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9.山方

暮らし・産業・文化
芦安堰堤

芦安堰堤アーチ式工事写真。大正14年7月23日撮影。

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源堰堤

大正9年に竣工。高さ7m、長さ109.1mある大型の堰堤。芦安、藤尾堰堤とともに現在でも大正期の姿をとどめている数少ない堰堤のひとつ。芦安堰堤と並び、「御勅使川治水の双璧」と呼ばれていた。現在でも私たちの生活を支えている。

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名取将監の墓

武田信虎に仕えた有力な武将だったが、忠言が疎まれて遠ざけられ、芦安地区に住んだと地元で語り伝えられる。住居があったとされる場所は現在でも「殿屋敷」と呼ばれ、大曽利(おおぞうり)地区大宝寺(たいほうじ)に墓がある。

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諏訪神社

大曽利にある神社で、祭神は武勇・狩猟の神である建御名方命。

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伊奈ヶ湖

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野牛島のお浅間さん

野牛島のお浅間さんは現在は民家の間にひっそりと存在していますが、この場所は、かつては見晴らしのよかったであろう前御勅使川(御勅使川の旧流路)の野牛島側堤防上です。富士山の眺望も楽しめたことでしょう。
 野牛島のお浅間さんには、富士塚も造られており、地域の富士信仰の拠点でした。
 野牛島の中島家に残されていた日記には、江戸時代の1835年(天保6)6月29日~31日にかけて大風が吹いて川々が大荒となり「前御勅使川通富士塚弐番三番堤急破いたし・・・」と記されており、当時より堤防上に富士塚が存在していたことがわかります。

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高尾集落

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「高尾集落」ページはこちらから↓

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 櫛形山中腹の標高約800m~900mに立地する集落です。

かつては「鷹尾」と表記されており、これは、昔、日本武尊が酒折の宮から櫛形山を眺め、鷹が巣に座している姿に見えたことから「鷹座巣山」と呼ばれたという伝承によるもので、尾の北側にある集落を「北鷹尾」、つまり現在の「高尾」地区と呼ぶようになったと言い伝えられています。ちなみに南高尾は平林地区(現富士川町)です。



 集落の西端には式内社に推定される穂見神社が佇み、東南方向に傾斜し眺望が開ける位置に広がります。
 江戸時代を通しておおよそ20戸前後があったとされ、林業が盛んとなった昭和の戦後まもなくにかけては最も戸数が多く、30戸を超えていました。
 写真は昭和33年頃の様子です。静けさの中にも子供たちの声が聞こえてきそうな昔懐かしい「高尾」の風景です。

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高尾 穂見神社

高尾集落の北西端、標高870mの地点に穂見神社があります。
穂見神社は平安時代に編さんされた延喜式に掲載されている式内社と伝わる由緒ある神社で、その雰囲気は神々しく、高尾集落の象徴ともいえます。

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穂見神社本殿 附棟札二枚

県指定文化財(建造物)
昭和40年8月19日指定
桁行5.10メートル、梁間3.20メートル、棟高9.30メートル、建坪25,91平方メートルの三間社流造の建物です。
銅板葺で乱石積の基壇上に建ち、寛文五年(1665年)信州系大工によって建てられた豪壮なものといえます。

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牛捕淵(うしとりぶち)

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「牛捕淵」ページはこちらから↓

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高尾山林道の中腹、青野集落の下に位置します。
深澤川が高さ15mほどの滝のようになっており、滝つぼも深いことから、村人たちは山から鹿を追いやってこの滝つぼに落として捕獲したという伝説があります。
「うし」とあるのに「鹿」を捕ったということは「カモシカ」をとったいたのではないかという説もあります。
写真はその上部付近で、
淵付近は近年の大規模な崖崩れにより、埋まっており、往時よりも浅い雰囲気となっています。

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高尾道

甲府や竜王方面から、上今諏訪、西野などを経て高尾を結ぶ道。
現在でも高尾街道と呼ばれます。
写真の道標は高尾集落から遠く離れた上今諏訪の地にあり、高尾道の旧道沿いに今もひっそりと佇みます。
右あしくら 左たかお と記されています。

