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「スパイ御用心」戦争中の燐寸(マッチ)

 昭和時代に生活必需品だったマッチを収蔵資料の中からご覧いただきます。
[「スパイ御用心 書類手紙御用心 職場乗物御用 防諜」 二等品 志摩燐寸製造所(南アルプス市文化財課蔵)]


○博アーカイブはこちら
 マッチは簡単に着火するための道具で、1800年代にイギリスで発明されたのち、マッチ箱の側面に薬剤を塗布してマッチを擦りつけて点火する形態のものがスウェーデンで生み出されます。
 日本では、清水誠という人がフランスでマッチ製造技術を学び、明治8年(1875)に東京に新燧社(しんすいしゃ)を設立して国産マッチの本格的な製造を始めたそうです。その後の明治大正期には、スウェーデン、アメリカと並ぶマッチ生産輸出国へと発展しました。
 ところで、マッチが使われる以前には、付木という火をつける道具もありました。
[「付木(つけぎ)(南アルプス市文化財課蔵)」:薄い木片の先に硫黄を塗りつけたもので、火を他に移す時に使う。大正時代にマッチが普及すると使われなくなった。]
 共販燐寸とは、マッチ業界の安定のため、昭和11年(1936)12月に設立された日本燐寸共販株式会社によって供給されたマッチだそうです。日本燐寸工業組合が統制事業の一環として組合員の製品を買上げ、共販会社に売り渡したものを地方販売会社が購入して消費者に売るもので、その後戦時のマッチ配給統制へとつながる仕組みとなりました。
[「聖戦完遂 国策実践 共販燐寸 日本共販会社制定」 小嶋燐寸製造所(南アルプス市文化財課蔵)]
 戦争の長期化により、とうとう昭和15年(1940)「マッチ配給統制規則」が公布不足する生活必需品を国が確保し、集中させることなく全体にいきわたらせることを目的として配給制度が実施され、マッチは配給品となりました。
[「一人一人が防諜戦士」二等品 志摩燐寸製造所 (南アルプス市文化財課蔵)]
 これらの4点の燐寸資料をご寄贈くださったのは都留市にお住まいの方ですが、戦時中ご自宅の倉庫が配給所であったそうで、この資料は終戦、配給制度終了までに配りきれなかったものの残りが保管されていたのだそうです。

 今回ご紹介したマッチは、いずれも、昭和15年頃から20年までに製造された戦時配給品時の広告デザインがほどこされています。 一般市民にまで日常的にスパイに注意することを求めていて、いまを生きる私たちにはたいへんな違和感があります。しかし、今から80年ほど前、昭和期の南アルプス市域でも、有名なロタコ(飛行場)建設に子供から大人までたいへん多くの人々が駆り出されましたが、そのことは普段話してはいけないといわれていたのです。
[「逃がすなスパイ 防諜 漏らすな機密」二等品 志摩燐寸製造所(南アルプス市文化財課蔵)]

参考資料:
一般社団法人日本燐寸工業会が運営するマッチのバーチャルミュージアム『マッチの世界』
「日本民具辞典」 平成9年 日本民具学会 ぎょうせい

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