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11.原方

暮らし・産業・文化

小笠原の村田屋本舗

 毎年、安藤家住宅のひなまつりで雛人形を展示するたびに、人形が収納されている箱の底に、人形を包んだり、緩衝材としてくしゃくしゃに詰め込まれている包装紙が気になり、ちゃんと広げて記録を取ったところ、その中に、現在も櫛形地区小笠原で営業している和菓子屋さんの、菓子袋と包み紙がありました。

○博アーカイブはこちら
 現在の南アルプス市域では、江戸時代より、南北に縦断する駿信往還(旧国道52号線沿い)の往来者の需要があったことから、和菓子屋の多い地域として知られています。

←櫛形地区小笠原の村田屋本舗の昭和時代の菓子袋
 文化財課に蓄積されたこれまでの菓子業に関する調査資料をあたってみると、村田屋本舗は、明治の初めころから、「村田屋」という屋号で駿信往還沿いで菓子業を営んできたお店であることが分かりました。

←昭和6年大日本職業別明細より。小笠原の駿信往還沿いにある村田屋本舗さんの場所は現在も変わっていない。
 また、同じ箱には、他に、甲府の「芙蓉軒」と「中込呉服店」の2店舗の包装紙が入っていました。

←「芙蓉軒」甲府市常盤町 の包装紙
 甲府の大店であった「中込呉服店」は、昭和20年で甲府空襲で焼失した後、昭和23年から「中込百貨店」として甲府市丸の内で三階建ての店舗で営業していました。昭和48年からは「アーバン中込」という名称でリニューアルしています。現在は営業しておらず、山梨県防災新館の建物が立っています。
 これらのことから、同じ箱に入っていた小笠原の村田屋本舗さんの包装紙が昭和23年から48年までの間に人形を包んだ可能性が出てきました。

←3階建ての「中込百貨店」甲府市橘町(現:丸の内1丁目)この包装紙は、昭和23年から昭和48年の間に使われたもの

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