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11.原方

暮らし・産業・文化

「繊維のダイヤモンド」と称される山繭

現在も生産量が少なく、最高級織物の原料として「繊維のダイヤモンド」と称されている山繭。山繭とは、ヤママユガのつくった鮮やかな緑色の繭のことで、緑色の美しい糸をとることができます。ヤママユガは、人為的に生み出され、桑の葉を食べるカイコとは別の種で、幼虫はブナ科のクヌギやナラの木の葉っぱを食べて育ちます。現在も天蚕(てんさん)と呼ばれ、カイコとは別の飼育方法と技術が日本各地で受け継がれています。天蚕は昨秋に産み付けたヤママユガの卵を、手入れしたクヌギ林内の枝に孵化前に分散して付け(「山付け」という)、幼虫や繭を食べにくる外敵から人間が保護して守り育てます。


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明治8年5月12日に西野村の山蚕飼養人8人が山梨県令藤村紫朗宛に出願した文書を読むと、山蚕(=天蚕)を飼養したクヌギ林の広さと山付け(掃立て)した卵の量、飼養時期や期間などが判ります。
内容は、「西野村の山蚕(ヤママユガ)飼養人中込善右衛門他7人は、村内の約6ヘクタールの林に20㎏(2万個位かな?)ほどの山蚕の種子(卵)を付けて飼育しますので、孵化してから7月25日までの74日間、山蚕の天敵となる小鳥を威す目的で三人の鉄砲撃ちを雇って空へ発砲いたしたくお聞き届けください」というようなもの。
飼養期間を74日間と明記しているところからみて、当時の西野村では山蚕の飼養技術がある程度確立したものであったことが判りますし、8家以上の農家が共同で組織的にクヌギ林を管理していた可能性も考えられます。西野村の山蚕飼養は江戸時代から行われていたものかもしれません。
それから、文中の「玉目三匁」というのは、使用する弾丸の一個の重さが3匁ということで、火縄銃の口径の大きさを表現しています。
ヤママユガ(山蚕)に加害するものとしては、カラスなどを含む小鳥の他に、アリ、スズメバチ、ハエ、カエル、カマキリ、ネズミ、サルがありますが、それらの外敵を追い払うために銃を発砲するというのには驚かされます。当時の西野村で山繭生産がどれほどの経済的影響力を持つものだったかは不明ですが、他の農作物に比べても、厳重すぎる警戒行動のように感じます。
上記の「山蚕飼養ニ付小鳥威発砲願」の他に、その前年の明治7年に記された「山繭窃盗に付申渡」という文書もあります。
内容は明治7年に、西野村の椚林で生産していた山繭を盗み取ろうとした者がいて罰せられた、というもの。盗まれそうになった山繭を生産していたのは金丸平甫ほか6人とあります。金丸平甫さんは、後に「全進社」という動力水車による236釜の繰糸場を今諏訪村に完成させた(明治21年の調べ「山梨県蚕糸業概史」)り、今諏訪村名主や戸長を歴任した人物です。
この文書から、明治7年当時に、西野村に点在するクヌギ林を利用して山繭生産を行う人が隣村の住人にも存在したということと、山繭を生産するには、小鳥などの動物だけでなく、人間の窃盗行為にも気を配らなければならなかったことが判ります。窃盗未遂で懲役40日という記述をみると、山繭の窃盗行為が、村の利益を脅かすほどの許されない行為であったと当時の西野村や今諏訪村の人々が認識していたことが読み取れます。

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