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14.行き交うヒトとモノ

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戦時の女性たち(大日本国防婦人会と防火訓練)

 こちらは「大日本国防婦人会」の襷(たすき)やこの白い襷をかけた女性たちの記念写真です。
[「モンペに割烹着、大日本国防婦人会の白襷をかけた西野村功刀の婦人たち(昭和15年頃)」(西野功刀幹浩家・南アルプス市文化財課蔵)]


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 大日本国防婦人会というのは、昭和7年(1932)に大阪から発祥した戦争協力団体の一つです。「国防は台所から」というスローガンのもと、会員たちは出征軍人の駅などでの見送りや退役軍人の出迎え、遺骨の出迎え、戦地への慰問袋の製作などの奉仕活動のほか、食糧増産のための勤労、本土空襲に備えた防火訓練、国防献金運動にも動員されたました。
[大日本国防婦人会の襷(南アルプス市文化財課蔵)]
[「かっぽうぎに大日本国防婦人会の襷を掛けた夫人(昭和10~15年頃撮影)」(西野中込家資料・個人蔵)]
 当時は、一般の家庭婦人が会員である「大日本国防婦人会」とは別に、明治34年から皇族や華族を中心に設立されていた「愛国婦人会」という組織も存在していましたが、昭和17年(1942)に「大日本婦人会」として一つに統合されました。その後は、20歳以下の未婚者を除く全婦人を強制的に加入させることで、女性の戦争協力への動員が徹底的に図られるようになるのです。
[「モンペに割烹着、大日本国防婦人会の白襷をかけた西野村功刀の女性たち(昭和15年頃)」(西野功刀幹浩家・南アルプス市文化財課蔵)空地を犂で耕して農地にする勤労奉仕活動であろう。西野功刀家資料には、戦争の悪化により国内の物資が不足したため、航空機の潤滑用オイルとして蓖麻(ひまし油の原料)を生産が行われたことを示す文書も残されている。]
 戦争末期になると強制的加入となっていった婦人会ですが、一方で、それまで各家庭の中だけにしか活躍の場のなかった女性たちが、戦争協力としての役目を負わされたことで、一個人として社会とのつながりを認められたと感じることもあったようです。
  割烹着に大日本国防婦人会の襷をかけ、記念撮影する女性の表情に、かすかな誇らしさを感じるのはそのような理由があったのではないかと思います。揃いの割烹着と襷を身にまとい、勤労奉仕をする女性たちの表情に悲壮感が無く、皆晴れやかで明るいのにも納得できるような気がします。
 日本における戦後昭和以降の女性の社会進出において、彼女たちが戦時の婦人会で行った様々な活動経験が生かされたという見解もあるようです。 

 また他に、各地区でよく見かける、戦時中の女性の姿として印象的な資料は、「防火訓練」の写真です。
[「榎原区での防火訓練(昭和17~20年頃撮影)」(八田榎原杉山家資料・個人蔵)]


○博アーカイブはこちら
[「池之端家庭防火群ノ張切ノ姿 ・・・(昭和17~20年頃撮影)」(西野中込家資料・個人蔵)]
 各地区で意識的に記録として撮影されたようで、男性陣が指導監視する(?)中、防空頭巾などをかぶった女性たちがカメラ目線でバケツリレーする独特な構図の写真をよく見ます。女性も社会の一員として銃後の守りを遂行すべく防火訓練に励んでいる姿を記録、アピールしたものなのでしょう。
[「飯野区での婦人会による防火演習(昭和16~19年頃)」(写真集「夢ー21世紀への伝言ーふるさと白根100年の回想」平成13年白根町発行 より)]

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