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2.縄文ロマンと古墳群

眺望の大遺跡群市之瀬台地を歩く
アヤメが丘団地(六科丘遺跡)

丘を削平して新たに誕生した住宅街で、昭和58年、開発に伴い発掘調査がおこなわれました。今から約1700年前の弥生時代終末~古墳出現期のムラの跡です。二つの河川に挟まれた舌状台地は先端で丘状に高まり、その丘の南西面に竪穴住居が建てられており、同じ舌状台地上でも長田口遺跡と向き合う位置関係となります。約25,000㎡を対象とした発掘調査ではほぼムラの全貌が調査され、33軒の竪穴住居が発見されました。

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六科丘古墳

市之瀬(イチノセ)台地の先端部、標高435mに造られた古墳で、調査の後に古墳公園として保存整備されています。
古墳は、造出しのついた径24mの円墳で、その周りを幅約2mの礫帯が巡っています。旧地表面を整地した後に土を盛って築き、表面に葺石を施したとみられます。埴輪は確認されませんでした。

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長田口遺跡(ほたるみ館)

漆川と深沢川とに挟まれた舌状台地上、標高約440mに立地し、平岡集落の南の端にあたります。
これまで、広域農道建設、ほたるみ館建設、多目的広場駐車場建設の3地点(計約12,600㎡)で発掘調査を実施しています。ほたるみ館建設に伴う発掘調査は平成10年に行われました。

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長田口遺跡(西地区多目的広場・広域農道)

漆川と深沢川とに挟まれた舌状台地上、標高約440mに立地しています。
これまで、広域農道建設、ほたるみ館建設、多目的広場駐車場建設の3地点(計約12,600㎡)で発掘調査を実施し、縄文時代中期の竪穴住居跡9軒以上、弥生時代~古墳時代の竪穴住居跡80軒以上が調査されており、この2時期を中心とした複合遺跡といえます。

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棚田の景観(ほたるみ橋公園)

漆川によって解析された谷地形を利用し、棚田が作られています。市之瀬台地上ではここ上市之瀬や平岡の棚田以外にも中野の棚田も良くその姿を伝えています。
上市之瀬、平岡の棚田は石積みが特徴で人気がありますが、これにも理由があり、かつて市之瀬川の土石流によって何度も砂礫が堆積した地だったことをあらわしているのです。困難を乗り越えた姿が石積みに現れていると思うとまた印象が変わりますよね。
また、新居田B遺跡のページもご参照いただきたいのですが、棚田のすぐ崖上に当たる遺跡からは、弥生時代のはじめの土器に籾の痕跡が残っている例があり、2000年を通して米作りに挑んできた歴史の厚みを感じることも出来ます。

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妙了寺

高峯山妙了寺もまた山梨を代表する寺院の一つです。日蓮宗の触頭(ふれがしら)を勤め、山梨県内では身延山久遠寺に次ぐ位置付けといえ、又の名を「うらみのぶ」とも呼ばれています。昭和24年の火災により伽藍(がらん)の多くが焼けてしまいましたが、かつては塔頭(たっちゅう)も六坊あるなど広大な境内を有し、25カ寺の末寺がありました。
妙了寺はもともと中野地区にあった妙竜寺という真言宗の寺院でしたが、鎌倉時代に日了によって新たに日蓮宗として再興されたものです。その日了の母・日仏は中野地区の出身ですが日蓮宗の開祖日蓮の直弟子です。

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椿城跡(上野城跡)

上野の地に小笠原長清の孫盛長によって築かれた城で上野城といい、周りに椿の花が多かったことから別名椿城とも呼ばれています。
 鎌倉時代のもので、細長い台地の上に堀や土塁で各スペースが区切られていたもので、石垣や天守閣があるようなものとは違います。堀や土塁の位置はレーダー探査によっておおよその位置が把握されています(写真)。
 周辺には地下式坑といって地下室が転々と造られており、時々陥没することから椿城には秘密の抜け穴があると伝えられてきました。市指定史跡。

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椿城跡(本重寺)

朱色に光る屋根が特徴の本重寺。もともとは本覚寺といい、鎌倉時代、秋山光朝の子とされる光定によって建てられた日蓮宗のお寺です。
 光定が日興上人から譲り受けた板本尊(いたほんぞん)は市の文化財に指定されています。武田晴信の母大井夫人の父親でもある大井信達(のぶさと)の法名が「本秀院」とあることから、寺院名を変える際に本重寺としたと伝わります。

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椿城跡(五輪塔群)

小笠原長清の孫盛長が城を構えたといわれ、上野盛長と称するようになります。上野家は3代で途絶え、その後は養子を取った秋山家へと移ります。道の北側には代々秋山家が守る五輪等群があります。