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上宮地道・平岡道

小笠原方面や、秋山・中野方面と高尾集落を結ぶ道で、上宮地区の田頭地区から山道が続いている。
この道沿いにもかつては家々が並んでおり、今ではその名残ともいえる石積みの跡や、庭先と見られる空間が残されている(写真)。

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富士見平(ふじみでえら)

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「富士見平ふじみでえら」ページはこちらから↓

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古道である高尾道から高尾山林道までを結ぶ作業道を下ると、林道上の崖上にたどり着く。見晴らしが良く、正面に富士山を望めることから、この場所を富士見平(ふじみでえら)と呼ぶ。
丁度、富士山の手前にみえる谷地形が逆さ富士のように見えることから
「高尾の逆さ富士」として一部に人気のスポットである
高尾古道再生プロジェクトでは、この付近の林道沿いに石標を設置しているのでこれを目安にしてください。石標横のはしごを上り、道なりに数十mの地点で、鋭角に古道が折れ曲がる角の地点です。眺望をお楽しみください。

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青野集落跡

高尾集落と市之瀬台地とを結ぶ古道、上宮地道・平岡道を下ると、その行程のおおよそ半分で急きょ視界の開ける広い空間が現れる。
ここはかつて青野集落という集落があった場所で、厳密には上宮地(かつての上宮地村)の一部といえる。
現在はその広大な土地を活かし、牧場として活用されている

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山の暮らし

高尾集落は、
穂見神社の神前に広がる集落であるとともに
山と共に生きた集落といえます。

高尾には、魅力ある山の暮らし 魅力ある伝統がありました。
かつては「西を向いて」暮らし、
戦後は「東を向いて」暮らしたと言われるように、
かつては山とともに生き、林業や、炭焼き、天然氷などの生業が行われていました。

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穂見神社神楽殿

市指定文化財
明治24年(1891)の建立で、桁行1間、梁間1間、四面入母屋造の建物で、入母屋(いりもや)の軒には唐破風をつけ、東西南北に四神(朱雀・玄武・白虎・青龍)が彫刻されています。春と秋の例大祭では太太神楽(市指定無形民俗文化財)が奉納されている。

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高尾の夜祭

穂見神社の秋の例大祭はかつては夜通し行われていたことから「夜祭」とか「夜参り」などと呼ばれてきました。
夜祭は五穀豊穣、養蚕成就、商売繁昌にご利益があるとされ、静岡、長野、新潟などの県外からも多く参詣者が訪れています。始まりは定かではありませんが、遅くとも江戸時代の天明8年(1788)までさかのぼる史料があります。また江戸時代の後期にはすでに県内外の各地からの参詣者で賑わっていたようですよ。

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虎御前の鏡立石(Kagami Tate Ishi,the mirror stand of Toragozen)

虎御前が化粧をするのに鏡を立てていたと伝えられる石。

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御北穂坂家住宅主屋(国登録文化財)

【国登録文化財】
高尾集落のうちもっとも穂見神社に近い二軒のうちのひとつで、江戸期の絵図に「名主」と記されている家である。
 当家は古くから穂見神社の鍵を保管し、御北(オキタ)と呼ばれ、高尾集落で御の字がついて呼ばれる家は当家とすぐ西に隣接する御西と呼ぶ家だけである。
(画像は県)

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夜叉神のたたり

御勅使川の上流に住む夜叉神という神さまは、体が大きく身軽で、日照りを続けたり、大雨を降らせて村人を困らせていました。ある夏、夜叉神さまは荒れ狂ったように大雨を降らせて、御勅使川の大洪水を引き起こし、甲府盆地全体を湖のようにしてしまいました。たいへん困った村人たちは峠に夜叉神の祠を建ててお祀りすると、その後は山の守り神になったということです。

