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時代で選ぶ - 大正

能蔵池

湧き出た御勅使川の伏流水をせき止めて造られたため池。池には赤牛の神様が住むといわれ、赤牛が村人に椀や膳を貸してくれる昔話が今に伝えられている。中島には水神でもある弁才天が祀られている。


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能蔵池の中島には、持ち上げると願いがかなう「掲げぼとけ」や白山権現の石祠が池の中央に祀られ、周辺には人頭蛇身の宇賀神を祀る稲荷神社や中世の供養塔である石幢(せきどう)などさまざまな信仰や歴史の足跡が残されている。
ある晩のことです。野牛島村の娘さっちゃんは、一人で池のふちに立ち、誰に言うともなく明日の結婚式で使う食器がないことを嘆きました。さっちゃんの家はもちろん、どこの家でも欠けた茶碗に欠けた湯のみ、お客さんに出せるようなものはなかったのです。
ところが式当日、池に行ってみると、おわん、どんぶり、さら、ちょこ、おぜんまでみんなそろっているではありませんか。みんな驚き、誰が用意したのかと不思議がりました。するとそこへ長老が来て、「この池には、昔から赤牛さまと呼ばれる神様が住むっちゅうど。その赤牛さまじゃねえずらか」といいました。村の人たちは大喜びでありがたがり、それからは人寄りがあると能蔵池へ来て、おわんやお膳を貸してほしいと頼むようになりました。赤牛さまはそんな村人の願いをちゃんと聞いてくれました。
 ところが、あるときこの願いが聞いてもらえないことが起こりました。それは借りたおわんやおぜんを返さない不届き者がいて、赤牛さまが怒って能蔵池から姿を消してしまったからです。それからは村には悪いことばかりが起こり、いいことはありませんでした。そこで、村人たちはお金を持ち寄り、能蔵池の真ん中の島へ祠をたてました。しかしそれでも赤牛さまは二度と帰ってきませんでした。赤牛さまは、甘利山のさわら池に移り、その後、もっと奥の、高い千頭星山にのぼって大笹池に住んだということです。
能蔵池北東にあるお稲荷さん。水の神様である宇賀神が祀られている。能蔵池南に隣接する桃岳院の守護神でもある。毎年5月3日にお祭りが行われる。
能蔵稲荷の境内に建てられた能蔵池の碑。江戸時代、安政4年(1857年)に造られました。刻まれた文章の内容は、「池の水は清くいくら乾燥の年でもかれることなく民に非常な恩恵をもたらしてきた。この水の如く怠ることなく不作の年も飢えをまぬがれるであろう。これは村人の幸福である」といった内容です。市の文化財に指定されています。

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