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14.行き交うヒトとモノ

交通

高砂の枯露柿製造工場

八田の高砂地区は、「まるたか(○に高)印の枯露柿」というブランドで、干し柿を生産し、年末のお歳暮用として東京や関西へ、
また戦前はクリスマス向けの贈答品としてアメリカへも出荷しました。

「山梨県中巨摩郡御影村 小澤徳蔵 枯露柿製造工場」と記されたポストカードが遺されています。
画像は昭和初期の様子だと考えられます。
場所は釜無川沿いということですが、柿の後ろに前御勅使川堤防跡である「お熊んどい」の松並木が写りこんでいることを考慮すると、上高砂と下高砂の境に近い地点でしょうか?

[画像:個人所有]


○博アーカイブはこちら
昭和初期に生産していた干し柿を販売する際に添付していたという商品説明カードも見せていただきました。
高砂における「枯露柿」生産の歴史とその名の由来に、生産者が明記されています。
残念ながら具体的な年記はありませんでしたが、このカード裏には、「まる高 高砂枯露柿出荷組合」の記名がありました。
小澤徳蔵氏は初代の高砂枯露柿出荷組合長です。

[画像:個人所有]
関連する写真として、「高砂枯露柿出荷組合陸軍糧秣本廠納入記念 昭和十四年十一月二十五日」
「関谷知事視察記念 高砂枯露柿出荷組合 昭和九年十二月二十三日」が残されています。
しかもこの組合では、生産量を増やすために、原料の百目柿を福島県から仕入れ、東京経由で中央線で竜王駅まで輸送して、高砂の地で加工していました。
まさに枯露柿製造加工工場と化していたのです。
竜王駅に柿が着いたとの知らせが来ると、皆で釜無川の橋を渡って柿を受け取りに行ったといいます。
この習慣は昭和40年代まで続き、竜王駅に柿が着くと、戦後は防災無線で武田節を流して知らせました。
橙色鮮やかな瑞々しい柿が、冷たい八ヶ岳颪を一身に受けて枯れ、甘い露のような極上の菓子となるのです。

[画像:個人所有]

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