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昔の山のくらし

古から現代まで、芦安のくらしは山とともにあった。芦安の主要な生業は昭和30年代頃まで林業で、男性は野呂川などの奥地に入り、泊まり込みで木材の伐採から搬出を行い、冬期には炭焼きなどを行ってきた。女性は日用品を男性に届け、帰りには約40kgもある炭俵などの生産物を里まで運搬した。里近くの山の斜面では明治期まで焼畑が行われていたが、現在では集落名「曽利」にのみその面影を留めている。村田銃を使った熊や鹿、カモシカなどの狩猟も盛んで、カモシカ猟のパートナーとして甲斐犬が活躍した。

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一つ目小僧

木こりの太郎助は、村の衆と山小屋に泊まり込んで山仕事をしていました。12月のお松節句の頃(13日)になると、仲間はいつものように正月準備のため村へ帰ることにします。しかし働き者の太郎助は、もっと稼ごうと1人残ることにしました。村の衆がいなくなった山の中はうって変わって静かになり、夕闇が深くなるにつれ、太郎助は心細くなりました。仕事もそこそこに山小屋に引き上げてきたところに「オーイ」と呼ぶ声。誰かと思い外に出てみると、そこに立っていたのは満月のような目が一つ、口は耳元まで裂けた一つ目小僧でした。恐ろしくて震え出した太郎助は、勇気を振り絞り、燃えさしを怪物の目玉めがけて投げつけます。すぐに鍵をかけ、布団にもぐり込んで、怖さに震えながら一夜を明かすと、朝、一目散に村へ逃げ帰りました。その後、あまりの怖さから太郎助は亡くなってしまいました。村の人々は欲張りの太郎助を一つ目小僧が懲らしめたのだと言ったそうです。

 太郎助を「欲張り」と決めつけるのはなんだかあわれな感じもします。「働き者」であった太郎助は、なぜ一つ目小僧のために死んでしまうことになったのでしょうか。それを解く鍵は誰もが知っている「一つ目小僧」にあります。
 関東周辺で一つ目小僧が現れる日は実は決まっていて、12月8日と2月8日前後に集中します。沓沢でも師走の他に2月3日節分の日にも一つ目小僧が現れると信じられ、今でもバリバリの木の枝に鰯の頭を刺したものを魔よけとして玄関に飾っています。この信仰は「コト八日」と呼ばれる民間信仰で、古くから日本各地で行われていました。各地でさまざまな言い伝えがあるため、ひとくくりにはできませんが、この日は神様が移動する日とも考えられ、それゆえ人は神の姿を見ないよう家にこもり、物忌みする地域も多いのです。
 12月13日に山仕事をせず、正月支度をする沓沢の風習は「コト八日」の慣習の一つであったのでしょう。太郎助が一つ目小僧と出会ってしまったのは、12月13日には山仕事をしないという古い約束事を破ったからなのです。一つ目小僧の昔話は山とともに生き、山の神を信仰してきた沓沢の人々の伝統を今に伝えています。
 ちなみに、この一つ目小僧、小正月に行われるどんど焼きにも関係しています。沓沢の言い伝えによれば、12月末に悪神がやってきて、病気になる人を帳面に付けます。その帳面を悪神は正月の間、道祖神に預けますが、村人を守る道祖神はそれをどんど焼きで燃やしてしまい、村人の1年間の健康を保証するのです。別の地域では一つ目小僧を悪神とする例が多く、沓沢でも「一つ目小僧=悪神」であったとも考えられます。

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高尾穂見神社太太神楽

氏子による神楽師によって、例祭(11月22日)夜に奉納され夜神楽として有名である。20数種の舞に応じて面・冠・衣装・採り物などがあり、面は24面が保管されている。横笛・鈴などの楽器を用いる。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社神楽会
指定年月日/昭和61年9月1日
備考/

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穂見神社銅製懸仏

径26.4センチメートル、厚0.3センチメートル、耳口間10センチメートルで2.0センチメートルの突起がある。表面に冠をつけ両手に笏を捧げて台上に座した神像の蹴彫りがあり、「甲斐国八田御牧北鷹尾 天福元年(1233年)云々」の銘がある。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/昭和40年5月13日