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上ノ東古墳

椿城跡から物見塚古墳へと続く道の途中にひっそりと佇む古墳。市之瀬台地は山から離れるほどに徐々に下ってゆきますが、台地の先端付近で再び盛り上がって一気に下ってゆきます。その盛り上がった頂上にこの古墳は築かれます。台地上に存在することから5世紀台とみられますが詳細は不明です。

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物見塚古墳

 甲府盆地を一望する市之瀬台地の先端部、標高375mの地点に造られた全長48mほどの前方後円墳で、前方部がやや短く、葺石が施されていました。このちいきで現存する前方後円墳は唯一です。
 周溝・埴輪は確認されず、内部主体は粘土槨とみられます。調査では鉄剣3口、直刀1振、玉類、土師器片などが出土しました。過去に捩文鏡1面、玉類の出土が伝えられています。

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塚原上村古墳

 今から約1400年前の古墳で、墳丘はほぼ削平され、横穴式石室の周囲で東西4.5m、南北8.9m、高さ2.3mのみが遺されています。
 円墳とみられ、石室は露出しており、古くから「大西のおかま」と呼ばれていました。(「大西」というのは現在古墳の真正面にある個人宅の屋号です)
 現存する石室規模は玄室の長軸が4.5m、幅は奥壁で1.58m、開口部で1.55mを測り、羨道部はほとんど遺されていません。遺物も過去に乱掘を受けており不明です。

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鋳物師屋遺跡

 市之瀬台地の縁に近い扇状地にある縄文時代中期中葉(約5000年前)のムラの跡で、直径130メートルの範囲に32軒の竪穴建物跡(隣接する〆木遺跡を含む)が発見されました。
 住居は真中に広場をもってドーナツ状に分布して建てられていきました。
 膨大な量の土器が発見され、日用品から祈り事用とみられるものまであり、205点の出土品が国の重要文化財に指定されています。
なかでも、「円錐形土偶」、「人体文様付有孔鍔付土器」は、当時の精神文化を知る貴重な資料であり、世界中の博物館で紹介されました。

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鋳物師屋遺跡のサル形土製品

鋳物師屋遺跡出土の縄文時代中期(およそ今から5000年ほど前)のサルの顔をした土製品で、国の重要文化財に指定されています。
全国の遺跡(主に本州)から縄文時代のサルの骨などは出土しており、その存在は証明されていますが、サルを模した土製品はそれほど多くはありません。
 また、サルの土製品とされているものでも、サル似の人?のようなものが多く、ここまでリアルにサルを表現しているものは全国でも大変珍しいです。
ほほの下の鳴き袋まで表現されているのです。
右耳は欠損しており、後で復元修復しています。

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伝嗣院大日如来坐像

「おでいにっちゃん」との愛称で親しまれている石造仏で宝永年間を示す銘が刻まれている。また、この石造仏が鎮座する高まりは古墳とみられています。

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伝嗣院

中世からの由緒を誇り、サクラの美しさでも有名な古刹。台地の上から人々の暮らしを見守り続けてきました。
下宮地にある神部神社の 山宮にあたる場所でこのことから上宮地の地名となったようです。

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ほたるみ館

アヤメの里活性化施設「ほたるみ館」は農業の活性化や地産地消の拠点施設として平成11年に誕生しました。
もともと地域の農家の方々が集まり、地産地消やさくらんぼジャムなどの加工品をまちの特産品にしようとあやめの里特産品加工組合を設立したころから継続した活動を続けています。現在は南アルプス特産品企業組合となりほたるみ館の運営を始め、特産品の普及、地域農業活性化の中心として活躍しています。
ほたるみ館の毎週土曜日朝8時にはじまる「朝市」は人気で、県外からも地の野菜やジャム、よもぎ饅頭などを求めに大勢のお客様が集まります。

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ほたるみ橋公園

漆川によって解析された谷地形を利用し、棚田が作られています。石積みが特徴で、市之瀬台地上ではここの他にも中野区の棚田も良くその姿を伝えています。ほたるみ橋の下には近年ほたるが復活したようですが、これら環境整備も含めて整備されたほたるみ橋公園は全米ランドスケープアーキテクト協会により、2002年全米優秀賞を受賞している。

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上市之瀬のイトザクラ

市之瀬台地の最上部、山地との境付近にあり市之瀬台地全体を見渡すことのできる場所に根を張るイトザクラです。
一名シダレザクラともいいます。
根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く優美です。

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中野のカキ

市之瀬台地の最上段、中野の個人宅の庭にあつカキの木 
 根元の周囲5.3メートル、目通り幹囲3.5メートル。幹は空洞となり南西部を欠くが復元すれば、4メートル以上の巨木となる。この地方で「エブク」という在来種で、昔の栽培種を知る好資料です。

