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時代で選ぶ - 明治

地方病から人々を守った地方病予防溝梁

甲西地区東南湖の横川と西川の間を流れるみぞの側壁についているプレート。これらのプレートは、地方病の予防のために溝梁を自費でコンクリート化した際に寄付者や会社の銘を刻んだものです。
山梨県で地方病終息宣言が出されたのは平成8年のこと。その後、歳月が過ぎ、釜無川流域の人々があれほどまでに苦しめられた地方病の記憶を、実感を持って語る人の数はかなり少なくなってきています。しかし、よく目をこらせば私たちの暮らしのすぐそばに、まだまだかつての地方病との戦いの痕跡が残されていることに気づかされます。


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山梨で明治20年頃から「地方病」と呼ばれ始めた病は、日本住血吸虫症というのが正式名で、お腹に水がたまり、死に至る恐ろしい病気でした。
その病の原因となるミヤイリガイ(宮入貝)を駆除するために、大正時代初期から様々な刹貝方法が試みられました。中でも、昭和20年代から南アルプス市(白根地区飯野)で試験的に始まった用水路のコンクリート化は、ミヤイリガイの駆除に最も大きな効果をあげました。溝をコンクリート化して直線化すると水の流れが速くなり、流れの穏やかな場所に生息するミヤイリガイを減らすことができたのです。
そのようなわけで、山梨県民は、地方病を撲滅するために、昭和時代をかけて県内の大小ほとんどすべての水路をコンクリートで塗り固めることに腐心しました。
莫大な費用の掛かる事業でしたが、昭和54年以降には新規患者は発見されなくなり、平成8年に撲滅事業が終了して、晴れて終息宣言が出され、現在に至っています。
三郡橋北交差点から三郡橋方向に少し行ったところにある堀切橋から溝梁を北上して順に見つけた地方病予防のプレートをご紹介します。
①昭和53年度地方病予防溝梁銘板(あさひセンチュリーホテルの東のあたり(令和3年11月25日)
②昭和53年度地方病予防溝梁銘板(株式会社プラスターの北のあたり(令和3年11月25日)昭和53年は日本国内で地方病新規感染者の確認が(韮崎市内で)最後だった年です。
③昭和52年度地方病予防溝梁銘板(長久寺の東に位置するあたり(令和3年11月25日)
④昭和50年度地方病予防溝梁銘板(東南湖中宿交差点の東あたり(令和3年11月25日)
⑤昭和50年度地方病予防溝梁銘板(松岩院の南あたり(令和3年11月25日)

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