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高尾穂見神社の大スギ

社殿前の東に位置する境内一の巨樹で御神木とされてきた。目通り幹囲5.75メートル、根廻6.80メートル、樹高45メートル、枝張り東西25メートル南北20メートル。樹型は直幹、枝張り方錐形の美形である。


所在地/南アルプス市高尾485
所有者、管理者/穂見神社
指定年月日/平成5年11月25日

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芦安堰堤

御勅使川は、甲斐駒ヶ岳から南東に連なる南アルプス連山の唐松峠付近、標高(1600メートル)の地点に源を発し、甘利山(1672メートル)・千頭星山 (2139メートル)・大崖頭山(2186メートル)・高谷山(1842メートル・櫛形山(2052メートル)によって囲まれ、急峻な山間を北東に流れ、芦安を経て白根・八田に入り、流域に扇状地を形成して富士川に注ぐ流路延長(約18.5キロメートル)・流域面積(72.4平方キロメートル)の河川である。
流域内の地質は、上流部は主として御坂層で、その中に脆弱な火成岩地帯があり、所々に温泉作用を受けた薄い地層があって、この層を境にして地すべりを生ずるほか、本川沿岸に露出する部分は極度の風化崩壊の過程にある。
芦安堰堤は下流の土砂災害を防ぐため内務省直轄砂防事業として施行した砂防堰堤で、日本で初めてセメントを使用した堰堤であり昭和七年より山梨県が移管を受け管理している。
芦安堰堤は下流の土砂災害を防ぐため、内務省直轄砂防事業として施行した砂防堰堤で、日本で初めてセメントを利用した堰堤であり、国登録文化財となっている。

所在地/山梨県南アルプス市芦安芦倉字大曽利地内
所有者、管理者/山梨県
指定年月日/平成9年9月16日

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観応の擾乱(かんのうのじょうらん)の舞台 須沢城(すさわじょう)(ふるさとメール2007年9月14日号)

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古代寺院 善応寺と雨乞い伝承の地、大笹池(ふるさとメール2007年9月30日号)

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芦安の地に来た武将 名取将監(ふるさとメール2007年11月30日号)

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近代の治水技術 芦安堰堤と源堰提(ふるさとメール2008年10月31日号)

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一つ目小僧がやってくる ~芦安沓沢の昔ばなし~(ふるさとメール2008年12月15日号)

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甲斐源氏秋山光朝ゆかりの城跡を行く (ふるさとメール2009年9月15日号)

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高尾穂見神社の夜祭り (ふるさとメール2009年11月13日号)

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小正月に行われる伝統行事-どんど焼き- (ふるさとメール2010年1月15日号)

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御勅使川扇状地の物語 ~1.御勅使川と集落~ (ふるさとメール2010年6月15日号)

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修羅(しゅら)出しからトロッコへ(ふるさとメール2008年1月31日号)

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山中に泊まり込みで炭焼き(ふるさとメール2008年2月15日号)

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女たちの山仕事(ふるさとメール2008年2月29日号)

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山中に分校ができるほどの賑わい 芦安鉱山(ふるさとメール2008年3月14日号)

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日本で二番目に高い山「北岳」(ふるさとメール2008年4月30日号)

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唯一の市指定文化財名勝 懸腰山(ふるさとメール2013年6月14日号)

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鳳凰三山の信仰(ふるさとメール2013年7月12日号)

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野呂川話 ~長い長い水を求めた物語 第一幕 江戸時代~(ふるさとメール2013年8月15日号)

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野呂川話~長い長い水を求めた物語ー第二幕明治時代~(ふるさとメール2013年9月15日号)

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野呂川話~長い長い水を求めた物語ー第三幕大正・昭和時代~(ふるさとメール2013年10月16日号)

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野呂川話 ~長い長い水を求めた物語-第四幕 昭和20-40年代~(ふるさとメール2013年11月15日号)

