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時代で選ぶ - 昭和

旧六科稚蚕共同飼育所

南アルプス市といえばいまは果樹栽培地として有名ですが、
水はけの良過ぎる御勅使川扇状地で生き抜いてきた先人たちがいままでに栽培した代表的な作物には、小麦・藍・煙草・綿花などがあり、明治以降、昭和40年代くらいまでは養蚕が盛んに行われていました。

しかし、全国的に昭和50年代に入ると、化学繊維の台頭によって海外生糸輸出は停止し、和装離れによって国内需要も著しく低下しましたので、現在は蚕糸業(養蚕業から製糸業という一連の流れをまとめて呼んだ業種名)という産業そのものが実質的に消滅したといわれています。 

南アルプス市では、水の豊富な中南部を中心に明治20年頃には、大規模な製糸場2社がすでにあり、大正、昭和初期には規模の大きなもの(50釜以上)だけでも20社ほど存在しました。

戦後も市内には中小15社以上ありました。
それに伴う製糸場の原料を供給する力=繭の生産力も大きかったということです。 

しかし、蚕糸業が終焉を迎えてから50年ほど経ち、市内各地どこもかしこも桑畑の風景は一掃され、あれほど身近だった養蚕風景も、製糸場から漂うあの独特なにおいも、経験できないものになってしまいました。

それでも、八田地区内にまだ養蚕の痕跡を見つけることができました。


○博アーカイブはこちら
旧六科稚蚕共同飼育所は、駿州往還より東側にある六科集落とその北側にある農地との境あたりに存在しています。
現在は飼育所としては使われていませんが昭和40年代終わりまで稼働していたといいます。 
蚕は、五千年も昔から人間が好みの色で糸目の多い繭を作る品種に作り変えてきたため、非常に軟弱な生き物です。
野生では育ちません。
その一生のすべてを人間の手に委ねています。
そのため、徹底的な温湿度管理が必要な稚蚕期(ふ化から一週間)を集落ごとに共同で飼い、生産を安定させる方策が戦後日本中で推奨され、行われました。
よく見ると、建物の壁にうっすらと六科稚蚕共同飼育所の文字が掛かっていたのが見えます。

地下施設への入り口もあり、事務室らしき部屋への通路に屋根がかかっています。
現在はキノコ栽培業者が使用しているとのことです。なるほど、ここには地下空間があるようですからシイタケの原木を置くのに都合がよさそうです。

稚蚕飼育所には、桑場という上から水をかけて桑の葉を貯蔵する場所があったり、直射日光の当たらないような空間づくりも必要です。
稚蚕所は養蚕を行っている家の住民が当番制にして24時間を不在にすることなく交代で面倒を見ましたので、
集落内の人が集まりやすい公民館などに併設して設置されることが多く、六科以外の榎原・野牛島・上高砂・下高砂・徳永は公民館の再整備の際に稚蚕施設は取り壊されています。

八田地区内では六科のこの施設が現存する唯一です。
近所の人は見慣れ過ぎて気にも留めないような施設でも、意外と希少な現存施設だったりするかもしれません。

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