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11.原方

暮らし・産業・文化

沢登の齊藤ラジオ店

 多くの人や車が往来する富士川街道沿いで、地域の誰もが見知る街の電気屋さんである「(株)齊藤テレビ」の、昭和20年代末から30年代末までの変遷とアルバム写真データを大まかな年順に整理しました。

○博アーカイブはこちら
 斉藤家のアルバム中で、もっとも古いと考えられる昭和20年代末の店舗画像をよく見ると、看板にはテレビの文字はなく、「斉藤ラジオ店」とあります。
 国産第一号のテレビは昭和28年の発売で、たいへん高価だったので一般家庭に普及せず、昭和34頃までは、街頭に設置されたテレビを見る時代でした。ですから、斉藤家でも、ラジオが看板商品だったようです。
 さらによく見ると、右奥には斉藤商店が併設しており、たばこも販売していたようです。その他、この写真に見えるいくつかの小看板から読み取ることのできた商品名を羅列すると、「日立真空管・ヒタチランプ・ラジオTEN真空管・岡田乾電池・ナショナルアイロン・NEC真空管」などで、当時の電気屋さんの売れ筋商品がわかります。
 昭和30年代に入ると、一般家庭向けのテレビや冷蔵庫、洗濯機などが次々と発売されはじめるので、それらを配達するための大型の商用車が必要となったのだと思われます。また、幌をかぶせた荷台の側面にはラジオではなく「斉藤テレビ」の文字がペイントされています。
 こちらは昭和31年か32年の斉藤テレビ商会の画像です。
 この画像では、前輪カバーに斉藤テレビの銘が入った、商用バイクにも目を奪われますが、店前のいたるところに掲げられたちいさなホーロー看板の文字も、よく見ると情報がいろいろともらえます。特に、吊り下げられた正方形のたばこ看板の下あたりに見える、「郡是製糸飯野工場指定店」の文字には、近隣の倉庫町で栄えていた蚕糸業の痕跡を見ることができます。
 昭和32年の斉藤テレビラジオ商会の画像では、大きな「ナショナルテレビ」の縦型看板が目立ちます。右奥には、「サンヨーテレビ・ラジオ」の縦看板もあります。さらに、斉藤家では、ひきつつづきに日用雑貨店も併設していたようで、塩・たばこ・テンヨ武田(醤油)の文字も見えます。
昭和30年代半ばに、斉藤家では店舗を改装し、東芝の家庭電気器具を売る特約店になったことが分かります。この画像では、富士川街道はまだ舗装されていません。
昭和38年の写真を見ると、店前の道がアスファルト舗装されており、商用車の車種も変わっていルことが分かります。また、相変わらずたばこと塩も売っているようですが、店内の左寄り入り口近くには、電気炊飯器や電気ポットのようなものが棚に見え、冷蔵庫、テレビ、洗濯機の三種の神器以外にも、一般家庭に家電の種類がどんどん増えていく時分だったのだと理解できます。
 一般的に昭和30年代は各家庭にマイカーとともに、電化製品がいきわたっていく時代だったといわれています。のちの平成天皇ご成婚時のパレードを見るために、昭和34年には一般家庭のテレビ購入率が一気に上がりました。昭和30年代後半になると、二槽式で脱水槽のある洗濯機が爆発的に売れ、台所の氷冷蔵庫は製氷機付きの電気冷蔵庫に交代していきました。戦後の高度成長とともに急激に変化した社会生活に対応して、昭和の人々は新しい電化製品を家庭に導入し、その家電生活をもっと楽しむために一生懸命働いたのだと思います。

 これらのことから、ふるさとの街の電気屋さんの昭和30年代の店先の変化は、昭和時代の人々の生活の変化を端的に表しているといえます。

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