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水を求めた扇状地の人々 ~雨乞いのパワースポット大笹池~ (ふるさとメール2010年11月15日号)

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平安時代の信仰(1) ―御勅使川扇状地の観音信仰―(ふるさとメール2014年4月14日号)

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御勅使川扇状地の物語 ~扇状地で培われた西郡魂~ (ふるさとメール2010年12月15日号)

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平安時代の信仰(4)―山懐の秘仏2―(ふるさとメール2014年7月15日号)

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新発見レポート ~水と木と石が紡ぐ物語~(ふるさとメール2015年3月16日号)

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南アルプス市を訪れた人々(3)ローウェンホルスト・ムルデル(ふるさとメール2016年11月15日 号)

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根方の魅力⑨~高尾穂見神社と村々の祈り(上)(ふるさとメール2011年11月15日号)

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根方の魅力⑩~高尾穂見神社と村々の祈り(下) (ふるさとメール2011年12月15日号)

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南アルプス市の小正月~道祖神場のお飾りとどんど焼きの風景~(ふるさとメール2017年1月16日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載「〇博(まるはく)」への道(1) 櫛形西小学校の取り組みから(ふるさとメール2017年2月15日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載「〇博(まるはく)」への道(2) 掘り起こし-育み-伝えるプロジェクト(ふるさとメール2017年3月15日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載「〇博(まるはく)」への道(3) 掘り起こすということ(ふるさとメール2017年4月14日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載「〇博(まるはく)」への道(4) まちをめぐり建て物も掘り起こす(ふるさとメール2017年5月15日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載「〇博(まるはく)」への道(5) 正しい価値を掘り起こし、育むサイクル(ふるさとメール2017年6月15日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載 「〇博(まるはく)」への道(6)歴史資源を共感する(ふるさとメール2017年7月14日号)

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「ふるさと〇〇(まるまる)博物館」スタートアップ連載「〇博(まるはく)」への道(7・最終回)歴史資源を正しく引き継ぎ、市民全員が語り部であるまちを目指して (ふるさとメール2017年8月15日号)

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高尾穂見神社の夜神楽~櫛形山の中腹で太々神楽のパイオニアがたすきをつなぐ~ (ふるさとメール2017年11月15日号)

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俳人「福田甲子雄」にみる南アルプス市の風土(一) (ふるさとメール2018年3月15日号)

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俳人「福田甲子雄」にみる南アルプス市の風土(二) (ふるさとメール2018年4月13日号)

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らいちょう

本州中部のアルプスなど標高およそ2,500メートル以上の高山帯に生息している。ライチョウははじめ北方に広く棲んでいたが、氷河期とともに南下し、再び地球が暖かくなったときには大陸から独立してしまったので高山に残されたものである。昭和30年に「国の特別天然記念物」に指定されている。
生活史は、まず4月につがい形成がおこなわれ、5月から繁殖期に入ります。やがて交尾が行われ、雄が見張りをする間に雌は巣作りと産卵を行い、7月上旬にふ化し、雛はすぐに歩いて餌をついばむようになる。雄は家族と離れて雄同士で群れをつくる。したがって雌のみが雛を育てることとなる。やがて、10月には雛は一人前に成長し、ここで家族は離散する。
南アルプス北部では北岳、間の岳、農鳥岳などいわゆる白根三山をはじめ、仙丈ヶ岳、駒ヶ岳、鳳凰三山などに分布している。

学名/ライチョウ(Lagopus mutus・ライチョウ科・Tetraonidae)
指定年月日/大正12年3月7日
写真撮影/森本聖治氏

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ニホンカモシカ (にほんかもしか)

国の特別天然記念物に指定されている。また、山梨県の動物でもある。
寒い冬岩の上でじっと長い間寒立ちをする雄々しい動物ということから指定された。体長約1メートル、体高約70センチメートルで、体は灰褐色、2本の短い角を持っている。主に昼間活動し、草食性でモミ、ツガの実を食べたり、スギやヒノキの葉を食べたりする。
山域に広く生息するが、南アルプスの仙丈ヶ岳や北岳の山麓などにかなり生息している。


