している。

所在地/ 南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/ 善応寺
指定年月日/ 昭和43年2月8日

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鏡中条のゴヨウマツ

マツ科に属する常緑喬木で、我が国の特産で北海道から九州まで産し、中部以南に産するものをヒメコマツ、中部以北に産するものをキタゴヨウマツとして区別することもある。その材は建築、器具の料に供する。又園芸的変種が多く、庭園樹、盆栽として栽培される。本県では富士山をはじめ、各地の高山に多い。此のゴヨウマツは、根本周囲85センチ、幹囲84センチ、樹高11メートル50、枝張り東西11メートル50センチ、南北4メートル60センチ、東にのびた9メートル20センチの枝は特に見事である。(推定300年経過)


所在地/南アルプス市鏡中条461
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和45年10月26日

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十日市場の大ケヤキ

この大けやきは、樹齢五百年と推測される。樹高22メートル、根廻り11.30メートル、3本の巨枝が大きく四方に延びて、東西、南北とも24メートルに及んでいる。錯綜した根は60センチメートル以上に盛り上がっている。樹勢は極めて旺盛で、壮年期性を持つ地方の崇敬の対象となっている名木である。


所在地/南アルプス市十日市場1959
所有者、管理者/石動神社
指定年月日/昭和61年3月19日

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中野のカキ

樹齢500年。根元の周囲5.3メートル、目通り幹囲3.5メートル。幹は空洞となり南西部を欠くが復元すれば、4メートル以上の巨木となる。この地方で「エブク」という在来種で、昔の栽培種を知る好資料である。


所在地/南アルプス市中野207
所有者、管理者/
指定年月日/昭和35年11月7日

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宝珠寺のマツ

樹種はクロマツ。根元の周囲4.8メートル、目通り幹囲3.6メートル、地上2メートルの幹囲3.8メートル、枝張りは東へ3メートル、西へ6メートル、北へ7.5メートル、南へ9メートル、樹高15.5メートル。その間、幹枝の屈曲著しく美しい樹形を呈する県下まれな名木。


所在地/南アルプス市山寺950
所有者、管理者/宝珠寺
指定年月日/昭和35年11月7日

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ミヤマシロチョウ

シロチョウ科。白色半透明で、外縁と翅脈にそって黒褐色で裏面は黄色を帯びている。幼虫はメギなどを食べる。本州中部の山岳地帯に分布するが数は少ない。櫛形山の1,000メートルから2,000メートルに生息する。


生息地/櫛形山一帯
指定年月日/昭和52年3月31日

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湯沢の思い杉

思い沢の北に面した斜面に自生しており、樹齢500年、根回り10メートル、枝張り、東西20メートル、樹高33メートルという大木で2本のスギが接触し癒着している珍しい現象が見ることができる。この事から縁結びの神様として古くから地域に親しまれている。

所在地/南アルプス市湯沢2248
所有者、管理者/
指定年月日/昭和53年11月7日

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湯沢のサイカチ

マメ科/サイカチ属
サイカチの巨樹として県下において希に見るものである。
根回り4.2メートル、目通り幹囲3メートル、樹高は約6.4メートルで樹齢は300年を有している老木である。塩沢家は「茨の木大尽」と呼ばれ多くのサイカチが植えられた事で知られている。サイカチの実は薬用になり、以前は石けんの代用にしたこともある。


所在地/南アルプス市湯沢113-1
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和39年6月25日

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野牛島のビャクシン

ビャクシンはヒノキ科の高木であるイブキの一品種で、本州、四国、九州の海岸地方に分布する常緑の針葉樹である。
樹形が美しいため庭園や寺社境内に植えられていることが多く、本樹も野牛島地区、御所五郎丸の墓前にある観音堂の庭先に立っている。
幹は地上より10メートルの地点で折れているが、現在も樹勢は極めて旺盛で、枝葉もよく繁り、円錐形の見事な樹形をとっている。
規模は、根廻り4.85メートル、目通り3.25メートル、樹高11.5メートル、樹齢は約400年とも言われる、県下有数の巨木である。
鎌倉時代に野牛島に流罪となったといわれる御所五郎丸が、杖をこの地にさしたところ、それが根づいて現在の大きなビャクシンになったという伝承が残されている。


所在地/南アルプス市野牛島2076
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和35年11月7日

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芦安堰堤

御勅使川は、甲斐駒ヶ岳から南東に連なる南アルプス連山の唐松峠付近、標高(1600メートル)の地点に源を発し、甘利山(1672メートル)・千頭星山 (2139メートル)・大崖頭山(2186メートル)・高谷山(1842メートル・櫛形山(2052メートル)によって囲まれ、急峻な山間を北東に流れ、芦安を経て白根・八田に入り、流域に扇状地を形成して富士川に注ぐ流路延長(約18.5キロメートル)・流域面積(72.4平方キロメートル)の河川である。
流域内の地質は、上流部は主として御坂層で、その中に脆弱な火成岩地帯があり、所々に温泉作用を受けた薄い地層があって、この層を境にして地すべりを生ずるほか、本川沿岸に露出する部分は極度の風化崩壊の過程にある。
芦安堰堤は下流の土砂災害を防ぐため内務省直轄砂防事業として施行した砂防堰堤で、日本で初めてセメントを使用した堰堤であり昭和七年より山梨県が移管を受け管理している。
芦安堰堤は下流の土砂災害を防ぐため、内務省直轄砂防事業として施行した砂防堰堤で、日本で初めてセメントを利用した堰堤であり、国登録文化財となっている。

所在地/山梨県南アルプス市芦安芦倉字大曽利地内
所有者、管理者/山梨県
指定年月日/平成9年9月16日

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能蔵池の碑

野牛島地区の北西部に能蔵池がある。能蔵池は御勅使川の伏流水が崖下から湧きだした湧水池で、古くから周辺諸村の灌概用水として重宝されていた。この池のほとりに、碑は建てられている。
高さ189センチメートル、底辺幅98センチメートル、安山岩を用いた大きな石碑である。
安政4年(1857年)、ときの市川代官森田行が文章を考案し(撰文)、前任の代官荒井顕道が書をしたため(書)、徽典館(きてんかん)の学頭であった久貝岱(くがいたい)が「能蔵池の碑」という額の文字を書いて(篆額)、完成に至った。その内容を要約すると以下の通りである。

「野牛島に能蔵池という池がある。水は清らかで、どんなに乾燥しても枯れることはない。野牛島をはじめ高砂、榎原、徳永を灌漑してきた。池の中に天女、池の側に蔵王が祀られ、神竜のすむところである。
村人たちもよく農事に励み、この水の如く怠ることがないようにしなさい、そうすれば倉はいつも満ち官も民も乏しいことがなく、不作の年も飢えをまぬがれるであろう。これは村人の幸福である。」


所在地/南アルプス市野牛島2704
所有者、管理者/野牛島区
指定年月日/昭和51年3月1日
備考/

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