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市之瀬川の石堤

市之瀬川に沿って、県道伊奈ケ湖公園線を伊奈ケ湖に向かって上っていくと、上市之瀬の集落を抜けた左手に「県営砂防事業発祥之地」という石碑が現れ、川の対岸には歴史の厚みを感じさせる苔むした石積みを見ることができます。

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宝珠寺

山寺区にある名刹。
境内に入るとまず目を引くのは県指定文化財のマツ。古木ですので現在は支柱などの様々な保護措置を施していますが枝を広げた姿は優美そのものです。
また、奥左手のお堂にある国重要文化財「木造大日如来及四波羅蜜菩薩坐像」は普段は非公開ですが、平安時代終わりごろの作で、甲斐源氏加賀美遠光ゆかりのものと考えられています。
また、毘沙門天立像はその子、当地周辺を本拠としていた武将小笠原長清により作られたものと考えられています。
 長清は源頼朝の命により奈良東大寺の毘沙門天(多聞天)を作らせており、本拠である小笠原の地と縁を結んだものが当寺毘沙門天立像だろうと考えられています。制作年代も鎌倉期初頭と合致しています。

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新居田A遺跡

ほたるみ館(長田口遺跡)とあやめが丘(六科丘遺跡)とを結ぶこの道路周辺は新居田A遺跡と呼ばれ、平成12年の道路拡幅工事の際には発掘調査が実施されています。
道路西端では長田口遺跡の集落と同じ集落とみられる縄文時代中期前半の竪穴建物跡と、弥生時代終わりから古墳時代の竪穴建物跡が発見されました。また、畑の畝とみられる遺構も発見されました。
六科丘遺跡に程近い、調査区中央付近では縄文時代中期の住居跡がポツンと一軒だけ離れて確認されました。
どういった性格の建物なのかは今後の調査で判明できることでしょう。

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新居田B遺跡

 漆川のすぐ上、崖線にそってある遺跡で、平成13年に農道の建設工事に伴って発掘調査が行われ、縄文時代中期から古墳時代初頭の住居跡が発見されています。
 この一帯でも、特に漆川を望む崖線際に縄文時代晩期の営みの跡が発見されます。 
 

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中畑遺跡

 櫛形西地区多目的広場の建設に伴って平成14年に発掘調査が行われました。
 縄文時代前期前半(約6,000年前)という市内で最も古い住居址群が発見されています。その他、縄文時代中期から後期、晩期、弥生時代中期から古墳時代初頭までの集落など、連綿と人々の暮らしが営まれていたことがわかりました。

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上の山遺跡

上野の椿城跡地内に広がる遺跡で、旧石器、縄文、弥生、と連綿と人々が暮らした様子が伺えます。
上の山遺跡の発掘調査が行われたのは昭和59年で、椿城跡の大井一族五輪塔群のあたりから北東へ伸びる農道建設に伴うものでした。住居跡の他には古墳出現期の方形周溝墓とにられる溝跡も見つかっています。

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古屋敷遺跡

市之瀬台地の上、中野にある遺跡で、縄文時代中期後半の集落跡が発見されています。写真は平成5年に建設された広域農道の範囲で住居跡が2軒発見されました。また、近年ではクラインガルテン(滞在型農園)の建設に関しても行われ、クラインガルテンの敷地内に保存されています。

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鋳物師屋古墳

市道建設すの際に発掘調査が行われた古墳で、古墳の東側半分が道路部分にで調査され、西側半分はまだ畑の中に埋まっているようです。
 昭和29年に削られたため 古墳の高まりはありませんでしたが、石で作られた横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の基礎の部分や、 古墳の周溝が発見されました。周溝の形から方墳(ほうふん)といった四角い形をした古墳ということが判明しました。およそ6世紀後半のものです。ちょうど遺跡情報発信オブジェの真下に古墳があったのです。

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曽根遺跡

市之瀬台地の裾、傾斜地から扇状地にかけて広がる遺跡で、旧石器から縄文時代の全ての時期、さらに弥生時代、古墳時代にいたるまでの資料が出土する遺跡です。
中心となるのは主に二つの時期で、縄文時代中期後半の環状に広がるとみられる集落と、弥生時代から古墳出現期にかけての集落です。
縄文時代中期の集落には平面形六角形で五本柱の住居跡が特徴的で山梨県内でもまだ数例しか見つかっていない発見例となりました。

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北原C遺跡

市之瀬台地の北側縁辺部の下、扇状地に立地する約4,500年前の縄文時代中期のムラ跡です。
直径100mを越す大規模な環状集落になるとみられ、その一部が道路建設により発掘調査が実施されました。
その結果18軒の竪穴建物跡などが発見されました。