学名/ニホンカモシカ(Capricornis crispus・ウシ科・Bobidae)
指定年月日/昭和9年5月1日
写真撮影/広瀬和弘氏

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甲斐犬(かいけん)

甲斐犬は大正の末期頃、虎毛の日本犬として発見された。甲斐犬の特徴として体高は32センチメートルから51センチメートル、体重は12キログラムから24キログラム、耳はやや長く、四肢は強健で飛節が発達し、尾は差尾又は巻尾、毛は虎模様で粗剛。血統が山野にクマ、イノシシ、シカなどを追う山犬だけに、猟にかけては特に優れており、また警察犬や番犬としても物覚えのよさ、主人への服従の点からも優れていると云われている。
甲斐犬の原産地は山梨県南アルプス市、早川町、上九一色村、牧丘町、甲府市宮元などの山間僻地にのみ限られているが、中でも南アルプス市のものが最も勝れていると云われている。
昭和9年1月22日、甲斐犬の優れている性質を認めて、「生きた天然記念物」に指定され、その繁殖と保護に力をいれている。


名称/ 甲斐犬
指定年月日/昭和9年1月22日
備考/「生きた天然記念物」
写真撮影/三井孝司氏

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伝曽我十郎木像・伝虎御前木像

以前は伊豆神社のご神体であったが、荒廃したので大正十年諏訪神社に遷祀された。これまで、曽我兄弟木造とされてきたが、平成十二年に行った鑑定結果と、合併前の芦安村文化財審議会及び諏訪神社の氏子により、この木造が曽我十郎と虎御前であるとの見解が出され、名称変更されることとなった。
曽我十郎と恋人同士であった芦安出身の虎御前を祀った木像であると思われる。


所在地/南アルプス市芦安芦倉960-11142
所有者、管理者/諏訪神社
指定年月日/昭和59年11月26日
備考/

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光明寺(komyoji)

曹洞宗の寺院。江戸城の修理木材を野呂川流域から伐り出すことを請け負い、その途中に命を落としたと伝えられる木曽大瀧村の庄屋、中村儀助の墓が境内にある。

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伊豆神社跡(The site of Izu shrine)

曽我兄弟と同族であった伊東氏が伊豆権現を勧請し、ほかに曽我十郎、虎御前が祀られたことから、三社神社とも呼ばれていた。大正時代に社殿が倒壊したため、現在ご神体は諏訪神社に合祀されている。

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中野城

中野城は、鎌倉幕府成立期にあって、平重盛の娘を娶り重盛に仕え、平家と深い関係があったことなどから源頼朝に排斥された甲斐源氏の一流、秋山太郎光朝が鎌倉勢に追い詰められ、ついにはここで自害したとの伝承が残る古代の城址です。

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雨鳴城

 甲西地区の西端にそびえる雨鳴山。この尾根上に今から800年ほど前に活躍した甲斐源氏、秋山光朝ゆかりの山城「雨鳴城」はあります。
 秋山光朝は、若草地区加賀美に居を構えた加賀美遠光の長男で、同じく遠光の子、小笠原長清の兄にあたります。光朝自身は現在の甲西地区秋山を拠点とし、現在の秋山熊野神社がその館跡だったといわれています。雨鳴城はその館の西側にせまる雨鳴山の尾根上にあり、さらに奥の城山山頂にある「中野城」とともに、有事の際に立て篭もるための城だったといわれています。
 実際に、鎌倉幕府ができる過程で、初代将軍となる源頼朝は甲斐源氏の強大な勢力を警戒し、自らの基盤を固めるため、甲斐源氏の有力武将を次々と失脚させますが、光朝もまた平家との関係が深かったことなどを理由に、鎌倉方に攻められ、雨鳴城もしくはその後背に構えた中野城に追い詰められて自害したと伝えられます。

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沓沢道祖神

沓沢集落の入口に祀られています。古くは陸神(どうろくじん)とも呼ばれました。祠の中には丸石がいくつも置かれ、無病息災を祈願するためヌルデの木を削って作ったオホンダレサマも見ることができます。

