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11.原方

暮らし・産業・文化

昭和29 年と30 年の武川村萬休院舞鶴松と蚕雌雄鑑別のお嬢さん

これらのたいそう立派で見事な松の前で撮影された集合写真には、2枚ともに、「山梨県蚕種協同組合武川村分場鑑別記念」とあります。撮影年や撮影方向がちょっと違うようです。[昭和29年6月9日 山梨蚕種協同組合武川村分場鑑別記念(今諏訪手塚正彦家資料より)]
武川村(現北杜市)で、有名な松のあった場所をさがしてみますと、萬休院というお寺にかつて、舞鶴松と呼ばれた樹高9メートルの巨木があり、国の天然記念物に指定されていたそうです。なんでも、ツルが大きく羽を広げた姿に似ていたとかで、樹齢450年の赤松ということで昭和9年に記念物の指定を受けました。残念ながら松くい虫の被害で枯死してしまい、指定解除となり平成20年に伐採されてしまったようです。
次に、山梨蚕種協同組合とは、昭和27年3月1日に山梨県蚕種協同組合と峡南蚕種協同組合が合併して一本化された「山梨県蚕種協同組合(山梨社)」のことです。現在南アルプス市内で、当時は飯野村だった倉庫町には山梨社の営業所がありました。
この組合は、八ヶ岳山麓にある武川村分場の他に、優良種繭を生産するために富士川沿岸の南部や富士山麓の高燥清涼地、遠く奄美諸島にも分場を設けて蚕種を生産していました。 
写真は、「鑑別記念」とありますので、組合がその年の蚕種採取用の蚕の雌雄鑑別作業が終了した記念に撮影したものではないかと考えています。
[昭和30年6月7日 山梨蚕種協同組合武川村分場鑑別記念(個人蔵)]
といいいますのも、昭和30年の方の写真をご提供くださった、昭和9年生まれの坂本さんが、「この写真を撮った時のことは覚えていないが、普段は増穂青柳にあった輝国館深澤製糸で糸をとる仕事をし、原材料の繭が入らなくて製糸場での仕事のない時には、山梨社の増穂支社から(職員として)、一週間くらい連日、山梨県内各地の養蚕農家へ、蚕種の雌雄鑑別作業に派遣された」と話してくれたからです。
[蚕糸業に従事していた頃の聴き取り調査にご協力いただいた坂本さん(2020年11月12日撮影)]
効率的で品質のよい蚕種を採取するには、繭になる前の5齢の幼虫の段階でオスとメスを分ける必要があります。具体的な見分け方は、「蚕の幼虫をひっくり返して尻尾(尾脚)の付け根にある点(斑点の数の違い)でわかる」そうです。オスを青いお盆に、メスを赤いお盆に分けたのだそうです。
どの農家に行っても、「鑑別のお嬢さんたちが来てくれた」といって歓迎され、美味しい昼食やおやつをごちそうになったのだとか。
また、「(組合が用意した)行き帰りのバスの中では、若い男性の養蚕教師も同乗していて、若い女子たちは色めき立っていたのだそうです。みんなで当時流行り曲の替えうたを歌ったりして楽しかった!!」という思い出話を聞きました。
雌雄鑑別に関連した面白い替え歌もあったそうです。坂本さんいわく「歌詞に『赤いカルトン、青いカルトン、小脇に抱えて今日もゆくゆく~♪ 』というのがあったのを思い出したわ」とのことでした。(※カルトンとはフランス語で、上蔟等の時に蚕を乗せて運ぶお盆の事)
[昭和30年頃 輝国館深澤製糸場の従業員で行った海水浴(個人蔵)]
昭和20~30年代の昭和の蚕糸業全盛期には、製糸場や蚕種製造会社、養蚕関連組合等の職に就いていた、にしごおりの女性たちがたくさんいらしたと思います。蚕糸業が身近になくなったいま、断片的に思い出も貴重な資料ひとつです。
[増穂町(現富士川町)にあった輝国館深澤製糸場の生糸商標(中央市豊富郷土資料館蔵)]

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