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高尾集落

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「高尾集落」ページはこちらから↓
http://103.route11.jp/?ms=2&mc=55&mi=420

 櫛形山中腹の標高約800m~900mに立地する集落です。

かつては「鷹尾」と表記されており、これは、昔、日本武尊が酒折の宮から櫛形山を眺め、鷹が巣に座している姿に見えたことから「鷹座巣山」と呼ばれたという伝承によるもので、尾の北側にある集落を「北鷹尾」、つまり現在の「高尾」地区と呼ぶようになったと言い伝えられています。ちなみに南高尾は平林地区(現富士川町)です。



 集落の西端には式内社に推定される穂見神社が佇み、東南方向に傾斜し眺望が開ける位置に広がります。
 江戸時代を通しておおよそ20戸前後があったとされ、林業が盛んとなった昭和の戦後まもなくにかけては最も戸数が多く、30戸を超えていました。
 写真は昭和33年頃の様子です。静けさの中にも子供たちの声が聞こえてきそうな昔懐かしい「高尾」の風景です。

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高尾 穂見神社

高尾集落の北西端、標高870mの地点に穂見神社があります。
穂見神社は平安時代に編さんされた延喜式に掲載されている式内社と伝わる由緒ある神社で、その雰囲気は神々しく、高尾集落の象徴ともいえます。

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穂見神社本殿 附棟札二枚

県指定文化財(建造物)
昭和40年8月19日指定
桁行5.10メートル、梁間3.20メートル、棟高9.30メートル、建坪25,91平方メートルの三間社流造の建物です。
銅板葺で乱石積の基壇上に建ち、寛文五年(1665年)信州系大工によって建てられた豪壮なものといえます。

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牛捕淵(うしとりぶち)

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「牛捕淵」ページはこちらから↓
http://103.route11.jp/?ms=2&mc=55&mi=429

高尾山林道の中腹、青野集落の下に位置します。
深澤川が高さ15mほどの滝のようになっており、滝つぼも深いことから、村人たちは山から鹿を追いやってこの滝つぼに落として捕獲したという伝説があります。
「うし」とあるのに「鹿」を捕ったということは「カモシカ」をとったいたのではないかという説もあります。
写真はその上部付近で、
淵付近は近年の大規模な崖崩れにより、埋まっており、往時よりも浅い雰囲気となっています。

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高尾道

甲府や竜王方面から、上今諏訪、西野などを経て高尾を結ぶ道。
現在でも高尾街道と呼ばれます。
写真の道標は高尾集落から遠く離れた上今諏訪の地にあり、高尾道の旧道沿いに今もひっそりと佇みます。
右あしくら 左たかお と記されています。

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上宮地道・平岡道

小笠原方面や、秋山・中野方面と高尾集落を結ぶ道で、上宮地区の田頭地区から山道が続いている。
この道沿いにもかつては家々が並んでおり、今ではその名残ともいえる石積みの跡や、庭先と見られる空間が残されている(写真)。

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富士見平(ふじみでえら)

新コース「8神々が宿る高尾の世界」の「富士見平ふじみでえら」ページはこちらから↓
http://103.route11.jp/?ms=2&mc=55&mi=432


古道である高尾道から高尾山林道までを結ぶ作業道を下ると、林道上の崖上にたどり着く。見晴らしが良く、正面に富士山を望めることから、この場所を富士見平(ふじみでえら)と呼ぶ。
丁度、富士山の手前にみえる谷地形が逆さ富士のように見えることから
「高尾の逆さ富士」として一部に人気のスポットである
高尾古道再生プロジェクトでは、この付近の林道沿いに石標を設置しているのでこれを目安にしてください。石標横のはしごを上り、道なりに数十mの地点で、鋭角に古道が折れ曲がる角の地点です。眺望をお楽しみください。

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御崎古墳・御崎神社

市之瀬台地の先端にある御崎神社。
正面には富士を、眼下には甲府盆地を見渡せる絶景の地に佇む神社です。

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平岡の柚子

山梨で柚子というと、現在は富士川町の柚子が有名ですが、
かつては、南アルプス市(旧櫛形町)の平岡の柚子が有名だったのです。
甲州盆唄にはこんな歌詞があります

「なんたる江戸の絵描きでも 平岡のゆずのきゃ 絵には描けめぇ」

「ゆずのきゃ」については「木や」もしくは「香」と解釈されていて、柚子の香りに包まれた様子が伺えますね。

今では柚子畑はほとんど見られなくなりましたが、それでも平岡のむらなかを歩くの多くの柚子の木に出会うことができますよ。

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