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大曽利道祖神

丸石の道祖神が、大曽利の東地区に祀られています。この場所は大正時代ごろまで大曽利への東の玄関口でもありました。

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不動明王石祠

小曽利公会堂裏に不動明王を祀った石祠があります。かつて寺の沢にありましたが、昭和34年の台風で流されてしまったため、昭和36年6月6日、新たに建てられました。

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沓沢山の神 大栂

山への入口に立つ栂の巨木で市指定天然記念物。かつては千年栂とも呼ばれました。根元には山の神を祀る4基の石祠が安置されています。戦国時代名取将監がこの山の神に狩りの成功を祈った伝承も残されています。

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小曽利道祖神

小曽利の道祖神は、集落の道辻に建てられています。

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六地蔵

死後人間は生前の行いによって、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人間、天上の合計6つの世界を輪廻転生すると考えられていました。お地蔵様は6つの世界どこでも現れて、救ってくれるとの伝承から、六地蔵の石塔が建てられたのです。

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善応寺宝篋印塔(ほうきょういんとう)

総高1.2メートルの安山岩製で、観音堂の西に接して建てられています。年代は、鎌倉末期のものと推定されます。
塔の各部は別々の石からなり、基礎の上部に径15センチメートル、深さ8センチメートルの円筒形の穴を掘って、経典あるいは舎利奉納の場所が作ってあります。
その形状、形態といい実によく時代の特徴を表わし、風格を持った遺構です。


所在地/南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/善応寺
指定年月日/昭和53年3月15日

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大日如来像

銅製の厨子の四隅には風鈴がついていて、その鈴の音は登山者の安全を守ってくれる尊い守り神である。かつては北岳山頂に石の祠がありそこに安置されていたという。
明治中頃までの登山者は拝していたようだが、その後、心無い人によって持ち去られ、人の手を渡り歩いていた。しかしこの大日如来を手にした人はよいことが起こらず、病人が絶えなかったので、諏訪神社に奉祀したものである。

所在地/
所有者、管理者/大曽利諏訪神社
指定年月日/
備考/
高さ…65センチメートル
幅…10センチメートル
座高…9.5センチメートル
材質…銅製

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懸腰山

懸腰山は文永11年(1274年)日蓮上人が甲斐国内を巡しゃくされこの地を通りかかった折に松に袈裟を懸け、腰を下ろして休まれた霊場として懸腰山と命名したという。眼下に広がる甲府盆地の眺望が素晴らしい。


所在地/南アルプス市湯沢1345
所有者、管理者/本清寺
指定年月日/昭和49年1月29日
備考/

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須沢城跡

御勅使川扇状地を見渡せる高台にある山城の跡。城跡らしいものは残っていないが、城の本丸に当たるところに室町初期のものとみられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔が数基建てられている。
城主は、当時西郡地方を支配していたと思われる逸見(へんみ)孫六(まごろく)入道(にゅうどう)と言われている。
正平5年(1350年)12月鎌倉で失脚した高師冬(こうのもろふゆ)がこの城を頼って落ちのび、翌年正月、上杉能憲及び諏訪の祝部(ほうりべ)の連合軍に攻められ落城した。(桜雲記による)


所在地/南アルプス市大嵐
所有者、管理者/西区
指定年月日/昭和55年9月24日

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白山神社

白根町築山に鎮座する神社で、旧社格は村社、祭神は菊理媛神。境内地は150坪と規模は小さいが、一通りの施設が備わっている。
本殿は1間社流造りで、床下に浜床(はまゆか)階段上に母屋床(もやゆか)が張ってある。拝殿は寄棟造り(よせむねづくり)で囲いの壁がなく、吹き抜けになっている。随身門は入母屋造り、鳥居は柱頭に台輪がある稲荷鳥居で、額束(がくづか)に権現社と名記され、元禄11年寅4月1日の年号がある。神燈は鳥居の前にあり、元禄11年寅4月1日の年号がある。境内社として2基の祠があり、1基に寛政5丑巳12月吉日の銘がある。

所在地/南アルプス市築山33
所有者、管理者/白山神社
指定年月日/平成15年2月14日

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沓沢 山の神 大栂

沓沢の山の神の大栂はいつから生育したのかわからないが、かつては千年栂とも呼ばれていた。この大栂の根本に昔から祀られている山の神が四祀ある。この山の神の大栂は、昭和59年に村の天然記念物に指定された。
岩盤の上ともいえる痩せた尾根に、何百年も生育して今でも樹勢が衰えず繁茂している姿には、崇敬の念が感じられる。


所在地/南アルプス市芦安芦倉1290-1
所有者、管理者/南アルプス市
指定年月日/昭和59年11月26日
備考/
樹高…27.68メートル、目通り…3.8メートル、根周り…5メートル、枝張り…東西20メートル、南北24メートル、根の露出部分…東西20メートル、南北24メートル

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秋山の多羅葉樹

根回り2.6メートル、樹高14メートルで時の光昌寺住職がシャム国(タイ)よりこの地に持ち帰ったと言われている。現在秋山富士夫氏の庭園に自生しており雌樹で赤い実をつける。


所在地/南アルプス市秋山596
所有者、管理者/個人
指定年月日/昭和42年10月1日

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大嵐のビャクシン

臨済宗善応寺の御神木として植栽されたと言われており、樹齢は少なくても500年に達していると思われる。ビャクシンはヒノキ科に入り本県では峡西地方に多く分布している。規模は、根回り幹囲5.8メートル、目通り幹囲3.48メートル、樹高17メートル。翼長は、北へ4.8メートル、南へ5メートル、東へ6メートル、西へ3.5メートル。地上2.5メートルで二つに分岐している。

所在地/ 南アルプス市大嵐123
所有者、管理者/ 善応寺
指定年月日/ 昭和43年2月8日

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ミヤマシロチョウ

シロチョウ科。白色半透明で、外縁と翅脈にそって黒褐色で裏面は黄色を帯びている。幼虫はメギなどを食べる。本州中部の山岳地帯に分布するが数は少ない。櫛形山の1,000メートルから2,000メートルに生息する。


生息地/櫛形山一帯
指定年月日/昭和52年3月31日

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妙定寺

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ふれあい館前駐車場

駐車場のある御勅使川右岸の地域は、江戸時代安通(あんづい)村と呼ばれていました。御勅使川が氾濫しても、隣接した村との通行ができたことから「安通村」と呼ばれたと考えられています。明治8年1月、隣の芦倉村と合併して、両村の一字をとって、芦安村が誕生しました。

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大宝寺 名取将監の墓

寺記によれば、奈良時代に華厳宗の寺院として開山されましたがその後荒廃し、16世紀の初めに悦堂和尚が曹洞宗寺院として再興しました。境内には武田信虎に仕えたと伝えられる武将、名取将監の墓があります。

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市内に広がる曾我物語の世界

 加賀美遠光や小笠原長清などの南アルプス市の甲斐源氏が活躍していた時代に、曽我兄弟の仇討ち事件が富士山麓で起こります。この仇討ちをまとめた「曽我物語」の中には、南アルプス市と深いかかわりのある人物が重要な脇役として登場します。芦安地区の「虎御前」と野牛島地区の「御所五郎丸」。地元に伝えられる歴史上の人物は、歌舞伎の演目でも有名な『曾我物語』の主要キャストです。
 『曾我物語』とは曾我兄弟が父親の仇を討つ物語です。皆さんご存知の赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つに挙げられます。仇討ちは『吾妻鏡』にも記録されていますが、物語の成立時期ははっきりしていません。鎌倉時代の終わり頃に物語としてまとめられ、時代とともに様々なエピソードが加えられながら、江戸時代に現在の形に落ち着いていったようです。(写真は、祐経を討ち取る曽我兄弟 歌川広重「曽我物語図絵」)

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